トーハク(東京国立博物館)に行って来た (11月10日)

 先週木曜日、トーハクに行って来た。9月に来ているからそれ以来。

 お目当てはもちろん話題の国宝展。

東京国立博物館創立150年記念 特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」 

(閲覧:2022年11月14日)

東京国立博物館創立150年記念 特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」 | 東京国立博物館創立150年記念特設サイト (閲覧:2022年11月14日)

 トーハクの創立150周年記念事業の一環として所蔵する国宝89件を一挙公開するという。かなりの人気を呼んでいるようで連日盛況という声をネットでもきく。さらに事前予約制(日時指定)チケットも取りにくい状況になっているとか。

 これはかなり厳しいなと思い、土日は絶対無理だろうとウィークデイで行ってみることにした。やはり9月に行った藝大美術館の「日本美術をひも解く」もかなり混んでいたのだが、その比ではなかった。藝大よりもはるかに広いスペースのトーハク平成館が人でごった返している。これはちょっと厳しいなとは思った。

 ウィークデイの美術館ということで、自分らと同じ高齢者が圧倒的に多いけど、けっこう若い人もいる。SNSとかでも有休とって観に行くみたいな声もある。やはり国宝一挙89件の力ということ。

 とにかく展示物の前は列になっているのだがこれが進まない。監視員や誘導員が「空いているところから自由にご覧になれます」と呼び掛けているけれど、みんな順繰りに観ていく。しかも最初にあるのは国宝の絵画群。絵のキャプションをじっくり読む人で渋滞、音声ガイドのあるところで渋滞、さらに何人もの人が単眼鏡を手にじっくり鑑賞される。ということでもう大渋滞に次ぐ大渋滞。これはもう「立ち止まらない」という案内が必要なのではないかと思ったりもした。

 ウィークデイでこうなのだから、土日はどうなんだろう。もう想像するだけでちょっとしたイヤっていう感じだ。こうなるともうあまり鑑賞モードにならず、空いているところを見つけてはちょっと観てみたいなことを繰り返すことになる。

 自分はあまり教養ないのとそっち方面の興味もないので、書跡、漆工、刀剣類には関心がいかない。なのでじっくり観たいのは絵画の方なのだが、一番最初にあるので一番渋滞している。そのへんもう少しどうにかならないかと思わないでもない。

 例えば書跡や考古を最初に持ってくるとかどうだろう。とはいえ書跡にもかなり興味を持つ人も多いようだし、考古は考古で人気だろうし。やはり展示総数150件、国宝89件はいかんともしがたいということか。

 

国宝-東京国立博物館のすべて

展示期間・展示リスト

 国宝89点だが、展示期間は細かく分かれており、その間での展示替えがある。そのためお目当ての作品を観るためには、事前にHPで出品リストをダウンロードして確認するなりが必要。とはいえ事前予約制のうえ予約もなかなか取れないということで、どの作品をみれるかは運不運みたいなところもあるようだ。

国宝89件一覧 https://tohaku150th.jp/pdf/list.pdf (閲覧:2022年11月14日)

<展示期間>

①10月18日(火)~23日(日)

②10月25日(火)~30日(日)

③11月  1日(火)~  6日(日)

④11月  8日(火)~13日(日)

⑤11月15日(火)~20日(日)

⑥11月22日(火)~27日(日)

⑦11月29日(火)~12月  4日(日)

⑧12月  6日(火)~12月11日(日)

 試しに絵画だけの展示期間を自己流でリストにしてみた。

No. 作品名 展示期間
1 十六羅漢像 一尊、二尊、五尊、八尊 ①~④ 10/18~11/13
1 十六羅漢像 十二尊、十三尊、十四尊、十五尊 ⑤~⑧ 11/15~12/11
2 普賢菩薩 ⑦~⑧ 11/29~12/11
3 孔雀明王 ①~④ 10/18~11/13
4 虚空蔵菩薩 ①~④ 10/18~11/13
5 千手観音像 ⑤~⑧ 11/15~12/11
6 扇面法華経冊子 場面替え ⑤~⑥ 11/15~11/20
6 扇面法華経冊子 場面替え ⑦~⑧ 11/29~12/11
7 地獄草子 ⑤~⑧ 11/15~12/11
8 餓鬼草子 ⑤~⑧ 11/15~12/11
9 平治物語絵巻 六波羅行幸 ①~② 10/18~10/30
10 一遍聖絵 巻第七 ③~④ 11/1~11/13
11 竹斎読書図 ⑤~⑧ 11/15~12/11
12 破墨山水図 (雪舟等楊) ⑤~⑧ 11/15~12/11
13 秋冬山水図 (雪舟等楊) ①~④ 10/18~11/13
14 観楓図屏風 (狩野秀頼) ⑦~⑧ 11/29~12/11
15 檜図屏風 (狩野永徳 ③~⑥ 11/1~11/27
16 松林図屏風 (長谷川等伯 ①~② 10/18~10/30
17 花下遊楽図屏風 (狩野長信) ①~④ 10/18~11/13
18 洛中洛外図屏風(舟木本) (岩佐又兵衛 ⑤~⑧ 11/15~12/11
19 納涼図屏風 (久隅守景) ①~④ 10/18~11/13
20 楼閣山水図屏風 (池大雅 ⑤~⑧ 11/15~12/11
21 鷹見泉石造 (渡辺崋山 ①~④ 10/18~11/13
134 風神雷神図屏風 (尾形光琳) (重文) ①~④ 10/18~11/13
135 夏秋草図屏風 (酒井抱一) (重文) ⑤~⑧ 11/15~12/11

