「弱い」立場にならないと「弱い人」は見えてこない

 昨日の朝日新聞文化・文芸欄に批評家若松英輔が一文を寄せている。先週の藤原辰史の寄稿も興味深かったが、若松の文章も自分にとっては新型コロナという状況とは別に考えるべき点が多かった。

「自他の『弱さ』認める時

 若松は新型コロナウイルスという未知なるウイルスの万円を契機に世界が複合的な危機状況にあるとする。その中で危機の本質は身体的なものだけではなく、我々の人間関係における「弱さ」に起因しているカタル。

 むしろ、危機は、これまで社会が、見て見ぬふりをしてきたものに起因する。見過ごしてきたもの、さらにいえば、ひた隠しにしてきた、その最たるもの、それが「弱さ」だ。

  そして感染症の拡大の要因は、医療体制の不備や医療物資の不足だけでなく、「社会的、経済的に『弱い』立場にいる人たちへの支援が十分に行われてこなかったこと」にありそれが社会全体の危機につながっていると展開する。

 危機は社会システムの弱いところ、弱者に集中する。それは前週に藤原辰史が論じたことと同様である。弱者や弱い部分への想像力があるかどうか、それが必要であるというのが自分の率直な感想だ。それに対して若松は単に相手の立場を思いやるだけではなく、その立場に立つことの重要性を強調する。

 「弱い」立場に立ってみなければ「弱い人」は見えてこない。さらにいえば「弱い人」の多くは、人の目の届かないところにいる。

  そう、この言葉に自分は大きく反応した。そのうえでさらにいえば、「弱い」立場に立つだけでは見えないことがあるということ。それは自分が実際に「弱い」立場になってみなければわからないことが多数あるということだ。

 もうこの雑記では繰り返し繰り返し書いてきていることだし、この雑な身辺雑記を続けてきたのは自分の体験してきたこと、その時に感じたことをとにかく記録しておこうという、ただそれだけ、そのモチベーションだけで10数年続けてきた。

 それは妻の病気のことである。15年前に妻は脳梗塞で倒れ左半身不随の身障者となった。それまで脳卒中=脳血管障害についてはありきたりな知識しか持ち合わせていなかった。しいていえば30年前に父がクモ膜下出血で急逝したこともあり、人よりは意識している部分があるとは思う。あの時、医師は父の病状を説明して、一晩もつかどうか、もし奇跡的に回復しても植物人間と告げた。それでもいいから父を生かして欲しいと願ったが、父はその晩に亡くなった。

 そして妻の脳梗塞である。都内で食事中に倒れ都内の病院に緊急搬送された。小さな子どもを連れて家から向かったが、かなりの重篤状態で医師は危険な状態にあること、回復しても寝たきり状態、よくて車椅子と告げた。その時はほとんどパニック状態で真夜中、病院の中庭に出て呆然としていた。涙が止まらなくなり、声に出して泣いた。

 その後、急性期リハビリを経て6ヶ月後に家に戻った妻は、杖や伝い歩きで短い歩行ができるまでには回復した。いわゆる高次機能障害は残っているが、それもかなり改善されたのではと思っている。

 妻を車椅子に乗せて散歩に出かける時もそうだし、1人で町を歩いているときにも、妻と同じ病気の人を沢山見かけるようになった。みんな一様に、片手、片足が突っ張り、片手の手のひらが内向きに湾曲した状態で、杖をついてあるいている。左足、左手に障害があれば脳の右側をやられている、右足、右手に障害があれば脳の左をやられている。左側の脳に疾患がある場合、言語や嚥下にも影響が出る場合もある。

 病気は脳梗塞脳出血、脳ヘルニア様々だが、脳神経をピンポイントで傷つける。それにより身体マヒ、機能全廃などの障害となり意識や言語、注意など多岐にわたる。病気と障害は個々であり一律にする訳にはいかない。

 町歩いていて左足、左手に拘縮のある方をみると、この人は右をやられたんだなと思う。左側に拘縮があると、この人は妻と同じだと思う。だいたいが60代以上の人だが、本当に脳血管障害という病を経験された方が沢山いる。しかし、妻が病気になる前には、そうした人々の存在にまった気がつかなかった。それは最近になって増加したのではなく、自分には見えない存在だったのだ。

 妻が病気になってから見える景色が変わってきたということ。世の中には沢山の障害をもった人々がいる。健常者からすれば圧倒的に弱い立場にある片側だ。まさしく「『弱い』立場に立ってみなければ『弱い人』は見えてこない」のである。

 見えないものを見る力となるのは、繰り返しになるが結局のところ想像力ということになるのではないか。自分は配偶者が障害者となったことで、初めて脳血管障害という病気とそれに起因する障害について様々に学ぶことができた。その病気によって障害者となった人たちの状況についてまさに自分の身に置き換えて理解することができるようになった。

 もちろん健常者の自分にはそのすべてを理解できる訳ではない。妻と日々暮らしていても、結局妻の言動にもどかしさを感じたり、時には感情的になってしまうことすらある。しかし少なくとも障害をもった相手のことを思いやることについては、ある程度訓練というと語弊があるのだろうが、身についていると思う。

 そういう身になって、実際に家族の介助を行うようになって、初めてその立場に思いが回るようになったのだとは思う。その身になって初めて知ることがある。しかしそういう経験則だけではなく、想像力を研ぎ澄ますことで、見えないものが見えるようになる。見えない社会の弱い部分を見、それについて考えることの重要性を改めて確認したいと思う。

 若松は続ける。

 今は、「助ける」だけでなく、「助けられる」ことを学ぶ契機でもある。「弱い人」は、助けられるだけの人ではない。社会の底に横たわる「いのち」の尊厳という根本問題を照らし出す者としても存在している。