江戸期日本絵画における遠近表現の源流

 浮世絵版画がジャポニスムということ19世紀フランスの主に印象派の画家たちに影響を与えたのは特に有名だ。特にその奇抜な構図は、モネやピサロゴッホらによって積極的に採用された。

 それらの浮世絵風景画の構図は、たとえば近像型構図など遠近表現を極端にしてみせたものだ。そもそも遠近法表現は、西洋絵画の基本の一つであるのだが、それらを葛飾北斎歌川広重はどのようにして受容したのだろう。そのへんが実はずっと謎だったのだが、浮世絵師たちはおそらく長崎から輸入された西洋画、その流れでの蘭画、西洋風絵画の影響を受けたのではないか。

 北斎や広重が活躍する時期よりおおよそ60年くらい前に、秋田で一時期花開き、忽然と消えてしまった秋田蘭画、どうもそのへんに源流があるのではないかと、少しだけ考えてみた。ちょうどに美術史のレポートをまとめるためにちょっとしたラフとして小文をでっち上げてみた。この考はもっと文献にあたってみる必要があるのだろうが、それは多分、自分の任ではないような気もするし、またその能力もなさそうだ。

 もともと自分にとって秋田蘭画はというと、昨年惜しくも亡くなってしまい未完となってしまった歴史マンガ『風雲児』の中で知ったことだ。平賀源内が秋田銅山の視察で訪れ、そこで秋田藩主とその家臣小田野直武に蘭画の手ほどきをするところから、物語は始まる。そしてめきめき腕をあげた小田野直武は、源内について江戸へ行き、そこで『解体新書』の翻訳プロジェクトに参加し、図版を担当することになる。

 そのへんの経緯が面白く、また興味を覚えたからか、当時岩手、秋田を旅行したときに角館により、小田野直武の作品を多数収蔵している平福記念美術館に立ち寄ったこともあった。ある意味ずっと気になっていた秋田蘭画とその遠近表現に、今回日本美術史の学習の中で思い起こすこととなった。

 『風雲児たち』では小田野直武や佐竹曙山はこんな風に描かれている。拙い小考を以下のとおりだ。

 

江戸期日本絵画における遠近表現の源流ー秋田蘭画・小田野直武

 近くにあるものを大きく、遠くにあるものを小さく描くことで遠近感を表出させる作画表現が遠近法だ。葛飾北斎(1760-1849)の《富嶽三十六景神奈川沖浪裏》は、近景に荒々しい大波とそこに飲まれそうな小舟が、その遥か後方に富士山が望まれている。
 こうした遠近法をさらに進めて、近景のモティーフを極端に大きく描くことで斬新な画面を生み出したのが近像型構図と呼ばれる手法で、北斎の《富嶽三十六景甲州三嶌超》や歌川広重(1797-1858)《名所江戸百景亀戸梅屋敷》などの作例がある。

富嶽三十六景 神奈川沖浪裏》 (葛飾北斎) 1831-33年頃

《名所江戸百景 亀戸梅屋敷》(歌川広重) 1857年

 こうした大胆な構図はヨーロッパにジャポニスムとして受容され、印象派の画家たちにも影響を与えた。浮世絵の近像型構図の影響が見られる作例としては、クロード・モネ《アンティーブ岬》(1888年 愛媛県美術館》、フィンセント・ファン・ゴッホ《種まく人》(1888年 ファン・ゴッホ美術館》などにみてとることができる。

《アンティーブ岬》 (クロード・モネ) 1888年

《種まく人》 (フィンセント・ファン・ゴッホ) 1888年

 

 もともと西洋の作画表現である遠近法が日本に導入され、逆輸入という形で西洋近代絵画にも影響を与えるまでに成熟したのはどのような経緯があったのか。北斎、広重が活躍する時代から遡る約60年前に、秋田で花開いた秋田蘭画に源流があるのではないだろうか。

不忍池図》 (小田野直武) 1770年代

 小田野直武《不忍池図》は、絹本着色、岩絵の具と墨という日本画の画材に一部に輸入されたプルシャンブルーが用いられており、西洋画風の日本画である。しかし構図はそれまでの日本画にはない、強調された近景(芍薬の大輪を咲かせた鉢)と緻密な遠景(不忍池)を配したものとなっている。この独特な画風はどのようにして生まれたのだろうか。
 小田野直武(1750-1780)は、秋田銅山視察に訪れていた平賀源内に西洋画の手ほどきを受け、その後源内とともに江戸に出て、本格的に西洋画を学んだとされている。おそらく長崎を通じて輸入された洋書の挿絵やオランダ風景画などを参考にしたのではないかと考えられる。そこで一点透視図法や空気遠近法を獲得し、さらに宋紫石を通じて沈南蘋の精密な写実を学んでいる。直武の独特な西洋的遠近法を日本画に応用した作例は、西洋画と南蘋派の融合されたものといえる。
 直武は藩主の佐竹曙山(1748-1785)などに西洋絵画の技法を伝授したがわずか30歳で夭折した。江戸在住時にはのちに最初の銅版画を作った司馬江漢(1747-1818)を指導している。江漢の洋風画は人気となり、その後の浮世絵風景画に影響を与えたといわれている。
 北斎や広重は江漢の銅版画を通じて、秋田蘭画の特徴である拡大した近景と緻密な遠景を配した構図を受容し、より大胆で奇抜な構図を求めて近像型構図を展開していったのではないだろうか。
 近代西洋絵画の一大潮流となった印象派の画家たちに多大な影響を与えた浮世絵版画。そのユニークな構図や遠近表現は、もともとは18世紀後半、東北の地秋田で生まれた。鎖国化の日本で、限られた情報をもとに西洋画の表現を日本画に取り入れた小田野直武は、日本の遠近表現の先駆者といえよう。