メトロポリタン美術館展再訪 (3月7日)

 国立新美術館は月曜営業しているということを先週知った。定期通院の後、午後は空いているし、せっかく都内に出てくるというのでメトロポリタン美術館展に行くことに決めて前日ネットで予約を入れた。先週の木曜日に行ったばかりなので、4日ぶりの再訪である。まあそれだけ気に入った展覧会ではあるのだけど。

メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年|2022年2月9日(水)〜 5月30日(月)国立新美術館

 前回の感想を長々書いているので、今回はまあある種補遺みたいな感じになるか。

メトロポリタン美術館展-西洋絵画の500年 (3月3日) - トムジィの日常雑記

 今回の展覧会、メトロポリタン美術館からの出展65点(うち46点日本初公開)ということで、それこそフラ・アンジェリコラファエロ、カラヴァッジョ、ベラスケス、ルーベンスから近代のクールベ、マネ、モネ、ルノワールゴッホゴーギャンまでを網羅している。まさに西洋絵画の500年に相応しい内容でもある。

 でもちょっと考えてみたら、この規模の作品を我々は日常的に観ることができるんじゃないかと思った。今は長期休館中の上野の西洋美術館はまさに西洋絵画の500年、ルネサンスから現代までの名品が沢山展示してある。ルーベンス、ティッチアーノ、フェルメールに帰属が期待される作品もあれば、同じ作品点数が少なく希少性のあるラ・トゥールもある。近代はモネの所蔵点数も多いし、マネ、ルノワールピサロシスレーセザンヌ、ファン・ゴッホゴーギャン、さらにはラファエル前派、ナビ派、エコール・ド・パリなども。それを思うと休館して1年以上になるだけに、西美ロスを日々感じていたりする。

 もう一つ、八王子の東京富士美術館の常設展も「西洋絵画の500年」をうたっている。2017年だったか蔵出し企画として「とことんみせます!富士美の西洋絵画展」を開催したけど、所蔵作品の中から275点を展示したのは圧巻でもあった。あのときは海外の美術館でよくあるような壁面に上下2点展示するようなボリューミーなものだった。

東京富士美術館 - トムジィの日常雑記

 これにポーラ美術館の近代美術をあわせれば、西洋絵画の体系的な鑑賞がけっこう日常的に出来るのではないかと思ったりもする。だからといって今回のメトロポリタン美術館展を価値が減じることはないし、5月末までの会期中もう1~2回は行きそうな予感があるくらい気に入った展覧会だとは思う。

「シャボン玉」シャルダン

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 シャルダンというと反射的にエイを思い出す。エイが置いてある台所を描いた静物画。てっきり17世紀のオランダ絵画の人ってずっと思っていたのだが18世紀フランスの人。この人がロココ時代の画家として括られるのが今一つ合点がいかない。ロココというと今回の展覧会でも出品されているけど、ヴァトー、ブーシェフラゴナールの雅宴画みたいな華やかなものを思い描く。ヴァトーはちょっと異なるようなきがするけど、ブーシェフラゴナールと時代が下るとともに軽薄になるような印象もある。それにひきかえシャルダンはというと、もう絵の雰囲気からなにからまったく異なる。

 シャルダンは庶民の生活や生活や家庭の日常を描いた風俗画として知られているけれど、雰囲気としては写実主義の走りみたいな感じもする。やっぱりオランダの風俗画の流れだろうか。もう一ついえばゴヤロココとして括られるのも納得いかない。同時代というだけのような気もしないでもない。18世紀絵画をロココという時代区分でまとめるのはどうなんだろうと思ったりもする。

「レディ・スミスと子どもたち」(ジョシュア・レノルズ)

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 子どもを可愛く描かせたら天下一品と密かに思っているジョシュア・レノルズ。この人も18世紀だからロココ期のイギリス画壇の人っていうことになる。モデルのスミス婦人の本名はシャーロット・デラヴァル、子どもたちはジョージ・ヘンリーとルイーザ、シャーロット。右側の黒髪の女の子の愛くるしさは半端ない。多分シャーロットの方だろうか。

