新橋でもう一つ思い出したことがある。
高校生の頃、自分はいっぱしの映画少年で名画座通いをしていた。受験勉強と称して帰宅すると、すぐに仮眠をとり11時頃に起きて遅い夕食をとってからラジオの大学受験講座を聴く。それからあとは勉強といいつつ深夜放送を聴いていた。主にTBSのパック・イン・ミュージックだったと思う。
そして映画の試写会を申し込みせっせと葉書を書いていた。確率的にはどうなのかわからないけれど、けっこう当たることもあった。記憶している限りだと「アメリカの夜」、「アメリカン・グラフティ」、「イルカの日」、多分リバイバルだと思うがポランスキーの「水の中のナイフ」などが当たった。有楽町が多かったように思うのだが、会場の記憶がない。多分、読売ホールは何度かあったのではないか。
そんな日々の中で、ミュンヘンオリンピックの記録映画「時よとまれ、君は美しい」があたった。当時は記録映画、特にオリンピックの記録映画はかなり好きだった。市川崑の「東京オリンピック」はまだ小学生だったが観て感動したクチだ。多分、あれは学校で上映会でもやったのではないだろうか。さらにクロード・ルルーシュの「白い恋人たち」、そして篠田正浩の「札幌オリンピック」。
フィギュアスケートのジャネット・リンは自分にとってごくごく初期のアイドルだった。銀板の妖精、美しく舞い、そしてクライマックスの少し前にゆっくり崩れるようにしてついた尻もち。ジャネット・リンが好き過ぎて、新聞記事を切り抜いてスクラップブックは作るは、新聞社が出したグラフ誌出たものほとんど買うし。高校一年生の暗い情熱だったと思う。
映画の「札幌オリンピック」は劇場で5~6回観たのではないだろうか。一つの映画を何度も繰り返し観るという経験は多分初めてのことだった。退屈な昭和天皇の開会宣言を退屈そのままに映像化したシーンなども飽きるほど観た。笠谷の70メートルの栄光と90メートルの失速などなど。
そういうオリンピック記録映画好きの少年にとって「時よとまれ、君は美しい」は特別な映画でもあった。複数の監督が各競技を映像化するという趣向、その監督陣が西ドイツの監督を別にすると豪華。特にアメリカン・ニューシネマの監督が多数起用されていた。
時よとまれ、君は美しい/ミュンヘンの17日 - Wikipedia
・The Beginning / 始まりのとき[1]
監督 = ユーリー・オゼロフ (Yuri Ozerov)
・The Storongest / 最も強く (重量挙げ)
監督 = マイ・ゼッタリング (Mai Zetterling)
・The Highest / 最も高く (棒高跳び)
監督 = アーサー・ペン
・The Women / 美しき群像 (女子選手)
監督 = ミヒャエル・フレーガー
・The Fastest / 最も速く (100メートル競走)
監督 = 市川崑
・The Decathlon / 二日間の苦闘 (十種競技)
監督 = ミロシュ・フォアマン・The Losers / 敗者たち (レスリング)
監督 = クロード・ルルーシュ
・The Longest / 最も長い闘い (マラソン)
監督 = ジョン・シュレシンジャー
アーサー・ペン、ミロシュ・フォアマン、ジョン・シュレンシンジャーといったアメリカン・ニューシネマの監督が名を連ねている。そこに市川崑とルルーシュである。これは楽しみだなと思った。
試写会のチケットは葉書で、そこには小さく会場が罹れている。ヤクルトホール。小さな字で住所とその横に簡略化された地図。上映時間は5時くらいだっただろうか。
横浜の片隅に住んでいた高校二年生の少年は勇んで出かけた。1時間近く前に最寄り駅について簡略化された地図をもとにホールを探す。でもなかなか会場のある建物に行き当らない。30分が過ぎ、45分が過ぎ、残り10分というところでギブアップして交番で聞いてみる。
お巡りさんは汗だくの少年に対して親切に対応してくれた。
「これ、場所違うよ。これ新橋だろ。ここは新宿だよ」
お巡りさんは今でいえば「やっちまったね」的な少し残念そうな笑みを浮かべながら話しをしてくれた。
葉書に書いてある住所を「新橋」を自分は「新宿」と誤読していた。そして新宿の駅周辺をぐるぐると回っていた。「新橋」と「新宿」は似てるか・・・・・・。上演まで10分を切ったところで場所的に新宿と新橋では山手線で一番遠いあたりである。「時よとまれ、君は美しい」が頭の中で消えて行った。そして口惜しさと自分への憤りのような気分がずっと残った。
ヤクルトホールは新橋の駅近く、ヤクルト本社ビルの中にある。そのくらいは当時の高校生でも判る、多分判るはずだ。なのにあの時、葉書に書かれた文字「ヤクルトホール 東京都港区東新橋」が「東新宿」に見えた、ような気がした。そして思い込んでしまった。まあ普通に考えれば港区で新宿もあったものではない。
それ以来、ヤクルトホールが遠い存在になった。そこで試写会を観たのは随分後、多分三十代になってからだったような気がする。確か「ロボコップ」あたりだったか。
そしてゲーテのファウストからとった美しいタイトルの映画「時よとまれ、君は美しい」はいまだに観ていない。昔は、多分普通の気分で観ることができないような気がしたから。今は多分そういうことはないだろうけど、なんとなく敬遠したままになってしまった。1973年の苦い記憶、「新宿」ではなくて「新橋」だった。