 すでに展示が終わっていたのが2点、11/13(日)までの展示でギリギリセーフだったのが9点、これから展示が始まるのが13点。かなり微妙である。国宝89件すべて公開だけど、全部観るのはなかなか難しいということだ。結局のところ名品との出会いは一期一会、あるいは運不運、ある種の蓋然性に左右されているということだ。

第一部 東京国立博物館の国宝

絵画:21点、書跡:18点、東洋絵画:10点、法隆寺献納宝物:11点、考古:6点

漆工:4点、刀剣:19点

 気になった作品を幾つか。

雪舟等楊《秋冬山水図》
《秋冬山水図》 (雪舟等楊) 15~16世紀

 雪舟の代表作として知られ教科書などでもお馴染みの作品。もちろん初めて観る。もともと京都の曼殊院に伝来したものを1936年に購入した。右の「秋景」は画面手前に切り立った岩肌と見え隠れする道が描かれ、水辺の船待ちの茶屋、橋上で語り合う二人の人物、遠景に楼閣や遠山が描かれている。

 「冬景」は画面中央を分断してそそり立つ断崖、近景には船から降り立って山道を登っていく旅人が描かれ、その先には中景として楼閣が見えている。

 素人観からすると、どうもこの時代はまだ遠近感覚がきちんと表現されていないのだろうか、いずれも描かれる人物が風景に比して妙に大きく描かれているような気もしないでもない。

狩野永徳《檜図屏風》

《檜図屏風》 (狩野永徳) 1590年

 桃山美術、信長・秀吉に仕え天下人の絵師と称され大障壁画を描いた狩野永徳(1543-90)の作品。美術の教科書等で見たことはあるが、実作に触れるのは初めて。永徳の作品が置かれた城の消失なので現存作品は多くないのだとか。この作品は明治期に皇室所蔵だったものがトーハクに引き継がれたという。

久隅守景《納涼図屏風》

《納涼図屏風》 (久隅守景) 17世紀後半

 これも美術の教科書でよく見る作品で《夕顔棚納涼図》とも呼ばれている。久隅守景は江戸狩野の祖狩野探幽の高弟だったが、同じ絵師だった長男彦十郎の不行跡*1や娘雪信の駆け落ちなどにより狩野派から破門され、後年は加賀前田藩の庇護を受けた。

久隅守景 - Wikipedia (閲覧:2022年11月14日)

 この絵は一日の労働を終えた夫婦と子どもという農民一家を描いたものとされるが、図録ではこの絵を武士が自らを戒める「鑑戒画(勧戒画)」として描いたもの解釈しており、寝そべる男には武士の気概や精神性があるとしている。さてどうだろうか。

 《納涼図屏風ー部分》
渡辺崋山《鷹見泉石像》

《鷹見泉石像》 (渡辺崋山) 1837年

 愛知の田原藩の家老であり谷文晁に師事した文人画の人。蘭学者としても知られ、高野長英らともに知識人グループ尚歯会の中心メンバーだったが、のちに蛮社の獄連座して訴追された。この人についての知識はみなもと太郎の漫画『風雲児たち』で知った。田原藩は貧乏藩だったため、少年時代から画才のあった絵によって家計を助けたといい、それは家老になってからも続いたのだとか。

渡辺崋山 - Wikipedia (閲覧:2022年11月14日)

(左が高野長英、右が渡辺崋山

 渡辺崋山は谷文晁とともに江戸文人画の代表的画家とされるが、この絵のように陰影に富んだ写実性のなかに、人物の精神性さえも活写した作品も多い。とくにその顔の描写は西洋画に学んだともいわれている。この絵は11月13日までの展示だが、崋山の肖像画はトーハク常設展にも展示されている。

佐藤一斎像》 (渡辺崋山

 佐藤一斎は江戸期の大儒学者で、渡辺崋山儒学を鷹見星皐に学んだが星皐が亡くなったあと一斎の門弟になっている。
 《鷹見泉石像》(国宝)、《佐藤一斎像》(重文)が同時に観れたのは偶然とはいえ運が良かったのではないかと思う。

第二部 東京国立博物館の150点

 第二部では、明治五年(1872年)に創立された東京国立博物館の歴史を三期に分けて、それぞれの時代に収蔵された展示物を通して展開している。

第1章 博物館の誕生

展示:21点 (重文:7点)

