時系列的ふじみ野最後の日々

12月15日(土)
新居となる鶴ヶ島の家の水道をこの日より供給開始にした。それで一日かけて掃除機をかけ、拭き掃除をして最後にフローリングにワックスをかけた。
12月16日(日)
内見が1件入った。おそらく今年最後の内見だろう。
やってきたのは、三十代前半くらいの夫婦。人の良さそうな感じのカップルだ。後で不動産屋に聞くとまだ子どもはいないのだとか。決まってくれればいいのだ、なかなか簡単にはいかないのだろうな。
12月18日(火)
妻の最初の失業認定日。14日の雇用保険説明会を聞いた限りではなかなかに敷居が高いと感じられたのだが、障害者の失業認定は思いのほかスムーズ。障害者用の窓口に書類を提出するとそれで求職活動と認められ、簡単に失業認定終了。もうある意味儀式みたいなものだなと思った。障害者の雇用は狭き門だし、はなから難しいという前提にたちながらも一応求職活動をしているとみなされるためには、こうして二週間に一度ハローワークに顔を出して失業認定を受ける必要があるということなんだろう。
8時半くらいについて9時過ぎには手続きが終了した。妻はデイケアのクリスマス会に出たいと言うのでそれに送っていく。それから家に帰ってから小学校に行き転校のために必要な書類をもらう。職員室を訪ねるとたぶん教務主任あたりの先生なのだろうが、きわめて事務的かつ親切に対応してもらう。
その後は会社に行き。
12月20日(木)
午後から本社で会議。4時過ぎから8時ちかくまでびっちり。終了後は酒席へ。帰宅は午前様。
12月21日(金)
夕刻から部課長会。前日の会議報告と年末進行について。
娘は終業式。小学校ではぜんぜん泣かなかったとか。風の里のアフタースクールも最後。一歳半からの九年間の長き日々も今日で終了かと思うと感慨深いものがある。前日アフタースクール全員に記念のノートと鉛筆を渡しておいたのだが、園の計らいでそれは卒業式の時に渡してもらうことになった。娘は一応風の里に行くのは最後なのだが、アフタースクールの卒業式までは長期の休みという扱いにしてもらった。それで卒業前の遠足にも参加でき、今年度で辞める他の子どもたちと一緒に卒業式に出れることになった。
園との関係をささやかな形でも残しておきたいこちらとしてもとても有難い提案をいただきとても嬉しかった。風の里が大好きな娘にとってもモラトリアム期間ができてよかったと思う。
12月22日(土)
妻と娘は午前中風の里のクリスマスコンサートへ行く。私も出たかったのだが、エアコンの取り外しが午前中にあるため留守番。せっせと荷造りにいそしむ。午後から日通の荷造り部隊が二名やってくる。1時から初めて9時くらいまでせっせと荷造りしてもらったが、いや〜荷造りって時間がかかるのだなとつくづくに思った。
12月23日(日)
引越し当日。朝9時より日通の部隊がやってくる。7名。午前中に別にピアノの搬出搬入があったので、私一人鶴ヶ島に出向き、搬入にも立ち会う。けっこう簡単に設置された。
それからとんぼ返りして引越し作業に立ち会う。搬出終了は1時半ころ。
鶴ヶ島の新居で搬入作業開始は3時頃から。思いのほか時間がかかり、7時をだいぶ回ってからやっとダンボールの搬入。二階の二部屋をダンボール置き場にしてもらい、とにかく搬入を機械的にやらせると30分もかからないくらいですべての搬入作業は終了した。とはいえ部屋中にびっちり天井近くまで積み重ねられたダンボール箱を眺めては心暗くなるばかり。
この日は長野から義理の弟夫婦に手伝いにきてもらった。とくに食器類など台所関係の荷解きと整理をよめさんにやっていただいたのだが、これは本当に助かった。思えば台所関係はこれまでの二回の引越しでもだいたい妻が一人で時間をかけてやっていて、私などはノータッチだったから。これを自分でやることになったら、それはそれで相当な時間がかかっただろうなと思った。いや他にすべき荷解きが半端じゃなくあるだけに、ちょっと手つけられなかったんじゃないかとさえ思った。とにもかくにも台所関連があらかたかたずけていただいたのは本当に有難かった。