今年最後の美術館巡り~西洋美術館 (12月24日)

 24日のクリスマス・イブ、多分今年最後の美術館巡りということで西洋美術館に行ってきた。いつも上野に行くときは、というか都内に出るときは車で行く。車いすの妻と一緒なので電車での移動はいろいろとストレスが重なる。

 都内の駅は上行ったり下に行ったり。まずエレベーターの場所を探す。たいていの場合、ベビーカーのお父さん、お母さんたちと順番に並んで乗る。さらにウィズコロナで日常が戻ってきているのだろうか、海外からの旅行客がスーツケースをゴロゴロして同じように並ぶ。一度にベビーカーや車いすが一組ずつみたいな感じになるので、場合によってはかなり待つことも。

 今回は、土曜日ということでいつも利用している上野の駐車場が満杯の可能性があるかなと思った。土日は駐車場は入れなかったことも何度も経験している。せっかく出かけて玉砕するのもしゃくなので、電車でということに。たまには電車で出かけるのもいいかなと。帰りにちょっと飲んだりもできるかもしれないし。

レストランすいれん

 西洋美術館に着いたのは1時過ぎ。なんか車で行っても、電車で行っても着くのはだいたい同じような時間。午前中からきちんと美術鑑賞というのができない家でした。当初、トーハクと西洋美術館のはしごでもしようかと思っていたのだが、妻がお昼を食べたいというので西洋美術館のレストランすいれんでランチをとることに。メニュー見ると、お得なのはサラダ、パン、スープのついたパスタセット。パスタは3種類の中から選べるというので、妻と別々のパスタのセットを。自分が選んだのはこんなの。まあまあ美味しかったような。

 

ピカソとその時代

 

 最初に行ったのは企画展の「ピカソとその時代」。この企画展は始まってすぐに観に行っている。そのときにけっこうきっちり感想書いたので今回は落穂拾い的に。

ピカソとその時代-西洋美術館 (10月13日) - トムジィの日常雑記

  しかしクリスマスイブの土曜日、けっこう混んでいる。感覚的にはめちゃ込み的。こうなると順番に観ることはあきらめて、空いているところを選んで観るような感じになる。ただし妻は車いすなのでそういう訳にはいかない。さらに妻は必ず音声ガイドを利用したがるので、その順番通りに観たい人。美術館では車いす自走するので、別行動とることが多い。

 自分はかなりいいかげんにざっと観終わっても、妻はまだ半分の進まない。実際、長蛇の列ができていてなかなか進まない。だいたい渋滞というか、滞るのは音声ガイドのある作品のところ。みなさん音声ガイドを聴きながらゆっくり鑑賞されるので、ガイドが終わるまでそこから離れない。

 混んでいるときの音声ガイドやテクスト解説は弊害もあるなと思うことはある。みんな作品観ないで、音声聞き入っていたり、作品よりも解説のテクスト読んでいること多いから。まあこのへんはいろいろな意見があるので、感覚的かつ一方的にものいうのは諸々微妙ではある。ただ混んでいるときは出来るだけ立ち止まらない、特に前列は少しずつ動きながら鑑賞するというのがいいのではと思ったりもする。

 だいたい観終わってから妻のところに行くと、妻は列が進まないからといっている。それで車いす押して、音声ガイドのある作品のところをあっち行ったり、こっち行ったりとする。まあ二回目なのでパスする作品あっても大丈夫みたいなところがある。

 作品の流れは、ピカソの作品は彼の画風の変遷を辿るような構成になっている。青の時代、バラ色の時代、キュビスム(分析的から総合的)、新古典主義の時代、抽象絵画への接近とそこから独自の抽象、具象の混ざり合った戦後の画風などなど。

 さらにベルクグリューン美術館のコレクションのもう一つの柱ともいうべきパウル・クレーの作品群、そしてマティスとジャコメティへと流れていく。前回はピカソマティスをお腹一杯になるまで鑑賞したので、今回はクレーにフォーカスしてみた。

パウル・クレー

 パウル・クレー(1879-1940)はスイスに生まれ、ドイツの美術学校バウハウスで教鞭をとりながら、抽象と具象の境界を行き来して新たな表現を追求した人。クレーの言葉「芸術とは、目に見えないものを見えるようにすることだ」は、抽象美術の本質を言い表した言葉としても有名。それは「目に見えない」本質的な何かを、色や形を使って「見える」ものにするという考え方なのだが、実はその本質的な何かについてのイメージを抽象芸術の作家たちが持っているかどうか実はあやしいと思っている。

 例えばカンディンスキーが音楽やシュタイナーの影響により、またモンドリアンが神智学の啓示により、それぞれ抽象画の世界を展開をした。それに対してパウル・クレーはどんなバックグラウンドから抽象美術の世界に入っていったのか。実はそのへんがはっきりしていない。クレーというと線描と色彩の効果などと説明されるが、今一つ理解しずらい。作品によってはファンタジーある子どもの戯画のようだと揶揄されるが、ある意味一番とっつきにくい画家かもしれないと思ったりもする。