第2章 皇室と博物館

展示:55点 (重文:9点)

第3章 新たな博物館へ

展示:18点 (重文:11点)

 気になった作品。

砲弾(四斤山砲)

 旧幕府軍薩長軍が戦った上野戦争の時の遺物で焼け野原となった寛永寺境内から見つかったものだとか。砲弾が木の柱にめり込んだ生々しさが残っている。いわれてみれば博物館や美術館、動物園のある上野は、154年前には戦場であり、多くの兵士が死んだ場所でもあったということだ。こうした記録が保存されるのも博物館ならではということだ。

キリン剥製標本

《キリン剥製標本》

 この剥製標本は科学博物館に所蔵されているがもともとはトーハクに展示されていたものだという。明治40年ドイルから輸入され上野動物園で公開されていたが、翌年に死んで剥製標本となったキリンの「ファンジ」。 

赤坂離宮花鳥図画帖
淡紅鸚哥(いんこ)に科木 (渡辺省亭) 《秋草に鶉》 (荒木寛畝) 1906年

 明治42年に完成した迎賓館の「花鳥の間」「小宴の間」を飾る七宝の下絵として描かれた作品で採用されたのは渡辺省亭のものだったという。全16点が展示される予定だが10月18日~11月13日まで8点、11月15日~12月11日まで8点と展示替えがされるようだ。ざっと見た印象では写実に優れているのは寛畝、色彩感覚に勝るのが省亭みたいな感じだろうか。宮殿内の装飾画としてはそのへんも考慮されたのかもしれない。

金剛力士立像
金剛力士立像》 平安時代12世紀

 2022年に購入された新収蔵品でこの立像撮影可となっている。

 もともとは滋賀県蓮台寺の仁王門に安置されていたが、昭和9年(1934年)の室戸台風で門とともに倒壊して大破したという。そのバラバラになった部材のまま長く保管されていたが、昭和43年(1968年)に公益法人美術院が研究資料として購入、昭和45年(1970年)に京都国立博物館で仮組みの状態で展示された。

 近年になって美術院で約二年をかけて修理し今回トーハクで購入展示となったという。高さは約3メートルと巨大で、中は空洞となっている。ある意味、未来の国宝となるのだろうが、それ以前に継ぎ目もまったくない見事な修復の技術に驚かさえる。

 この仏像の来歴等についてトーハクは動画として公開している。


www.youtube.com

常設展

 人でごった返す企画展に比べて本館の常設展示は落ち着くというか、なにかホッとするような感じになる。こちらも前回行った9月とは展示替えがなされている。気になった作品をいくつか。

山水図屏風
《山水図屏風》 (狩野探幽) 17世紀 
《山水図屏風》 (呉春) 18世紀 

 江戸狩野の祖狩野探幽と四条派呉春の《山水図屏風》が同じ間にあるという贅沢さを感じた。ウィークデイ4時台のトーハク常設展示の至福のひとときみたいな感じ。この2点を同時に観ることができるのはいつまでなんだろう。

四季山水図(雪舟等楊)
《四季山水図(冬)(春)》 (雪舟等楊)

 雪舟が中国に滞在中に描いたとされる重文作品。

富士川大勝》 (竹内栖鳳

富士川大勝》 (竹内栖鳳) 1894年

 富士川源頼朝率いる源氏軍が平維盛率いる平氏に大勝した富士川の戦いを描いた作品。水鳥が飛ぶのを源氏軍の来襲と勘違いして平氏が大混乱に陥ったところを源氏軍が攻めあがったのだとか。竹内栖鳳による戦絵というのはどうなんだろう、自分的には珍しいものに思えるのだが。

《老猿》 (高村光雲

《老猿》 (高村光雲) 1893年

 高村光雲というと光太郎の父親という印象が強い。もともと仏師高村東雲に師事して木彫修行を積む一方、明治の新しい彫刻表現を求め苦闘し、西洋風の写実表現に取り組んだ。明治初期には廃仏毀釈の時流のため仏師はみな失業状態だったという。

 明治22年(1889年)に岡倉天心に乞われて東京美術学校の彫刻家教授に就任、この《老猿》は明治26年1893年)にシカゴ万博に出品した作品。鷲と闘いとり逃したようすが表現されていて、左手には鷲の羽が握られている。

 トーハクでは何度か観ている作品だが、改めて観るとその気迫とも気概ともいうべきものがひしひしと伝わってくる凄い作品だと思う。

トーハクの園庭など

 トーハクの園庭にもじょじょに秋の色が増してきている。今回は国宝展の人混みとこれでもかこれでもかという国宝に圧倒されつつ、常設展に癒され、お腹いっぱいの状態で園庭をぶらぶらとした。美術作品を思い切り浴びたというか、そんな気分にもなった。

*1:悪所通いにより佐渡流罪