夕食後、なんとなくアマゾンプライムの洋画リスト見ていて発見。時間は11時少し前、長い映画だとは知っているので、飽きたらやめようと思って観始めたら意外といけちゃいました。
1984年とおよそ36年前の作品、しかも上演時間が 3時間49分(229分)である。
ある時期上演時間が長い映画は名画みたいな風潮があったし、自分もうん十年前の映画小僧の頃にはそういう長い映画を有難かったがって観ていた時期もある。でも3時間超えの映画は映画館の椅子に座っていてもお尻が痛くなってもぞもぞしながら観るのが常だった。と、諸々思い出す。
自分が観た映画の中で上映時間が長かったやつを幾つか思い出してみる。
「旅芸人の記録」 230分 テオ・アンゲロプロス監督
「ルートヴィッヒ」 237分 ルキノ・ヴィスコンティ監督
「風と共に去りぬ」 222分 ヴィクター・フレミング監督
「ベンハー」 212分 ウィリアム・ワイラー監督
「ゴッドファーザーⅡ」200分 フランシス・フォード・コッポラ監督
「アラビアのロレンス」227分 ディヴィッド・リーン監督
「ドクトル・ジバゴ」 197分 ディヴィッド・リーン監督
圧倒的な退屈度、もとい尻の痛み&途中寝落ち度でいうと「旅芸人の記録」と「ルートヴィッヒ」が断トツかもしれない。娯楽映画かどうか芸術映画かどうかによってもそれは異なる。あとはお話の面白さや演出のテンポなども。180分以内の映画でもタルコフスキーの「惑星ソラリス」とかはけっこうしんどかった。寝落ちや尻の痛みによるもぞもぞなどなど。
ここにあげた映画でも「旅芸人~」「ルートヴィッヒ」以外は寝落ちなしにけっこう観れたような気がする。う~む、「天国の門」、「ドクトル・ジバゴ」は途中懸命に睡魔と戦った記憶がなきにしもだ。
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」はどうか、これが面白くてすんなり観ることができた。もっともこの映画はうん十年前に何度か観ている。なのに観続けていてもちっとも思い出せない。もうほとんどどのシーンも忘れている。唯一覚えていたのは車中でのレイプシーンか。多分、一般的な娯楽映画としては異例なくらい長回しで延々としかもリアルに描かれる車中レイプシーン。あれは後味の悪さだけが残る最悪シーンとして記憶にインプットされていたみたい。
映画は公開当初からけっこう話題になり、30年越しの謎解き、どんでん返しなど、ギャング映画でありながらミステリー要素のある一大叙事詩として喧伝されていたように記憶している。監督はマカロニウェスタンの巨匠セルジオ・レオーネ。音楽はエンニオ・モリコーネで、古いポピュラーソング「アマポーラ」が劇中効果的に使われていて、この曲は映画のイメージソングにもなり、多くの歌手がカバーした。一番ヒットしたのは沢田研二のものだったか。
映画はユダヤ系マフィアの物語。ユダヤ系移民の少年たちがギャングとなり、禁酒法時代に栄華を誇るが禁酒法の終焉と共に盛衰する。そして裏切りと死、それから30年後にあかされる衝撃の真実・・・・・・・・。
ギャングもの、マフィアものという意味では、どうしてもコッポラの「ゴッドファーザー」と比較されてしまう。両方にロバート・デ・ニーロが出演しているということもあるし。もともと「ゴッドファーザー」の監督はレオーネにオファーがあったが、レオーネはそれをけったのだとか。そのため脚本を書いていたコッポラに白羽の矢が当たったとか。
とはいえ「ゴッドファーザー」がまさしく叙事詩というか、イタリアンマフィア・サーガというか、文芸大作っぽいのに対して、「ワンス・アポン~」はどこかB級感が漂う。そしてよりギャング映画のリアリズムが際立っていて、彼らのやっていることが物理的な暴力=強盗、拷問、殺人、レイプであるということが直截に表現されている。このへんの趣向性が多分この映画の好き嫌いを分けるところかもしれない。自分はというと、前述のレイプシーンを含めてあまり暴力シーンとかを好まないところもあるのでそのへんはちょっとマイナスである。
長い長い謎解きとどんでん返しはどうかというと、なんかそこは別にどうでもいい感じで観ていける。ある部分、デ・ニーロの演技とカット、シーンごとの演出や雰囲気だけでけっこう観ていられるような気がする。