 今回もピカソのコーナーよりだいぶん人がまばらになっていたので、作品によってはけっこうじっくり観たのだが、正直判らない。線描については作品によっては設計図のような理知的なものもあり、この人の作品は「考えるな、感じろ」的な鑑賞は似つかわしくないような気がする。なにか永遠に判断保留の画家のような気もしないでもない。

 

《青の風景》 1917年 18.3✕24.5

《緑の風景》 1922年 45.4✕51.1 

 このへんはキュビスム的な指向性が高い。ピカソやブラックのキュビスムが形態への分析に重きを置いていたとすれば、クレーはそこに色彩性を加味し、どこか分析よりも感覚的な部分を重視しているような。彼の色遣いがファンタジー要素を喚起させるのだろうか。

 

《植物と窓のある静物》 1927年 47.6✕58.4

 室内と窓を通じた外部が一体化されている。手前には左に植木鉢に植えられた植物。その枝からはなぜか照明器具が生えていて、その一つは窓のカテーンと結合している。右には窓や植木鉢に背を向けた人物がいる。そして窓とその左側にはなにか棚のような。窓の上には外部にあるはずの月と太陽らしき。それぞれの対象をどう捉えていいのだろうか。

 植木鉢や照明の簡略化された形態はどこかピカソの抽象画を想起する。クレーによるピカソの受容か、あるいはピカソが抽象美術を受容したのか。全体としてはモダンなデザイン性を感じる。

ネクロポリス》 1929年 63✕44

 1928年12月、クレーはエジプト旅行をしており、その時の記憶と様々な印象から描かれた作品のようだ。連なるカラフルなピラミッド、上部の水色の帯はナイルだろうか。

常設展

 クリスマスイブの土曜日ということもあり、常設展もいつもに比べるとだいぶん混んでいる。それでもピカソ展に比べれば人はまばらで、作品の前に人だかりができるということもない。

 この雑記では何度も書いたことだけれど、西洋美術館は自分にとってはベースになるような場所である。多分、自分の中では西洋美術館、竹橋の近代美術館、箱根ポーラ美術館、八王子の東京富士美術館、そして鳴門の大塚国際美術館、この五つの美術館が最も重要な場所だ。多分、そこで触れた作品群によって、美術鑑賞の楽しさ、面白さを知ったこと、美術館巡りがある意味人生晩年にきての趣味、趣向となったのだと思っている。この五つの美術館は多分それぞれ数十回と通っている、自分にとっては本当にベースになる場所だ。

 多分、美術館にとっては大きな迷惑になるんだろうけど、この美術館のどこかでベンチに座ってそのまま息引き取るみたいなことになったらいいなと思ったりもする。そういう死に方をした老人がいたかどうかは知らないけれど、多分ルーブルとかメットとかにはそういう逸話があるかもしれない。

風景画の萌芽

《「パリスの審判」が表された山岳風景》 ヒリス・ファン・コーニンクスロー
16世紀末-17世紀初頭 127✕185

 三美神の中から一番の美人を選ぶ役割を与えられたトロイの王子パリスが、ビーナスを選び勝者の証として黄金の林檎を授けようとする場面。有名なギリシア神話の一挿話だが、そうした物語的主題と人物よりもその背景の描写がメインになりつつある。1600年代のフランドルではじょじょに風景画が物語画、歴史画から独立した存在になりつつある、そういう時代背景を考えると興味深い。おそらくこの絵が描かれた時代からさらに50~60年後になると、物語や歴史的主題はさらに絵の片隅に追いやられていき、風景がより大きな主題として、自然の美しさや脅威として描かれるようになる。

 この絵に描かれた風景は、実際の風景だろうか。手前のうっそうとした木々はそうかもしれないが、中景から光景の白や川、連なる荒涼とした山々は実際のそれではない理想的な世界風景かもしれない。

カミーユ・コロー

ナポリの浜の思い出》 カミーユ・コロー 1870-72年 175✕84

 写実主義印象派をつなぐ画家として位置付けられるカミーユ・コロー。イタリア旅行の記憶をもとに描いたもので、栃木県立美術館にあるターナーの《風景、タンバリンをもつ女》(1840-50年頃)と同主題のもの。両者を比べると、コローのそれは写実性が増し、19世紀以前のパターン化された風景やその描写とは一線を画すものがある。

ルノワール 《アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)》

アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)》 ルノワール 
1872年  156✕128.8

 ルノワール作品の中でももっとも好きな作品の一つかもしれない。構図、筆触と色遣い、女性の表情、すべてにおいてルノワールの天才的な感性、技術が体現されているような気がする。松方コレクションの返還時にフランスがこの作品の返還を当初拒んだという逸話があるが、判るような気がする。もしこの作品がオルセーにあれば、オルセーを代表するルノワール作品として扱われたかもしれない。

雪景色二題

《雪景色》 クールベ  32.8 x 46.4

《雪のアルジャントゥイユ》 モネ 1875年 55.5✕65

 クールベは自然を忠実に描くうえでの写実表現として、モネは雪景色の印象を描く表現として、それぞれ雪を描く。どちらが表現として上かという議論は多分意味がない。そして二人ともその画力は高く、雪景色をリアルに描く前者とその印象を画面に再現する後者。印象派の画家たちが写実主義からの脱却を目指し、それをキャンバスに結実させていったことがよく判る。

