ここのところずっと妻の介護度は3のままであったのだが、市からの通知をみてみると介護度が2に下げられてしまった。妻の障害の程度は固定されており、医師からは改善の見込みなしとずっといわれ続けているのに、「なぜ」というところだ。
早速ケアマネに連絡して区分変更を申し込もうとしたところ、ケアマネは一言。
「いいじゃない、3が2に下がってもたいした影響ないわよ。今のサービスは受けられるから」
おいおい、というところだ。じゃあサービスが足りているから介護度を下げてきたのか。今のサービスでことが足りているのはなぜか、身障者の妻が必要とするサービスが実はないのである。老人施設でのおざなりなリハビリが週に2回あるだけのデイケア施設。
とりあえず猛然と怒りがこみあげてきて、ケアマネを叱った。本来、妻は身障者としてのサービスを受けたいのだが、国の制度として介護保険でのサービスをということでやむなく受けていること。そのうえで満足なサービスがなく、年寄りばかりの施設、サービスのため、妻は気がめいることも多いので、あまりサービスに気乗りしていないということ。それをサービスを利用しないからといって介護度を下げるというのはどうにも納得がいかないというようなことだった。
ケアマネはすると、医師の診断が影響したのではというので、1級1種の身障者で、悪化することはあっても改善の余地がない片麻痺および高次脳機能障害をもつ妻に対して、かかりつけの医師がそういった診断を下すことはありえないのではと反論した。
ようはケアマネ、初老のおばちゃんなのだが、この人は面倒臭がっているのである。さかんにこちらの要望を言うと、最後は事務的な口調で、介護度が下がった理由を聞きますか、それとも区分変更を申し入れますかと慇懃無礼な感じで聞いてきたので、こちらもへりくだった形で、お手間をおかけしますが区分変更を申し込んでくださいとした。
しかし直る見込みのない身障者をつかまえて介護度を下げるというのが、この国の福祉の本質なのである。いや鶴ヶ島市のやり方なのだろう。何度か書いたことがあるけれど、介護保険において介護度を毎年認定し直すのは、高齢者は年齢とともに介護度も増していくだろうから、それに対応できるようにということのはずだ。年齢により状態は悪化するだろう、例えば認知についても進行するだろう、そうした状態に即して、受けられるサービスが増えるていく。そういうことに対応できるようにという、そういう善意の部分から、あるいはきめの細かい福祉というところからの発想であったと思いたい。
しかし今行政、とくに市町村で行われている介護の実態はというと、財政難を理由に、いかにして金をかけないか、サービスを切り詰めていくかということなのだろう。
こちらからすれば、必要なサービスがないから、利用していないだけなのに、利用がないなら介護度を下げて、利用をより制限する方向にもっていく。すごいことだと思う。財政のためならば、とにかくサービスの提供のためのインフラを徹底的に省く、捨象する。利用者はサービスを利用したくても、はなから利用すべきものがないという状態になる。そのうえで利用しないなら、当然利用を制限させていただきますよということ、今、鶴ヶ島市がやっていることはこういうことなのである。
鶴ヶ島の市長さんは、以前は福祉施設の運営とかもされていたというが、そういう人がトップになっても、普通にこういうことが行われていくのである。まあそれだけ財政難なんだということなんだろう。たぶんこれは鶴ヶ島だけのことじゃないとは思う。全国津々浦々でこういうことが普通に行われている。それが2010年現在の日本の福祉の実態ということなんだろう。
以前、ふじみ野時代に区分変更を申し出たときには、あっさり変更が認められたことがあってずいぶんと拍子抜けした思いがした。しかしその頃はまだまだ介護保険の黎明期みたいな部分もあった。
介護保険の再調査 - トムジィの日常雑記
介護保険要介護状態区分変更 - トムジィの日常雑記
しかし、財政事情を理由にした福祉切捨てが蔓延化した現在にあっては、たぶん難しいことなのかもしれない。とりあえずこんな風に負け犬の遠吠えみたいなことを発言していくしかないにだろうか。