企画展概要
上野の西洋美術館で始まった「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」に行って来た。
ピカソとその時代─ベルリン国立ベルクグリューン美術館展 (2022年10月13日閲覧)
ベルクグリューンはドイツ生まれの美術商で、1948年からパリで画廊を経営しながら、世界有数の個人コレクションを築きあげた人物。そのコレクションは生まれ故郷のベルリンで一般公開されていたが、2007年にドイツ政府によって購入され、国立ベルクグリューン美術館と改称されて今日にいたっている。そのコレクションは購入と放出を繰り返しながら充実していったが、特にピカソ、クレー、マティス、ジャコメッティという20世紀を代表する芸術家の作品の優れたコレクションとなっている。
ベルクグリューンが画廊を始めた1948年頃には、すでにピカソやマティスの評価は定まっており、作品の価格は高騰し始めていた。その中で売買を繰り返しながら、コレクションを充実させていったのは、相当な目利き、商売の才覚があったのだと思う。
日本でも最近、企画展が巡回したスイスプチパレ美術館は、蒐集家オスカー・ゲーズが自身のコレクションを展示するために開かれた美術館だが、ゲーズは価格の高騰しているピカソやマティスを避けて、ナビ派やキュビズムでもピカソやブラック以外の画家の作品を蒐集したと聞く。1940年~50年代にピカソやマティスを蒐集するのは、相当な財力が必要だったはずで、それはそのままベルクグリューンの画商としての才覚を証明することになるのかもしれない。
今回の企画展はベルクグリューン美術館の改修による実現したもので、そのコレクションのなかから、ピカソ、クレー、マティス、ジャコメッティなどの作品97点が出品され、さらに国内の国立美術館所蔵・寄託作品11点も加わり合計108点という規模で構成されている。
なお今回の企画展は一部の寄託作品を除いてほとんどの作品が撮影可能となっている。
キュビスム
まずピカソ作品を理解するうえでの前提として、キュビズムについて簡単におさらいをしておく。
方法としてのキュビスム
キュビスムとは、ある対象やその周囲の空間を様態をさまざまな角度から見て、そこから得ることができる対象の断片化された形態を、一つの画面にまとめて描くこと。それがキュビスムの方法。
フランス語のキュビスム(cubisme)という名称は、この方法で描かれた作品が対象を多角的に分析して描かれていたため、立方体=キューブ(cube)を描いたような形態が現れることに由来している。具体的にはジョルジュ・ブラックが南仏エスタックで描いた一連の風景画をパリのカーンワイラーの画廊で展示したところ、批評家のルイ・ヴォークセルが展覧会評として、「風景や家をキューブ(立方体)にしてしまっている」と批判したことがきっかけとされている。
分析的キュビスム
ピカソやブラックは、対象を多角的に観察し、その形態に徹底的な分析を加えたうえで、一度対称を解体し再構成をすることにした。そのうえで現実的なイリュージョンや質感を排除し、画面にほぼ均等に並べて描くこと、さらに画面を褐色系の色彩に統一して、単色の結晶の集合体のとして構成した。これを分析的キュビスムと呼ぶ。
総合的キュヴィスム
徹底した「分析」によって得られた画面は、小さな形態が集合するだけで、現実の対象とのつながりや統一性が失われていった。そこで、ピカソやブラックは現実と作品のつながりを取り戻すために、画面内に具体的形象を復活させる。その手段として新聞や壁紙などを貼り付けたり(コラージュ、パピエ・コレ、コンストリュックシオン)、色彩を復活させるようにした。
ピカソの作品
ベルクグリューンが最初に自分のために購入したピカソの作品。詩人のポール・エリュアールからクレーの水彩画とセットで当時の金額で1500ドルで購入した。眠る男はおそらくピカソ自身、それを見つめているのはドラ・マールだろうか。
ピカソの画風
ピカソはキュビスムや抽象絵画に移行する以前あるいは以後、短い間に画風を変化させたことでも有名だ。悲哀に満ちた人間の姿を青を基調とした色彩で描く「青の時代」、悲哀のやわらいだ人間たちを穏やかな色調で描いた「ばら色の時代」、ギリシア彫刻のような造形により主に女性を描いた「新古典主義の時代」など。この企画展でもそれぞれを代表するような作品が1点ずつ公開されている。
キュビスム、キュビスム、キュビスム
