異文化としてのごみ分別

鶴ヶ島に越してきて最初に戸惑ったのがごみの分別。ふじみ野とほど同様と思っていたのだが、まずプラごみがまったく異なる。ふじみ野ではプラスチック類のごみはすべてプラごみとしてまとめてごみ出しができた。鶴ヶ島ではプラスチック類は可燃ごみとして出すものと、たぶん資源ごみとして再利用可能なものという範疇なんだろう「その他容器包装プラスチック」類とに分かれている。また発泡スチロールも緩衝材の類は「その他容器包装プラスチック」の日に出し、食品用の白色トレイはペットボトルなどと一緒に資源ごみの日に出す。ただし納豆の容器や色柄のついたトレイは可燃ごみの日に出すということらしい。
可燃ごみにまぜて良いプラごみはというと、これがまた範囲が広くビデオテープ、フロッピーディスク、CD、ポリバケツ、タッパー、プラスチック製のおもちゃなど。当然こういうのはふじみ野ではプラごみとして出していたわけ。鶴ヶ島ではある意味可燃ごみにまぜて出したほうが勝ちみたいなところもありそうだ。
引越しの最中にけっこうごみとかが出て荷物と一緒に持ってきたものも多数あるのだけど、ふじみ野の感覚で分別していたから、これをまた分別し直さなくてはならなくなった。考えても見てよ、引越しが終わってダンボール箱にかこまれながら、夜中にごみ袋に入ったごみを分別し直している姿を。それが引越し当日、翌日あたりの私なのである。プラごみの袋は5〜6袋あったけどそれをぜんぶ分別し直した。もう泣きがはいったね。
それでも分別がきちんとされていなかったのだろう、最初の一週間では我が家が出したごみは二回ルール違反のシールが貼られてもっていかずごみ置き場に放置されていた。一回は資源ごみとして出した布類の中で毛布はOKのはずだったので、再利用できませんといわれた。結局この毛布ははさみで細かく切って可燃ごみの日に出した。これがえらい手間でさ〜。もう一回は案の定プラごみのとき。たぶん間違えてタッパーかなにかが入っていたんだと思う。
しかしふじみ野時代に出したごみで持っていかれなかったことなんか一度もない。ここ鶴ヶ島は厳しいんだなと思った。と同時にごみの分別も引越して違う場所に来ると、一種異文化との遭遇みたいなことになるわけなんだなと感じ入った。
しかし厳しく厳しく分別を行うのはいいけど、けっこう再利用のコストも馬鹿にならないだろうし、性能の良い焼却炉を導入してあれば、たいていのごみは可燃ごみとして焼却して埋め立てたりしたほうが処理としては楽なのかもしれないのではと思うところもある。もちろんそれが環境にとって良いことかというと、それはまったく違ってくるのだろうとは思う。環境のことを考えていけば、ごみは出来るだけ再利用していくのが望ましいのだ。四国の上勝町だったけ、ごみの分別を34項目に細分化してごみゼロ化を住民あげて取り組んでいるところもある。それは確か娘の教科書に出ていたんじゃないかと思う。
しかし34項目に細分化させたごみ分別。さぞや細かくてうっとうしい代物なんだろうなと想像する。環境のことを考えて生活するということはなんと暮らしにくく鬱陶しいものであることか。利便性の追求こそ文明化社会であり、先進国とはまさしく利便性を享受できるということではなかったのか。環境問題とかをつきつめていくとだよ、地球的レベルで様々な問題を考えていかなくてはならなくなる。南北の格差とかももちろんでてくる。そして温暖化問題とかも。結局のところ地球レベルで最大多数の幸福を追求するためにはだよ、かなりの部分不自由をしょいこまざるを得ないということなんだろうな。先進国に暮らして、文明の恩恵受けまくってきた我々としてはだ。
話をミニマムに引き戻すとだが、毎日夜ごみ集積所に行ってルール違反で残されてしまったごみがないかを確認している、それが私だったりして。