 レノルズというと可愛らしい女の子を描いた「マスター・ヘア」という作品がある。ルーブルにあるらしいが、自分は大塚国際美術館の複製画で観たのだが、キャプションによると可愛い女の子は実は男の子で、当時のイギリス上流階級では男の子にドレスを着せて可愛く着飾らせるのが流行っていたのだとか。その流れでいうと、この絵を観てなぜ男の子が男の子のかっこをしているのだと、なんか訳のわからんことを思いついた。どうせなら三人ともドレス着せちゃえばいいのにと。そのうえでキャプションに、誰が男の子でしょうみたいな謎かけでもあれば面白いとか思ったりして。

「信仰の寓意」ヨハネス・フェルメール

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 フェルメールの寓意シリーズはこの「信仰の寓意」と一般的に「絵画芸術」として知られる「絵画の寓意」の二作がある。本作には宗教的(キリスト教の)な様々なモチーフがちりばめられていて、いささか情報量が多すぎるように思う。

 自分はもともとあまりフェルメールを評価していないというか好きではない。17世紀オランダ絵画の中での一風俗画家くらいにしか思っていないのだが、写実性、空間構成、光による陰影表現、さらにその寡作な点などからも非常に評価が高い。そして日本でもとても人気がある画家の一人だ。今春の大型展覧会では、上野の「フェルメール展」とこの国立新美術館での「メトロポリタン美術館展」にそれぞれ一点ずつフェルメールが来ているという言い方さえあるようだ。自分もSNSでそんなことを言っている方をみたような気がする。

 しかしこの「信仰の寓意」はどうか。構図、構成には非凡なものを感じないでもないが、とにかくモチーフが過多で、モデルの女性は地球儀に足乗せるは、おまけに室内なのに石に潰されたヘビまでいるのか。もう訳がわからないというか、とにかく雑多過ぎると思う。

 それぞれのモチーフにはもちろん寓意としての意味があるようで、図録やウィキペディアの記述などにもそれぞれの意味性が解説されている。

信仰の寓意 - Wikipedia

 フェルメールはこの絵を描くにあたって、チェーザレ・リーバの著作『イコノロジーア』を参照したらしく、以下のモチーフはリーバによるもののようだ。

・女性の着るドレスの白は純潔、青は天国を表している

・女性が地球儀に足を置いているのは、カトリック教会が世界を支配することを示唆

・女性が胸元に手を置いているのは信仰が心にあることを表す

・ヘビは悪魔を意味し、キリストの隠喩とされる教会の「隅の親石」に押し潰される

・床に転がるリンゴは原罪(イブがアダムに与えた) を意味する

 現代の美術教師が、もし学生がこうした絵を描いてきたら、もう少しモチーフを整理しなさいと指導するのではないか。まあ適当に思っただけだが。

 この作品はフェルメールの作品の中ではあまり良い評価がないようだ。この絵は1899年にオランダ人美術史家アブラハム・ブレディウスが購入した。しかしブレディウスはこの絵を気に入っておらず1907年に売却している。彼はこの絵を「大きな、不愉快な気分ににさせるフェルメール」と称していたという。この言葉がすべてを物語っていないだろうか。

「三等客車」(オノレ・ドーミエ

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 リトグラフによる風刺画で社会批判を行い投獄されたこともあるドーミエは、油彩画で写実主義の先駆となったという。この作品では三等列車の車内を描いているが、冬の三等列車での旅はかなりハードだったようだ。というのは窓にガラスはなく吹き曝しだったからで、ドーミエは三等客車での旅を題材した風刺画も描いているが、そこには車内にも吹き込んでくる雪が描かれていて「冬の間、乗客は三等客車の良さがだんだんと分からなくなってくる」というキャプションがついている。

 油彩画の「三等客車」は同じ構図、人物配置で二点制作されていて、完成度の高い作品がカナダ国立美術館にある。このメトロポリタン美術館のものは、下絵の層が露出しておりそこには細い輪郭線が強調されているうえ、人物の部分には下絵にマス目がひかれているのが見えている。そうした点からもこの作品は未完成なものとする批評家もいるという。

 全体として暗く重苦しい雰囲気で社会的貧困を描いているようにも思えるが、この時代の貧困層は汽車の運賃を払うこともできないほどに困窮としており、乗っているのは中間層であるとは図録の解説に記述してある。

 まったくの余談になるが、ドーミエ自然主義バルビゾン派の一人ともいえるコローと仲が良く、彼が晩年に家を購入する際には、代金をコローが援助したという逸話がある。