キュビスム展 (1月25日)

 28日に終幕した西洋美術館の「キュビスム展」に25日に行ってきた。

 この展覧会は開幕してすぐの10月に行っている。

キュビスム展美の革命 (10月12日) - トムジィの日常雑記

 大型企画展なので出来ればもう一度と思っていたので、閉幕ギリギリのところで滑り込んだ感じ。

 くわしい感想は前回のときにあらかた書いているので、なんとなく補遺的なものを書いておく。

キュビスムの変容的なもの

若い女性の肖像》 パブロ・ピカソ 1914年 油彩・カンヴァス 130×96.5cm
MNAM-CCI 

 この企画展を評したどなたかが、キュビスム創始者ピカソとブラックのうち、ブラックは最後までキュビスムにとどまりこだわり続けたが、ピカソは早々にそれを乗り越えて新しい地平を切り開いていったみたいなことを書かれていた。だいぶ表現は違うが、たぶんそういうような意味だったような記憶が。

 そういう意味でいえばこの作品などはまさにそう。もはやこれはキュビスムとはいえないし明らかに抽象絵画への接近だろうか。ピカソカンディンスキーみたいな趣がある。まあコラージュされた具象は総合的キュビスムの名残り的ではあるけれど。

 

《輪を持つ少女》 パブロ・ピカソ 1919年 油彩、砂・キャンバス 142.5×79cm
MNAM-CCI

 当初のキュビスムが持っていた多視点、多面性からの立体表現、ある種の2次元としての絵画の中に3次元を取り込むイリュージョンはここにはない。平板な抽象的な色面的コラージュ、かといってドローネーのような鮮やかな色面による多面性もない。暗い落ち着いた色調のなかでピカソは対象を記号的な抽象の組み合わせにしてしまおうとしているような感じさえする。キュビスムから抽象へということにピカソの関心があったのかなどと考えてしまう。

 

《ギターを持つピエロ》 ファン・グリス 1919年 油彩・カンヴァス 90×73cm MNAM-CCI

 ファン・グリスもまたじょじょに多面性、多視点から別のフェイズに移っていったように感じさせる。これは抽象画というよりも対象を単純化したある種のデザインのようにも思える。下部の床(?)の文様にしろ、背景の抑えた色調にしろ、どこか形象を単純化させた晩年のマティスみたいな雰囲気さえある。ピエロのやや角ばった表彰はレジェのそれに近い。さながら単純化されたロボットのような。マシンエイジとそれに続くコルビュジェの抽象画と同じ匂いがする。

ドローネー《パリ市》

《パリ市》 ロベール・ドローネー 1910-1912 油彩・カンヴァス 267✕406

 

<同時主義(シミュルタネイスム-simultanéisme)>

時間と空間の相互連関的な変化相を、同一画面に同時に表現しようとした美術上の主義。20世紀前半、フランスの画家ドローネーやイタリア未来派などが試みた。同時主義。

 この絵では近代的なエッフェル塔ギリシャ神話的な三美神、さらにアンリ・ルソーのプリミティブ的なモチーフ(左側の船や橋の部分)などを同一画面に分割的に描いているという。さらに三美神はピカソの《アヴィニョンの娘たち》のようにアフリカ芸術の彫像のような趣をみせている。

 切子のような、プリズムのような表現で対象を分割する表現で描かれる三美神は近接して観ると異形な雰囲気だ。

 

 全体として三美神、分解されたエッフェル塔の部分、三美神の背景の緑は自然的な風景であり、右側は拡大されたモダンな建物の分割、左側はルソーの船とヨット、さらにその後景には町の建物、その向こうには山々が連なる。どこか静的な詩情を漂わせるところは、アポリネールが評価したオルフィスム(オルフェウス的=詩情的)によるキュビスムということになるのだろうか。

 

 キュビスムセザンヌの提唱したフォルムの幾何学的形象化をもとに、多視点から分割された対象を一画面に表現することから始まり、さらには同時主義のように時間軸や空間軸の位相を同時に表象する、さらに時間的な変化を一画面に描くなど様々な発展形があった。

 運動を連続撮影する写真技術を応用して、対象の連続的な動きを描いたのはマルセル・デュシャンの《階段を降りる裸体》シリーズだった。その発展形にはスピードのダイナミズムを作品化したジャコモ・バッラなどの未来派がある。

 今回の展覧会でもそうした運動のダイナミズムに挑戦した画家としてミハイル・ラリオーノフの作品が紹介されている。

《散歩:大通りのヴィーナス》 ミハイル・ラリオーノフ 1912-1913年 
油台・カンヴァス 117×87cm  MNAM-CCI

ミハイル・ラリオーノフ

ロシア・アヴァンギャルドを代表する画家で、レイヨニスム(光線主義)の創始者として知られた。1898年からモスクワの絵画彫刻建築学校に学び、生涯の伴侶となるゴンチャローワに出会う。最初は印象派風の画風を見せたが、1906年にサロ・ドートンヌへの参加を通じてフランスの現代美術に触れると、1908年からは国際的に活躍する前衛芸術家たちとともに「金羊毛」展に参加。しかし次第にフランス美術の模倣をやめ、ロシアの民衆芸術に触発されたネオ・プリミティヴィスムへと転じていく。1910年には、美術にオケルロシア・アヴァンギャルドの黎明期を代表する「ダイヤのジャック」展をゴンチャローワらとともに組織し、これをすぐに離脱すると、1912年にはより急進的な「ロバの尻尾」展、翌年には「標的」展を開催した。この頃ラリオーノフが実践したレイヨニスムは、キュビスム未来派、オルフィスムに立脚した新たな芸術様式で、無数の光線が画面内に行き交う、抽象絵画の先駆けともなる表現といえる。カジミール・マレーヴィッチらとともに、キュビスムから多くを学んだ立体未来主義を推進するなど、ロシアの前衛芸術運動の発展に大きく貢献した。

『図録』P243より

  そしてこの人のプリミティズム的な作品が多分これだろうか。

《春》 ミハイル・ラリオーノフ 1912年 油彩・カンヴァス 86.5×68.2cm
 MNAM-CCI

 どのへんがプリミティブかというと多分この辺ではと適当に思ったり。

 

 この雑さはまさにプリミティブ的。これは犬か、猪か、多分犬なんだろうな。

 ラリオーノフは1915年にロシアを離れ、ロシア革命後は長くフランスで過ごし一生を終えた。もしもロシアに戻っていたら過酷な後半生が待っていたのかもしれない。

ミハイル・ラリオーノフ - Wikipedia (閲覧:2024年1月29日)