物語は少年たちの出会い、不良として悪に手を染めるまでを描く1920年代、彼らがギャングとして成り上がっていく1930年代、そして裏切者の主人公がニューヨークに戻ってくる現代-1960年代が交互に脈絡なく描かれていく。このへんの演出をどう評価するか。
自分は同じように過去と現代を交互に描く設定でいえば、コッポラの「ゴッドファーザーⅡ」の方が好きである。あの映画では跡目を継いだマイケル(アル・パチーノ)の現代と、若き日のヴィトー(デ・ニーロ)がゴッドファーザーとなっていく過程が交互に描かれているが、それぞれのシークエンスが長くてストーリーが完結している。あの二つの時間軸を長大に描くところが文芸大作的に成功していた。
それに対して「ワンス・アポン~」はというと、それぞれのシークエンスが急に場面転換して訪れる。映画の演出法としては進取なものを感じないでもないし、謎解き、ミステリー的な手法かもしれないが、それが成功しているかどうかというと微妙である。
まあはっきりいうけど、レオーニはマカロニ・ウェスタンなどのB級アクション映画の監督である。それがいきなり長大な大作、しかも時間軸を駆使したストーリーを作ろうとしたのである。それってちょっと無理があるのではと思わないだろうか。各シーンの面白さは確実にある。でもそれと長い時間軸のある種の大河ドラマとしての完成度は別のような気がする訳。ぶっちゃけテレビドラマにして少年時代、青年時代、そして現代みたいな3部作にした方が良かったのではないかと思ったりもする。
この映画、当初公開されたバージョンでは、制作会社が観客への受入れやすさを考えて時系列に編集して144分と大幅に時間を短縮させ不評を買ったとか。1時間も短縮したら時系列揃えても辻褄もあったものではないだろうか。それが完全版として再編集されてから評価が高まったという。でもその評価はちょっとどうかと思う部分もあるかもしれない。
この映画、タランティーノとかが気に入っているというけど、多分過激な暴力シーンとかそういう部分もあるかもしれない。そういうところでいえば、例えば北野武なんかもけっこう好きかもしれない。確かにカットやシーンごとのテンポのある演出とかは実際面白い。暴力シーンが唐突かつ無機的というか情緒性なしに描かれているところとかも、多分のちにけっこう影響与えているのかもしれない。
さらに突っ込みを入れれば、この映画はユダヤ系マフィアの話なんだが、出ている役者のせいかユダヤ系という感じがあまりしない。デ・ニーロもイタリア系だし、脇役出演のジョー・ペシ、バート・ヤングもイタリア系。ギャング映画、マフィア映画というとこういう人が使われるのだろうけど、もう少しユダヤっぽい人使ってもみたいな気がした。
あとこの映画を同じ長さでより文芸大作っぽく撮るとなると、たとえばベルトリッチあたりが撮っていたらどうなっただろう。多分、確実に寝落ちしただろうかな。それを思うとセルジオ・レオーネはやっぱりエライかもしれない。意味不明な3時間超えの映画をきちんと観せてしまうのだから。
とりあえず長丁場の映画を観終えてのは未明の3時少し前だったか。まあ寝落ちすることもなく観ることができたというだけで、この映画はそれなりに評価していいのかもしれないし、まあまあ面白かった。でもあえていえばやっぱり3時間49分は長過ぎる。
この映画の謎解きレビューは以下のものを読みました。
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ 解説① 夢と現の狭間: ちょっと見てみよう
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ 解説② アウトサイダーの帰郷: ちょっと見てみよう
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ 解説③ 探偵ヌードルズ: ちょっと見てみよう
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ 解説④ screw: ちょっと見てみよう
ワンス アポン ア タイム イン アメリカ:長所と短所がそれぞれ際立つ作品 - Hail and Farewell