『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』を観た

 アカデミー賞7冠を達成した話題の映画『エブリシング・エブリエウェア・オール・アット・ワンス』(『エブエブ』)を昨晩観てきた。

映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』公式サイト

(閲覧:2023年3月14日)

アカデミー賞7冠

 昨日、Twitterのタイムラインをつらつら眺めていたら、アカデミー賞受賞のニュースが流れてきた。助演男優賞、主演女優賞、監督賞などなど。そしてあれよあれよという間に7冠である。

作品賞:『エブリシング・エブリエウェア・オール・アット・ワンス』

監督賞:ダニエルズ(ダニエル・クワンダニエル・シャイナート

脚本賞:ダニエルズ(ダニエル・クワンダニエル・シャイナート

編集賞:ポール・ロジャース

主演女優賞:ミシェル・ヨー

助演男優賞:キー・ホイ・クワァン

助演女優賞ジェイミー・リー・カーティス

 監督のダニエルズことダニエル・クワンダニエル・シャイナートの二人は、あの訳の判らない『スイス・アーミー・メン』を撮った監督らしい。『ハリー・ポッター』のダニエル・ラドクリフが十得ナイフのように便利な死体となって漂流者と共同生活するという不思議なコメディ映画。いちおう公開当時に観たけどよく判らんかった。この監督チームの一人クワンは香港出身のアジア系。

 アジア系として初めて主演女優賞を取ったミシェル・ヨーは中国系シンガポール出身の女優。ボンド・ガールやカンフー映画などに多数出演してきた現在60歳、長いキャリアを持つ。受賞スピーチで、自分のようなキャリアが一度終わったような俳優にもチャンスはある、みたいなことを語って感動を誘った。

 さらに助演男優賞キー・ホイ・クァンは、あの懐かしい『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』でインディ・ジョーンズの助手をしていた中国系の少年役である。もうあの映画から40年近くの歳月が経っているのである。キー・ホイ・クァンベトナム出身の中国系移民。子役として成功したが、その後は俳優として大成せず、武術指導やスタントなど裏方に回っていたのだとか。

 監督、主演女優、助演男優とアジア系の受賞が続くなど、ハリウッドの多様化の表れともいえるかもしれない。この流れは韓国映画『パラサイト』や中国人女性監督として『ノマドランド』で初めて監督賞を受賞したクロエ・ジャオらの流れが続いているということなのかもしれない。

 そして助演女優賞ジェイミー・リー・カーティスは、自分のような古いファンからすると、往年のスター、トニー・カーティスと美人女優ジャネット・リーの娘として記憶している。彼女をきちんと意識したのは『ワンダとダイヤと優しい奴ら』(1988年)だったか。『モンティ・パイソン』のジョン・クリーズマイケル・ペイリンが出演したコメディでその二人を上回る怪演ぶりだったケヴィン・クラインがアカデミー助演男優賞を受賞している。そんな曲者揃いの俳優陣の中で紅一点異彩を放っていたのが、彼女だった。そんな彼女も64歳、長いキャリアの中でようやくオスカーにたどり着いた。

そもそも『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』って?

 でもって、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』ってどんな映画かと検索したてみると、これがもう訳が判らない。

ウィキペディア

エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス - Wikipedia

(閲覧:2023年3月14日)

コインランドリーや家族の問題と、トラブルを抱えるエヴリン。ある日、夫に乗り移った"別の宇宙の夫"から世界の命運を託されてしまう。そして彼女はマルチバースに飛び込み、カンフーの達人の"別の宇宙のエヴリン"の力を得て、マルチバースの脅威ジョブ・トゥパキと戦うこととなるが、その正体は"別の宇宙の娘"だった。

 そもそも今日の朝日新聞の記事を見てもこの映画の紹介はこんな感じである。

エブエブは、コインランドリーの経営に悩む中国系移民エブリンが、カンフーの達人の能力を得て様々な宇宙を飛び回り、悪の手先を退治するアクション・コメディー。奇抜な展開のなかで家族の愛情も描かれる。

躍進、アジア系俳優 アカデミー賞、主演女優・助演男優賞 「エブエブ」作品賞など7冠:朝日新聞デジタル (閲覧:2023年3月14日)

 カンフーもので宇宙を飛び回り・・・・・・、スペース・カンフー・ファイター? なんのこっちゃ。これがヤフー・ニュースあたりだともう少しイメージが湧く。

アメリカで破産寸前のコインランドリーを経営している中国系移民の主人公(ミシェル・ヨー)が、ひょんなことからマルチバース(並行世界)に意識を飛ばすことができるようになり、カンフーマスターをはじめとした“別の宇宙の自分”の力を得て悪と対峙する姿を描いた同作。ハチャメチャなSFアクションコメディーでありながら家族の感動的なドラマでもあり・・・・・・

