ランボーを初めて観る

 

ランボー (字幕版)

ランボー (字幕版)

  • メディア: Prime Video
 

 『ランボー』をプライムで観た。実はこの有名なシリーズを一度も観たことがなかった。好戦的な作品というイメージが強くそれを敬遠したのかもしれない。1982年の作品、その前年にはレーガンが大統領となり、アメリカを、世界を保守的ないわゆるニューライトが風潮が覆った時代だ。日本も確か中曽根が政権を取っていた時代だ。

 シルベスター・スタローンはそれ以前に『ロッキー』の大ヒットで知っていたし、アメリカン・ドリームを体現したようなあの映画をもちろん楽しんだ方だ。でも、『ランボー』にはなぜか食指が動かなかった。世界と日本を覆った保守的な雰囲気と多分社会人成りたての頃で、味気ない仕事と日常生活にイラついていた頃だったのだろうと思う。映画は沢山観ていたが、反動的な雰囲気を持っていた映画を観る気にはならなかったということだ。

 しかし実際に観てみるとずいぶんと雰囲気が違う。映画は重苦しく、これは好戦的で観るとすっきりするようなタイプのアクション映画ではない。これはベトナム帰還兵の戦争で受けた心の傷と市民からの迫害を描いた映画である。

 戦友を訪ねて放浪する傷心の元兵士を地域社会は余所者として排除しようとする。それに反抗した元兵士は地元警察に捕まり迫害を受け、それに耐えかねて脱走し山に逃げる。警察が彼を追跡し山狩りを行う。しかし元グリーンベレーの強者にとって山の中は彼の得意とする戦場であり、たった一人で警察や州兵を相手に戦闘を繰り広げる。

 最後、山から下り、町の中で警察署に侵入し、彼を迫害した警察署長に重症を負わせ、そのままたて籠る。彼を一流の兵士に鍛え上げた上官が現れ投稿を説得する。彼は自分たち兵士がいかに傷つき、迫害を受けてきたを泣きながら訴え最後に投降する。

 なんともやるせない映画である。これはベトナム戦争終結とともに沢山作られた兵士たちの心の傷と、帰国しても日常生活に復帰できない姿を描いた作品群の一つなのである。ベトナム戦争終結が1975年。帰国した兵士たちを描いた映画としては、『ローリング・サンダー』(1977年)、『帰郷』(1978年)、そしてその集大成ともいうべき『ディア・ハンター』(1978年)などがある。

 それらに比べて『ランボー』には映画的な深みに欠けるとは思う。シルベスター・スタローンの演技にもベトナム帰還兵の苦悩を表出させるには演技力が乏しい。しかしそれとは別に彼の強靭で見栄えのする肉体と激しい戦闘アクションは、ベトナム以後のアメリカの苦悩とは別の意味合いがあった。それは戦闘のプロ、世界の警察菅と化したアメリカ軍の戦闘マシーンを体現した部分だ。

 この映画の小ヒットの後に続編として『ランボー/怒りの脱出』(1985)、『ランボー3/怒りのアフガン』(1988)が作られ、シルベスター・スタローンはアクション俳優として一世を風靡する。さらに『ランボー/最後の戦場』(2008年)、『ランボーラストブラッド』(2019年)が作られる。最後の二作は昔の名前で出ていますみたいな作品であり、興味をひくものではない。やはり最初の三作ということだ。

 一作目のベトナム戦争の敗戦と帰還兵の悲劇という設定から、二作目、三作目では世界の警察として共産主義と戦うアメリカ軍の象徴としての万能な戦闘マシーンへと変化していく。レーガンアメリカと共に変質していったということだ。

 この第一作は暗く、戦争に負けたアメリカの内向的で閉塞的な社会とそこに異質な存在として戻ってきた敗残兵のその後という暗い、どうしようもなく暗い世界の中で、内向きな救いのない戦闘が描かれている。そこには一切のカタルシスがないのだ。

 投稿したランボーのための鎮魂歌ともいうべき曲はおそらく同じ年に大ヒットしたビリー・ジョエルのアルバム『ナイロン・カーテン』収録の『Goodnight Saigon』かもしれない。


Billy Joel - Goodnight Saigon (from Live at Shea Stadium)