本 売れぬなら・・・

 朝日の夕刊一面に「本 売れぬなら・・・」という記事が。いくら記事ネタが枯渇しているからといって、出版社の販促活動が記事になるというのは。しかも出版不況、いや出版危機が喧伝される今、出版社の販促活動の悪戦苦闘が記事になるとは。

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 記事になっていたの出版社の試みは三つ。

 一つは京都の取次を通さない直版元ミシマ社が、6月に紀伊国屋梅田店で店頭販売を行ったことを紹介。ミシマ社の社員6名が幟旗をたて、本の内容紹介に熱弁を振るう。

 次に早川書房が新人作家の小説の販促会議に9名の読者を公募して参加してもらい、様々なアイデアを出してもらうという試み。

 最後は新潮社の試みとして、覆面作家宿野かほるの新刊販促として、まず一作目はネットで期間限定で全文公開、2作目はAIが作ったキャッチコピーと編集者のコピーを特設サイトで選ばせる試みとか。

 とにかく本が売れない時代にあって、各社の暗中模索をそのまま取り上げたような内容だ。記事の最後は永江朗のコメントで締め括られている。

 雑誌の売り上げが急激に縮小していることもあり、出版界はいま、根本的な発想の転換を迫られている。作りっぱなし、売りっぱなしという『分業』の時代が終わりを迎えつつあることの象徴ではないか。

 それまで雑誌やコミックの売上によってこの業界は支えられてきた。書籍は不採算部門だったが、雑誌が売れている間はそれに業界全体が目をつぶってきた。それでもたまにはメガヒットとなるベストセラーが年に何作でて、それが業界の景気づけにもなっていた。

 しかしここ数年、雑誌の売り上げが急速に下降し、昨年だったかついに雑誌と書籍の売上が逆転した。元々非採算部門であったはずの書籍を下回るほどに雑誌が落ち込んだということは、この業界が利益を生むことが不可能になってしまったということだ。

 まずその影響は取次や物流を担う運送業にきた。さらにいえば書店も雑誌という書籍に比べて利幅の高い部門が凋落することで、完全にビジネスとして成立しなくなっている。もはや出版流通は、その構築したシステムに出版物以外のものを流し、販売する以外にビジネスとして成立しなくなってきている。

 それなのに、出版社は、メーカーはいまだに売り方だの、販促だのといって模索を続けている。なんとかして見えない、まだどこかにいるかもしれない読者を探そうと考えている。出版物の購買層、それも不確かな不特定多数の購買層を掘り起こし、衝動買いという偶然性に依拠したマス販売を行おうとしている。

 長年この業界の片隅にいて、出版危機という状況を目の当たりにしたうえでの感想をいえばだが、もう本など売れる訳がないのだ。不特定多数の購買層、彼らはもう欲しい情報をネットで簡単に得ることができる。出版物から得られる娯楽はそれ以外のメディアによっても享受可能なのである。本は代替性のない商品とはよくいわれたことだが、いいやそんなことはないのだ。

 出版物はもう商品価値がない。それは多分言い過ぎかもしれない。しかしある意味では実相だとは思う。ただしミニマムな部分ではその内容を必要とし、享受する購買層、マーケットは実は確実にあるのではないかとも思っている。出版界のマーケットはもう果てしなく縮小しているとはいえる。しかしゼロになる訳ではないのだ。

 例えば定価10000円の専門書であっても、その内容、情報が確かなものであれば、確実必要とするマーケットは存在する。そのマーケットを正確に把握し、そこに商品として投入できれば、多分ビジネスとしては成立するはずだ。

 逆に、価格を抑えて不特定に、取り敢えず書店に撒いておけば、衝動買いでいくらかは売れる的なやり方は、多分もう完全に終わっているのだろう。

 低価格の出版物はもう流通が対応できないのではないかと思う。もし直販に活路を見いだしたとしても、例えば1000円のペーパーバックに送料が800円近くかかる場合だってあるという状況では廉価販売などできるわけがない。

 出版社は、メーカーはメガ出版をやめ、ミニマムなマーケットに向けて高価格の商品を投入するべきじゃないかと思っている。定価1000円で書店2割、取次1割などという利幅ではもう流通はやっていけないだろうと思う。

 まずは定価を上げる、流通の利幅を増やす、そこからでないと業界の共存共栄など図れないだろう。さらにいえば、この業界の慣例である取引は個々もまた終わっているのかなとも思う。一社では物流経費を維持していくことは多分難しいだろうとも思う。

 これまでこの業界は雑誌の利益によって、非効率ながら多様性のある沢山の書店、沢山の出版社を維持させていくことができた。取次もまた8分口銭というわずかな利幅でも大量物流によってビジネスを維持させることができた。それらがもう完全に崩れてしまった。書店はもう系列化どころか瀕死の状態である。それでもまだ集客が見込めそうなチェーン点を二大取次が子会社化させている。

 多分、二大取次は生き残りをかけて、出版物を通過型物流にのせ、出版物以外の利幅のある物販を拠点型物流化させていこうとするのではないか。出版物の物流によって築いてきた強固な物流システムを出版物以外のものに換用させる、おそらくそういう試みを続けていくのだと思う。

 そして出版社の生き残りは、おそらく大出版社が中小のブランド出版社をレーベルとして取り込む、または中小出版社が数十社単位で集まって直販のシステムを構築していく、そんな模索が続くのではないかと思う。

 ただしいずれの試みも、実はもう相当にしんどい、遅きに失っしているのかもしれないと思う部分もある。

 ここのところずっと思っていることではあるが、長年、本の周辺で仕事をしてきた。大学を卒業してからある意味ずっとである。そしてキャリアの一番最後にきて、自分が生きてきた業界の終末を目にするかもしれないというのは、正直つらいことではある。