グアッシュ、鉛筆、紙による作品。風景画と再構成された静物画=キュビスムの融合的な作品。色調のやや明るい青やピンクなど、ちょっとピカソの画風とは異なるオシャレ系キュビスム。ピンク色の床面に映る手すりの影などに装飾的な趣もある。どこかピカソらしからぬ感じがするとともにキュビスムの発展形を思わせる、ちょっと意外な作品。
ドラ・マール百面相
本企画展では、ポスターに使用されたものを含めドラ・マールをモデルとした作品が多い。彼女はピカソの5番目の恋人で、第二次世界大戦前後に交際し、《ゲルニカ》の制作に立ち会ったことでも有名。自身もカメラマン、画家として、シュール・リアリズム的な作品を残している。
これもおさらいになるがピカソの恋人についてもざっとメモしておく。
1.フェルマンド・オリヴィエ(1881-1966)
2.エヴァ・グエル(1885-1915)
3.オルガ・コクローヴァ(1891-1955) 最初の妻
4.マリー・テレーズ(1909-1977)
5.ドラ・マール(1907-1997)
6.フランソワーズ・ジロー(1921-)
7.ジャクリーヌ・ロック(1927-1986) 二番目の妻
ドラ・マールは気性の激しい女性でもあり喜怒哀楽を表に出す女性だったようで、有名な《泣く女》のモデルでもある。前述したように本企画展では彼女をモデルにした作品が数点出品されているが、もともとミューズでもある美貌の彼女が、その内面性やピカソの視点、洞察からどのように描かれていくかの過程が浮き彫りにされていて興味深い。本企画展のドラをモデルにした作品は、さながらドラ・マール百面相のようだ。
マティスの作品
ベルクグリューンはマティスの名品を多数コレクションしている。今回出展されたものでも印象深いものが多数ある。
これは国内所蔵作品で個人蔵、京都国立近代美術館寄託品のようだ。写真撮影は不可のためネット検索した画像。実は今回の企画展の中で一番印象に残ったのはこの作品。構図や配置、人物のほどよいデフォルメされた態様、押さえた色調の中で白を際立たせるバランスなど、マティスの優れた画風が最良の形で展開されている。モデルを務めたのはアンリエット・ダリカレール。
こういう絵を観ると、結局理詰めで現代芸術を牽引したピカソに対峙できるのは、軽やかに色彩を操り、感覚的に凌駕していくマティスなのかなと漠然と思ったりもする。少なくとも理知による解釈を必要とするピカソの作品群に比べ、マティスは観る者の美意識に訴える。
ピカソの絵に感覚的に美しさを感じるかどうか。まあ人さまざまかもしれないが、あの作品群に美を見出すには、分析的な鑑賞が必要になる。マティスはどうか。もちろん彼も様々な試行錯誤の上であのフォルムを完成させているのだろうけど、鑑賞者は感覚的に受容できる。もっとも受容後には、様々な分析的な掘り下げや、その効果について思い巡らせることになるのかもしれないけれど。
その他の作品
ベルクグリューンのコレクションではピカソに次ぐのはパウル・クレーの作品群で、本企画展でも34点の作品が出品されている。なのだが、実はクレーの作品は自分には理解できない部分も多い。不勉強といってしまえばそれまでだが、抽象絵画を受容するにはその前提としての素養に欠けるのかもしれない。なのでパウル・クレーについては判断や評価は保留。
そのうえで気になった作品を。
セザンヌ夫人、マリー=オルタンス・フィケ。セザンヌは夫人の肖像を多数描いている。忍耐強く、長時間身じろぎひとつしないで静止していられたことが第一の理由とも。多分、父親の援助で暮らしていたセザンヌにとっては無給でセザンヌの欲求にこたえられるモデルとして重用されていたのかもしれない。
原田マハが小説にも書いているが、デトロイト美術館蔵の夫人の肖像も有名だが、本作の青を基調とした雰囲気、セザンヌ夫人は美人だったんだなと実感する作品。
ジャコメティの作品は4点展示されていた。図録によると矢内原伊作をモデルにした油彩は20点以上現存するが、ブロンズ彫刻は2点のみという。そのうちの1点がこれである。
「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」の開催期間は2022年10月8日から2023年1月22日までとロングランだ。充実した企画展なので、機会があればもう1~2回足を運びたいと思っている。ピカソまマティスの受容とともに、もう少しパウル・クレーについて理解を深めたい、そんな気分もある。