Twitterのタイムラインが眺めていたら、こんなニュースが流れてきた。
記事によると「私的整理の一種である事業再生ADR(裁判外紛争解決手続き)を第三者機関の事業再生実務家協会(東京都港区)に申請し、受理された」という。
そこで検索してみるとこういうプレス発表も出ている。
「事業再生 ADR 手続の正式申請及び受理に関するお知らせ 」
http://www.bunkyodo.co.jp/company/date/press20190628_01.pdf
文教堂は2013年8月から5年連続して赤字が続いており、2018年8月期には約2億3千万円の債務超過に陥っており、今年8月期も赤字となると上場が廃止されるという、実質的に破綻という状況が迫っていた。
そうしたギリギリの時点での私的整理は、ある意味1年間のモラトリアムといえるかもしれない。記事の中では23%を保有する大株主大日本印刷の動向が注目されているとなっているが、文教堂の筆頭株主は株式を28%保有している取次の日販である。出版不況が続くなかで債務超過に陥っている文教堂を日販が支えることができるのか、これはこの間注目していることではあった。
実際、業界第一位の日販が文教堂の処理を誤ってしまえば、出版業界にはとんでもない影響が出る。売上こそ1位とはいえ、財務状況は幾分かはトーハンの方が良いと囁かれているくらいなのである。
もともと文教堂といえばトーハン一手というくらいだった時期がある。日販、トーハンによる書店帳合獲得合戦の最後に、日販がババをひいたということなんだろうかと、2016年に日販が筆頭株主となった頃には、友人たちと酒の肴にしたものだった。
文教堂の売上は2017年に270憶前後あったと記憶しているが、最近でもおそらく250憶前後はあるのではないかと思う。もちろん今は、グッズや文具などにシフトしているため純然たる出版売上はすでに200憶前後あたりと勝手に推測しているが、もし完全に破綻にでもなったら、その市場がなくなるのである。これは日販がどうのという以上に、青息吐息の出版業界にとってもかなりの痛手になりかねない。
もともと文教堂は、最盛期には店舗数200店以上、売上も500憶を超えていたのではないかと思う。当時コンピュータ系の出版社に勤めていた自分らからすると、路面店、郊外店で100坪前後の書店の割にはコンピュータ書に力を入れていたので、よく顔を出したものだった。あの頃店長をしていた人たちは今頃なにをしているんだろうと思ったりすることもある。溝の口店、青戸店、葛西店などなど。
その頃は、文教堂は主要出版社の営業を集めてユニークな新年会をやることで有名で、その余興では島崎社長自らが素人芸ながら、毎年こったコテコテの演芸を見せてくれた。一番興隆を極めた頃、島崎社長はトータル売上ではまだまだではあるけれど、日々の現金収入では紀伊国屋を上回るみたいなことを話していたのをよく覚えている。
島崎社長は勤めていた銀行をやめて会社を継いだと何かで聞いたことがある。その時にも自分は元々銀行屋である。だから現金収入があるということがどれだけ力を発揮するかを一番よくわかっている、みたいなことを自慢気に話していた。
実際のところ、日々の現金収入をある意味担保にして、ガンガンと金を借り、それをもとに出店を続けた。しかし2000年前後から出版売上が業界全体で一気に右肩下がりとなるなか、巨額の有利子負債が負担となり、経営は一気に悪化していったようだ。その後は転がる石のごとくで、トーハンの支援を受け、次には大日本、そして最後には日販といったなかで今回の私的整理となった訳だ。
今後は不採算店を大きく整理し、リストラを断行していくのだろう。多分それ以外に道はなさそうだが、閉店には什器備品の償却や、減損処理などの閉店コストが嵩むことにもなり、再生への道は険しいと予想される。
しかしあの文教堂がという思いがいまだに頭をよぎる。自分が出版営業をしていた1990年代、あの時代はまだまだ本が売れる時代ではあったのだ。今、出版ビジネスは不況どころか、壊滅に近いところまできている。市場は急スピードで収縮され、代替ビジネスはいまだ育ってきていない。
これまでも何度も書いていることだけど、学卒で書店に勤めて以来、ずっと出版業界の傍流で生き続けてきた。そのキャリアの最末期にあって、業界自体の死滅寸前みたいな状態を見るのはなんとも忍びない思いだ。