時系列的鶴ヶ島の日々

12月24日(月)
メリー・クリスマス!?家中のダンボール箱を眺めつつ、気分はブラック・クリスマス。とにかく一日かけてひたすら荷解き、とにかくかたっぱしからぶち込む、えぐる様にぶち込む。前日の深夜からこの日一日かけてダンボール箱をだいたい50箱くらい開けて整理した。とはいえもともと日通からきたダンボール箱はぜんぶで100ケース。それを荷造りの段階でほぼ使い切っていたのだから、開封したのは半分くらいということ。暗雲たれこむ心象風景。
12月25日(火)
会社は休み。とにかく役所回りの一日。午前中、NTTが電話開通工事のためやってくる。それから家族で車で出発。まずはふじみ野市の分庁舎で妻と娘の転出手続き。それから介護保険、障害関係の転出手続きも。
午後は鶴ヶ島市役所へ。
妻と娘の転入手続き。妻の印鑑登録。
妻の介護保険関係の手続き。
妻の障害者関係の手続き。妻に説明を聞いてもらい、私は一人で教育委員会へ娘の転校手続きに。
障害課に戻って妻の障害者関係の手続きを聞く。3時半過ぎになんとか終了。それから娘の通うことになる小学校へ向かい転校の手続きを行う。教務主任の先生はとても親切で好感のもてるタイプの方だった。
一通り手続き終了して駐車場で車に乗り込もうとすると四年生の担任だという女性の先生が挨拶にやってきた。けっこう元気いっぱいな感じの30代から40代くらいかなという方。今日はたまたま四年生の担任が揃っていますから呼んできますといって残り二人の先生を呼んでくる。そうこの学校は一学年3クラスくらいしかないというわけだ。それまで東上線沿線でも最大級のマンモス校にいたので、ちょっと面食らう感じだ。でも、先生方はみんな人柄が良さそう、内心ほっとする。娘が緊張しているのか顔が強張っていた。
4時半少し前に学校を出て、その足で警察署に向かい免許の住所変更手続きを行い、その日のお役所周り終了。ほぼ予定した内容がすべて完了したので、ややほっとした感じだ。
それから再びふじみ野に向かい風の里で12月分の保育料を支払う。行ったり来たりの一日。最後の最後によく通ったビバホーム内にあるくら寿司でふじみ野最後の晩餐。なんの感慨もないまま一日が終了。
12月26日(水)
出社。鶴ヶ島での初出勤。本当に通勤時間が五分足らずで笑ってしまう。断続的に会議会議で一日が終了。
12月27日(木)
仕事終えてから急遽ふじみ野のディーラーに行きスタッドレスタイヤを購入、取り付けてもらう。アルミ付で65000円なり。タイヤはダンロップだからけっこう格安だったと思う。
12月28日(金)
仕事納め。日通にダンボールを回収してもらう。だいたい7割くらいか。しかしこの時点で収納という収納がほぼ満杯状態。残り3割りのダンボールの中身をどこにぶちこんだらいいのか、そして私は途方に暮れるというところ。
連日3時過ぎまでひたすらダンボールの荷解きしてたこともあり、ついに風邪でダウン。10時過ぎにぶっ倒れるようにして寝込んだ。
12月29日(土)
風邪で体調最悪になりながら、ホームセンターに行き必要なもろもろのもの購入。1万5千円くらいに遣ったのだが、なに買ったのかと考えてもなんでそんな金額になるのか不思議で不思議で。
12月30日(日)
風邪若干直りそうな気配。ふじみ野の家に出向き一日かけて掃除、ただひたすら掃除。掃除機かけて拭き掃除をし、ワックスかけて。水回りや窓拭きまで。なにもないがらーんとした家を見るにつけ、けっこう良い家だよなと一人ごちる。
12月31日(月)
最後まで残っている自室のダンボールにようやっと少しだけ手をつける。まず本棚を思考錯誤しつつ設置。それから書籍類を荷解きして棚詰めしていくのだが、棚一本をすでに娘の部屋にやってしまったうえ、それまで寝室にあったコミック類まで収納しなければならないため、半端じゃなく苦労する。夕刻どうにか本だけはかたずけたのだが、本棚はすでにびっちり状態。もう本買うのやめよう、そしてもっと本捨てなくてはとつくづく思った。しかし本を捨てるというのは、これまでの自分の人生を捨てるような部分もあり、実は、実は本当にしのび難きをしのびというか、つらいのではある。
夜9時過ぎに妻の実家長野に向けて出発。正月に家の整理ができないのはつらい、しんどいな。