日光旅行の最終日、いつもだと水戸の茨城県近代美術館とか栃木県立美術館に行くことが多いのだが、今回は久々佐倉の川村美術館へ行くことにした。この美術館、何度か行ってるような記憶があるのだが、雑記の記録とかを確認してみると2015年に1度行っただけのようだ。翌年、行ったときには休館だったというオチもある。
7年も前に一度行ったきりだったとは。しかしその割にはこの美術館の記憶って、けっこう鮮明に残っている。自然と調和した雰囲気とかもあるが、やはり収蔵品がすばらしい。モネやルノワール、レンブラント、ピカソなどの名品も粒ぞろいだが、やはりここは現代美術がいい。フランク・ステラのオブジェ、ジャクソン・ポロック、そしてなによりもマーク・ロスコの《シーグラム壁画》。
DIC川村記念美術館 | Kawamura Memorial DIC Museum of Art
この美術館は広い庭園エリアだけの利用の場合は無料。美術館は企画展と常設展で料金が違っている。料金を払って、まずは庭園エリアを散策。大きな池があり、樹木の生い茂った遊歩道あり、広い芝生スペースありで、庭園エリアだけでもけっこうゆったりとした気分というか寛ぐことができる。




そして美術館へ。


入り口脇にはフランク・ステラの巨大オブジェがある。妻はこのオブジェのことを「ハウルの動く城」と呼んでいて、久々観たからかさかんに「ハウル、ハウル」と喜んでいた。
そして館内に入るとまずはマイヨールの彫刻がお出迎え。
そこから右側の常設展会場へと向かうのだが、展示室がなんとなく迷路みたいな感じになっている。一番最初はルノワールやモネといった近代西洋画のセクションだったか。
7年前にたまたまガイドツアーをやっていて、女性のガイドがモネは離れて鑑賞したほうがいいと話していて、出来れば5メートル以上、ベストは7メートルくらいみたいな話だった。今思えば、普通に視覚混合が得るための適切な距離ということだったのだが、ひどく感心したことを記憶している。今でもモネや点描画の作品などは出来るだけ離れて観るようにしている。まあ美術館によってはそこまで距離をとれない展示室も多いのだけど、川村美術館は思い切り距離をとることが出来るように展示してある。
モネの《睡蓮》は連作で、国内でも多数観ることが出来る。この作品は少し抽象度が増してきた頃の作品だ。この後、西洋美術館にあるような抽象度が高い作品へと移っていく。多分、白内障の影響が大なんだろうけど。個人的にはもっと印象派ぽいというか、キラキラした感じのポーラ美術館の2点(《睡蓮》、《睡蓮の池》あたりが一番好きなのだが。
マーク・ロスコと並ぶこの美術館の目玉。この絵だけを一室で展示している。てっきり画家本人の自画像だとずっと思っていたのだが、モデルがいるらしい。もともと注文主と妻の肖像画が一対だったのだが、18世紀以降に分割され転売されたという。対となる《夫人の肖像》はアメリカ・クリーブランド美術館に収録されている。
17世紀のオランダでは、プロテスタントが主流だったため、偶像崇拝としての宗教美術が排斥され教会からの注文が途絶えた。さらにオランダには美術のパトロンとしての王侯貴族が存在しなかったため、それに代わりとなる富裕な市民層が絵画の市場をささえたのだという。彼らの需要は風景画、風俗画、静物画、肖像画など多岐にわたった。この絵のモデルもおそらく富裕な市民層の一人だったのと推測される。
レンブラントはカラヴァッジョ様式の光と闇をより劇的かつ洗練させ、光を塊でとらえる独自の方式を生み出したという。逆に彼の描く闇は漆黒ではなく、絵具を塗り重ねることによってうまれた。晩年は筆致も粗くなってくるのだが、この絵の制作は20代後半。筆致は滑らかなようだ。
これは傑作だと思う。淋しい、幸薄そうな姉妹へのつき離したようなまなざし。キスリング(1891-1953)の晩年の作品で、死後に個展に出品されたという。自分が一番好きなキスリング作品は伊東にある池田20世紀美術館の《女道化師》だけど、あの作品にキスリングのどこか優しいまなざしがる。あの作品は1927年制作で36歳の頃。画家は歳を重ねるごとに、対象に寄りそうことをやめ、対象自身の内面性を強調するような画風に変化していったのだろうか。
この作品は前回も観ているはずなのだがあまり印象に残っていない。7年の月日で絵を観る自分の趣向、意識もちょっとずつ変わってきたのかもしれない。