ゴーギャン

ブルターニュ風景》 ゴーギャン 1888年 89.3✕116.6

《海辺に立つブルターニュの少女たち》 ゴーギャン 1889年 92.5✕73.6

 手足が妙に大きく描かれるのは浮世絵的な強調表現を取り入れたせいだろうか。ある意味はブルターニュ地方の貧しい農民たちの生活を描くためにあえて強調したのか。《ブルターニュ風景》では印象派的画風が強く、まだ輪郭線による強調や平板な色面というクロワゾニスム的な技法はまだみられない。右前面に描かれる農婦の手の大きさはある種の短縮法的表現かもしれない。

シニャックの筆触と視覚混合

《サン=トロペの港》 シニャック 1901-02年 131✕161.5

 図録によれば新印象派の基本原理は、「ひとつの色調を複数の純粋な色の点に分解する『色彩分割』と、パレット上で絵具を混ぜずに隣り合う色同士を網膜上で混ぜることで明るさを保とうとする『視覚混合』にある」という。シニャックはその理論を著作『ウジェーヌ・ドラクロワから新印象主義へ』にまとめ、新印象派の理論的指導者となったが、彼自身は早世した僚友スーラほど科学的原理に拘泥することはなく、次第に細かい点描から離れていき、モザイク状の大きな点を用いるようになった。

 大きな点により視覚混合の効果は薄れるが、色彩間の対比は強調され色彩表現としてはより鮮明かつ豊になっていく。それがマティスらのフォーヴィスムに多大な影響を与えたことが美術史家が語る通りである。俗論ぽくいえば、点描が大きくなればなるほど色彩性が増し、点描主義はフォーヴィスムへと変化していくということになる。

 視覚混合の効果は薄れるかというと、点描が大きい分、作品との距離が重要になるように思う。よくモネの作品を鑑賞する距離については5~7メートルが理想的といわれたりする。かって川村美術館でガイドをしていた方もそのへんを力説していた。

 それに対してシニャック作品はどうか。おそらく5~7メートルでは有効な視覚混合は得られない。今回の展示場所では3~4メートルしか後ろに立てなかったので、斜めから距離をとってみると7メートル以上離れると美しい視覚混合が得られた。以前にもどこかの美術館でも試してみたが、シニャックやアンリ・エドモン=クロスの作品は9メートル前後離れた方が美しく作品を鑑賞できるように思えた。同様のことはやはり筆触が大きいファン・ゴッホについてもいえるような気がした。このへんはぜひ美術館関係の方にも考慮してもらえらたらと思う。

作品保護について

 前掲したゴーギャン作品もそうだし、今回展示してあったセザンヌの作品二作などもみなガラス保護がされていない。西洋美術館では、画家や作品のによってガラス保護されているもの、されていないものが多数ある。ガラス保護されていなければ、照明の反射もないし画家のマチエールを細かく見ることができ、鑑賞者としては有難い。しかし作品保護という点ではどうだろう。

 海外の美術館では、今、過激な環境保護団体が、美術作品、特に市場での価値の高い作品に対して、スプレーなどで作品を毀損したり、接着剤を使って作品と自らの手をくっつけたりする行為が多発している。その野蛮な行為によって耳目を集め、自らの主張を採り上げさせようとするという目的なのだろう。幸い、作品はみなガラス保護されていたので、作品自体が毀損されるという最悪の事態は免れている。

 海外でのこうした事件が日本国内で起きる可能性はどうだろう。グローバル化された世界である。過激な団体が日本国内の著名な作品に目をつけることはないだろうか。あるいは単純な模倣犯がでてくる可能性は。

 今の美術館の警備はというと、主たる部分は女性監視員の監視だけのような気がする。もし作品を毀損するような行為が起きたときの対応はきちんとマニュアル化されているのだろうか。芸術作品は市場価値とは別の意味で、人類の財産であるはずだ。それを思うと、もっと作品保護に力を入れてもらいたいと思う。少なくとも西洋美術館で常設展示される作品はすべてガラス保護されるべきかもしれない。なにかがあってからでは遅すぎる。そんなことを思う年の瀬というところだろうか。

 

今年最後の美術館巡りと上野公園

 

 多分、これが今年最後の美術館巡りになる。西洋美術館はこの日、8時まで営業だったが6時過ぎくらいには退館した。滞在時間は食事を含めて5時間くらいだったか。大満足な一日。年の最後に西洋美術館に来れたのはまあ個人的には一種の僥倖みたいなものだ。

 その後は、妻の車椅子を押して暗くなった上野公園を下った。年末なのでアメ横もちょっと覗いてみたいと思った。

 そういえば年に何度も来るのに、ずいぶんと西郷さんを見ていないことに気がつく。あそこは階段上にあるので妻には下に待っていてもらい自分だけ階段を駆け上がって、久々に西郷さんを見た。多分、うん十年ぶりかもしれない。これもまた上野である。