素九鬼子死去

 素九鬼子が亡くなったらしい。

 1937年生まれ、83歳老衰。そういうことなんだろう。

 この人といえば『旅の重さ』ということになる。小説家に送りつけそのままになっていた原稿を編集者が偶然見つけて出版。それがベストセラーとなり名乗り出て作家となったという、新人作家としては普通あり得ないようなサクセスストーリー。 

旅の重さ (1977年) (角川文庫)
 

 『旅の重さ』を読んだのはいつだっただろう。発売されたのも1972年、そして映画化されたのも同年である。映画では当時好きだった吉田拓郎の『私は今日まで生きてきました』が主題曲として使われていた。小説が先か、映画が先か、映画が先だったとしたら、多分それは吉田拓郎の曲からということになるのだろうか。48年前の記憶は曖昧だ。

 1972年は自分にとっても、世間にとってもかなりややこしい年だったはずだ。1月には冬季オリンピックが札幌であり、フィギュアスケートのジャネット・リンに夢中だった。2月にはあさま山荘事件とその後の連合赤軍のリンチ事件が明らかになり、学生運動や社会変革運動は冬の時代に入った。

 受験に失敗しランクの低い高校に入学した。失意とコンプレックスと自虐に満ちた高校生活を始めた年でもある。夏には沖縄が返還された。

 そんな頃にこの小説と映画に出会った。本を手にしたのは確か高校の図書館だったと思う。ランクの低い高校でもこの本が置いてあったのは、話題になったベストセラー小説だったからだろう。

「ママ、びっくりしないで、泣かないで、落着いてね。そう、わたしは旅に出たの。ただの家出じやないの、旅に出たのよ(つづく)」

 この書き出しから始まる18歳の家出少女の独白による四国遍路の旅。それは多分同時期にきっと読んだであろう『ライ麦畑でつかめて』と同じように、こじらせた高校生には心に響く小説だった。そして旅の重さという妙に魅惑的なタイトル。

 おそらく、この小説はこのタイトルがつけられたことによって成功が確信されていたのではないかと思う。旅は人生に通じる。これもまた今となってはあまりにも通俗的な言葉かもしれない。しかし多感な10代の子どもの心を揺さぶるには十分な詩的雰囲気を持っていた。

 主人公の少女が体験する様々事柄、今となってしまえばありふれたことばかりだが、性的なものを含めて斬新に、しかも性的好奇心をも刺激する部分もあったのではないかとも思う。

 そして映画は、あどけない少女でありながら妙に肉感的な肢体をもつ高橋洋子の魅力と、彼女の周辺の日常的でありながら、少しずつずれた大人たちとのやりとり、四国の美しい風景があいまった映画だった。そしてそこに流れる吉田拓郎の曲。

 今、老いさらばえた身となってしまった自分は、この小説も映画もきっと楽しめるものではないとは思う。しかし人生のいっときに自分を夢中にさせる何かしらを持っていた小説、そして作者の死である。ご冥福を祈ります。

 


あの頃映画 the BEST 松竹ブルーレイ・コレクション『旅の重さ』2015/8/5リリース!