民主党代表戦

菅と小沢の一騎打ちの勝敗が明日決定する。マスコミ報道では菅の優勢が伝えられるが、どうだろう。なんとなくかっての福田と大平の自民党総裁選を思い出す。現職の福田を大平とそのバックについた田中角栄が機動力、カネ、様々な部分で凌駕した。あれは何十年前になるのだろう。
正直、今回の代表戦は不毛だ。菅はもともとあまり好きなタイプの政治家ではない。市民運動出身ではあるが、きわめてプラズマティックな動きをするタイプだ。そして権力への強いパッションを感じさせる部分もある。そういう意味では実は典型的な政治家でもある。マキャアベリ的な冷徹さを自然に、かつ無神経に体現している部分もある。
それに対して小沢はどうか。やれ実力だの行動力だのといわれる。しかし彼が活躍するのはいつも政局がらみでしかない。きちんとした政治理念に基づいた行動という部分を本来的に持ち合わせていない。そういう意味では時代がかった古いタイプの政治家だ。
彼が今回出馬したのも、自らの影響力を誇示、あるいは維持するためでしかないと思っている。数ヶ月前に自らの政治とカネの問題で党幹事長を辞めた人間が、選挙で禊がすんだとばかりに代表戦=首相を目指す無神経さには失望以上のものを感じる。
そもそも今回の参院選民主党の敗北の原因はなんだったというのだ。すべて菅の唐突な消費税に関する発言だけの問題か。いやいや、前年の衆院選民主党に勝たせ過ぎたことへの国民の反動があったはずだ。今回の参院選は国民のバランス感覚からして、もともと民主党は負けるべくして負けたのである。
そこにさらに鳩山の普天間問題を含めた様々な迷走も民主党そのものへの失望感をあおった。そこに小沢の政治とカネの問題だ。
幹事長を辞職し、参院選を経たことで禊がすんだというのはどう考えてもおかしいと思う。検察の捜査を受けて起訴されなかったから、なんの疑義もないという強弁は、自らの秘書が2名も逮捕起訴されていることに対する政治的、道義的責任に対してあまりにも無自覚である。
そもそもここ数年の彼の行動には様々に無理がある。そしてなによりも問題なのは、きちんと国民に説明することなく、自身は奥の院きどりで表に出ないその姿勢だ。表に出ないことで自身のカリスマ性をアップさせようとする。そして側近たちの徘徊と例の忖度である。幹事長はこう考えておられる、幹事長はこのようにされるはず、といった形で側近たちが好き勝手に振舞う。たぶん小沢は総理になってもこのスタイルを続けることだろう。
小沢が総理になると論功を含めて側近で中枢をかためるのだろうな。山岡、松本、原口、樽床、細野、輿石、海江田あたりが要職につくのだろう。官房長官は山岡あたりか。若手を抜擢となると細野あたりも考えられるか。
いずれにしろ政局ありきの小沢の政治スタイルでは、今の政治状況は乗り切れないと思う。菅が再選されても政権運営がうまくいくとは思えないが、理念なき現実主義者たる菅のことだから、なかなか政権を手放すようなことはしないだろうとも思う。
まあどっちがなってもあまり良い方向にいくとは思えない。ただ願望的にいえば、今回の代表戦を通じて、小沢一郎の政治生命が凋落していく契機に訪れれば、それはそれでいいと思う。そしてそろそろ小沢的なものから日本の政治は脱却してもいいのではないかと、そんなことも思う。ここ数十年続いてきた田中派的なるものが解体してもいい頃なんではないかと、ようはそういうことだ。