これも前回観た記憶があまりない。まだ形態的には簡略化されていないが、じょじょにその兆しがあらわれてきている。色彩性と緩やかな曲線と直線のハーモニーが紡ぎ出されている。マティスは色彩に拘るがマチエール的には割と薄塗りな印象がある。多分、ポーラかどこかで至近で観たときにそんな印象をもった。逆に、やや黒ずんだ部分はかなり塗り直して的な試行錯誤が感じられたりもする。全体の雰囲気を含め、多分自分が好きなマティスはこういう絵だと思う。
なぜかこの作品はモネやルノワールと一緒ではなく、別室でフェルナン・レジェやロイ・リキテンシュタイン、山口長男らの抽象画と一緒に展示してあった。展示コンセプトは「金|黄」だとか。う~む、うよくわからん。
制作年は1979年、まだ点描主義と出会う前のまさに印象派的な作品。農村と農民の労働を主題としたピサロの作品をドガはミレーと比較してこう述べているという。
「ミレーの種まく人は人類のためにまき、ピサロの農民は彼らの日々の糧のために働く」。こう述べたのはドガである。ミレーは田園の労働によって結ばれた共同体の姿を描き、人々を共感と郷愁へと導く。それに対してピサロは、逸話的光景ではなく「そこにあるものすべて」を描いた。
『図録』P17
ミレーの写実性は、ある種再構成された農民共同体と労働の理想的な姿。それに対して印象派ピサロは野外で実際の農民の姿を活写したみたいことか。バルビゾン派は郊外に制作拠点を置いたが、野外ではスケッチ、それをもとにアトリエで再構成したみたいな話をなんとなく聞いたことがある。
バルビゾン派と同時期に農村や農民をモティーフにしたルパージュやブルトンは、アトリエでモデルに農民の衣裳を着せて田園風絵画を仕上げたという。多分にバルビゾン派にもそういう傾向があったのかもしれない。それに対して印象派のピサロは、モティーフを元にした物語性を配して、画家の目に映った農村の風景や農民を描いた。
このへんは印象派と印象派以前の根本的な違いかもしれない。印象派以前はあくまで田園と農民の生活をモティーフとして扱い、絵画の需要層である都市富裕層に、田舎はこんな感じという了解可能な図像を示した。
印象派は同じ題材をもとに画家の視覚・主観を通した風景の一瞬を切り取ってみせた。それは自然を写し取った写実性とは異なる、画家の主観により視覚的再構成。ここでもある種、絵画の永遠のテーマともいうべき構図や形態と色彩の相違みたいな部分の近代的な展開があるのだろうか。不勉強、半可通につきなんとなくの思いつきをうまく展開できないので、この話はここで終了。
ピサロのこの絵は普通に美しく気に入っている。しかしなぜにレジェやリキテンシュタインの中に置くのか。
ジャクソン・ポロックのアクション・ペインティングの秀作が観ることができる。いわゆるドリッピング(滴らせる)やポーリング(流し込む)によるシリーズの一つ。ポロックはメットにある《秋のリズム》に魅せられてから、ずっと好きな画家・作品の一人だが、いわゆるアクション・ペインティングの作品にはなかなか国内でお目にかかることが難しい。7年前にこの作品を観たときにはけっこうな驚きがあった。今回、久しぶりに観てちょっと嬉しくなった。
意味の解読というか、そういうものはこの手の作品には不要だと思う。いろいろ深層心理的なものを含めての解読しても多分そんなもんじゃないということになってしまうかもしれん。まさしく「考えるな、感じろ」的作品だ。
ポロックは絵画制作にあたって様々な試行錯誤を繰り返す。そこで彼は行きついたのは、「すべてピカソがやっている」だったとか。そして西洋絵画の到達点としての脱ピカソの方向性がこのアクション・ペインティングだったとか。なんというか、凡人にもそういう部分だけはわかるような気がする。
どうでもいいが、日本画でほぼすべてをたらし込みによる抽象画とかってあるだろうか。それはそれでアクション・ペインティングっぽいけど、どうだろう。多分、きっと誰かがもうやっていそうな気がしないでもない。多分、やっているな。






この一室、壁面すべてに展示されたこのモノトーンの壁画に囲まれていると、たしかになにか一種独特な「崇高」とか「畏怖」、「荘厳」のような美的というよりも宗教的な視覚体験をしているような感じになる。なんだかよく判らない美的体験のようなもの。何時間でも多分、いようと思えば丸々一日、この部屋に中央に用意されたソファに座っていられるような感じである。
なんとなく、そのまま壁画の向こうに引きずり込まれるような気がしてくる。もし音楽を流すとすれば「2001年宇宙の旅」でモノリスと対面するときに流れる音楽、リゲティの《レクイエム》とかだろうか。
どうもそっちの世界に引き込まれそうなので、あくまで凡人の卑俗な世界に戻るべく、マーク・ロスコの《シーグラム壁画》をモノトーンの抽象曼荼羅、あるいは抽象祭壇画と命名する。