作品賞は『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』!最多7冠でオスカー席巻:第95回アカデミー賞(シネマトゥデイ) - Yahoo!ニュース

(閲覧:2023年3月14日)

 まあ一番詳しいのは英語版ウィキペディアかもしれない。

Everything Everywhere All at Once - Wikipedia (閲覧:2023年3月14日)

 そしてそもそも「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」ってどんな意味だろうか。

 グーグル先生の翻訳によれば「すべてを一度にどこでも」

 ついでにDeepleの翻訳だと 「いっさいがっさい」

どうもマルチバース(多元宇宙)の話らしい

多元宇宙論(たげんうちゅうろん、英: multiverse)またはマルチバースは、複数の宇宙の存在を仮定した理論物理学の説である。多元宇宙[1]は、理論として可能性のある複数の宇宙の集合である。

多元宇宙論 - Wikipedia (閲覧:2023年3月14日)

マルチバースとは何か?
ユニ(1つ)バースに対し、マルチ(複数)バースとは、観測できない別の宇宙が存在するという概念を示す科学用語だ。マルチバースの存在を提唱する科学理論には、絶え間なく誕生する泡宇宙から、私たちの宇宙とは異なる世界線にある空間領域まで、そのシナリオは多岐にわたる。

マルチバース(多元宇宙)に2つの仮説 ユニ(1つ)バースとの違いは? - 日本経済新聞 (閲覧:2023年3月14日)

 マルチバース(多元宇宙)、ようするに我々が今、存在している世界=宇宙とは別に並行して存在する宇宙があり、そこには今の自分とは異なる自分が、自分たちが生活する社会、国家があるという学説である。そしてより平たくいえば、自分の可能性、かって選んだ分岐での決断、たまたま岐路で選んだ、選ぶことを余技なくされたことによって、別の自分、別の人生といった可能性が別次元で存在していく。それは選択肢によって無限に分裂していく。

 例えば受験に成功した自分、失敗した自分。選んだ、あるいは選ばざるを得なかった就職先とそこからの人生。結婚という選択、選んだ結婚相手と選ばなかった相手との人生などなど。

 それらの分裂した世界が並行して存在していたらどうか。そしてその多元的な世界がもしも交錯したらどうなるのか。

そして実際に「エブエブ」を観た

 ということで実際に「エブエブ」を近所のシネコンで観てみた。我ながらミーハーなジイさんである。しかし歩いて10分ほどの場所にシネコンがあるというのは、ディープ埼玉の田舎町ながら、まあこの一点だけは有難い。ネットで上映時間を調べると最終回が20時25分からという。ちょうどデイから帰ってきた妻に映画を観に行くと話すと「私も」ということになり急遽一緒に行くことに。妻には、多元的世界で中国系女性が活躍するSFカンフー映画とだけ説明したけど、多分まったくイメージわかないようだ。まあ当たり前だ。

 映画の前にまずフードコートで夕食。妻は本格カレー、自分はインド風ヤキソバ、チョーミンで腹ごしらえ。

 そしていよいよ観た「エブエブ」は。

 主人公でコインランドリーを経営する中年婦人エブリンは悩みが多い。コインランドリーの経営はうまくいっていない、今は税金の申告のため集めた領収書と格闘中。駆け落ちして結婚した夫は優しいが優柔不断で頼りにならない。車椅子生活の父親は古い家父長的で存在でその頑迷さはエブリンを悩ませる。そしてもう一人エブリンを悩ませているのは、大学も辞め定職にもついていないこじらせ女子の一人娘。彼女はゲイで女性と付き合っているが、エブリンは二人の交際を認めたくない。

 何一つうまくいかない彼女は夫と車椅子の父親を伴って税務署に行く。父親を連れていくのは、なんとか自分たちの大変さ、同情を買おうということから。でも監督官は容赦なく領収書の不備を指摘する。厳しい監督官の指摘の中で、エブリンの頭は混乱し始める。すると優柔不断で役に立たない夫が急に性格が変わり、自分は別の世界からやってきたとエブリンに告げ、多元的世界の混沌の中で危機に遭っている。危機を救うため、エブリンに混沌を作り出した脅威の存在ジョブ・トゥパキと闘うようにと説得する。

 状況をつかめないままエブリンは多元的世界を移動し始める。エブリンは別の世界では、カンフーの達人であり、また別の世界では世界的な女優でもあり、また別の世界では夫とは別の相手と結婚していて、さらに別の世界では意識をもった岩となってみたり・・・・・・。

 そして多元世界を移動=ジャンプするなかで、混沌を作り出す敵の正体=ジョブ・トゥパキが別の世界で存在する自分の娘であることが判り。そしてイブリンはトゥパキとの闘いではなく、彼女を混沌の淵から連れ戻そうとする。

 映画は税務署での監督官のやりとりから急に目まぐるしく多元宇宙としての別世界を移動しながら激しいカンフー・アクションで闘うSF映画となる。たしかにこれはぶっ飛んでいる。

 しかしこの多元世界とは何か。これはコインランドリー経営がうまくいっていない、頼りにならない夫、偉そうで頑迷な父親、いつまでたっても反抗的で対立する一人娘、そんななにからなにまでうまくいかない中年女性の妄想的世界の有り様ではないのか。すべてに渡ってうまくいかない現実、それに対してもし自分が人生の岐路に立ったときに違う選択をしていたら、今自分はまったく違う世界で違う人生を歩んでいなかっただろうか。

 誰しも思うそんな妄想。人生の秋にさしかかった中年女性の憂愁。それが多元的世界として現在のシビアな現実と交錯する。そこで妄想世界に浸りきるのか、あるいは現実世界を変えよりよいものにしようとするのか、その葛藤が多元世界をジャンプしながら繰り広げるカンフー・アクションとなってスクリーンで展開される。

 そして最後にはこじらせ女子の娘と和解し、夫との人生、コインランドリーの経営者としての人生を前向きにやり直そうとしていく・・・・・・的な。大とまではいかないが円団的な結末へと。

 しかしなんでこんなにまで激しいストーリー展開、多元的世界の目まぐるしい移動という演出、ジェットコースター・ムービーのような仕掛けが必要なんだろう。これってひょっとして今のアメリカ映画全般、マーベルだのVFXだのへの皮肉、大掛かりなジョーク、笑かしなんではないのか。

 とはいえ単なる中年女性の憂愁や母と娘の葛藤劇であったとしたら、アカデミー7冠、大ヒットみたいな展開はあり得なかっただろう。ようは日常的なテーマを思い切りSF的な仕掛けとさらにアジア系のスタッフ、俳優たちということで、判りやすいカンフーという道具立てをしたジェットコースター・ムービーに仕立て上げたということ。それがヒットの最大の理由なのかもしれない。

 しかし難儀な世の中になった。もはや人生の葛藤、親子の愛憎劇も、複層的なドラマ、かつSFや壮大なアクションを混ぜないと、大衆受けされないような時代なのかもしれない。かってタルコフスキーゴダールが難解な映画を作ったけれど、21世紀にあっては彼らもよりインパクトの強いSFアクション仕立ての映画を作ったかもしれない。

 とはいえこの映画、個人的にどうだったか。面白かった。若干難儀なところもあるが、特にだれることなく観終えた。いや、これは怪作である。演出、俳優の演技、すべてが一級である。

 映画は導入部で目まぐるしいアクションも展開される第一部「Everything」とより内省的で多元世界でイブリンが娘と様々な葛藤劇を繰り広げる第二部「Evrywhere」、そして再び現実世界に戻って解決策を得ようとする短い第三部「All at once」という構成から成っている。

 第一部の終わりとともに疑似的なエンド・ロールが流れる。それがしばし続くため、なんとなく「ええ、ここで終わるの」的な困惑が生じる。そしてようやく予定調和的に第二部が始まり、ほっとする。しかしだ、もし第一部で映画が終わっていたら、この快作はより難解な名作となったかもしれない。そう多元的世界は不条理なままなにも解決されないのである。いや自分の中で本当にここで終わってもいいかなと、そう思った節もあるのだったりして。

 第二部の娘と関わりの中で、さらなる別世界でイブリンと娘が岩に変身し、断崖絶壁の前で会話するシーンがある。二人の会話に音声はなく会話は字幕で表示される。そう映画的文法としてここではサイレントという古風な技法も使われる。この映画には映画の文法、技法も駆使されているのだ。

 この映画のスピンオフとして、岩同士の会話だけで成立する映画の可能性は。なんかとんでもなく詰まらない妄想を逞しくしてみたりもする。この映画にはさらなる可能性、話のタネが詰まっている。多元的宇宙を描くとはそういうことなのかもしれない。

 さてと、観終わってから凡人がありきたりに思うことは。自分にとっての多元的世界は存在しているのかどうか。もし違う親から生まれていたら。別の大学に行き、別の仕事を選び、別の相手と結婚し、別の子どもがいたら・・・・・・。人生の様々な分岐によって異なる世界が現出し、そこに生きる自分がいる。異なる世界が、異なる自分が交錯したら・・・・・・。