六本木キャヴァン・クラブ閉店

もう一週間も前のことだけど、15日の土曜日に久々六本木で遊んだ。午後、就業規則の見直しの件で、わざわざ都内でてきて社会保険労務士と打ち合わせ。夕方割と早めに終わったので、その後短時間新橋で軽く飲む。それから友人呼び出して久々六本木でもということになった。
ここのところ六本木で遊ぶのはそれこそ1年に一回、しかも家族引き連れてみたいな感じで、いつものビートルズコピーバンドが出ている店へ行く。ここ10年くらいはずっとアビーロードという店に通っている。ここには古くからビートルズのコピー一筋の老舗バンド、パロッツが出ているので贔屓にしている。
友人と落ち合ってから、この日もアビーロードに行ってみると、7時台だというのにすでに満席だという。金曜日の六本木を侮ってはいけませんな。それでもう一店、ビートルズコピーバンドがライブをやっている店へ行ってみた。
そう、キャヴァン・クラブである。ここはある意味、ライブハウスの老舗みたいなところ。私も20代半ばからずっと通っていたところである。この店の看板バンドだったパロッツがアビーロードに移ったのを機に、店を乗り換える形になった。といっても、ちょうどその頃(たぶん40代半ばくらいか)から、六本木ともほとんど足を洗った状態になったので、そういうところで遊ぶことが本当に少なくなっていた。
それでキャヴァンに行ってみるとだね、ビル全体にネットがかかって、修繕モードになっている。さらにあの特徴的な狭い入り口が見当たらない。それでビル前にたむろしている、なんとなく近所のオバチャンみたいな人に聞いてみると、「あれ、知らないの。あそこだいぶ前に店閉めたはずよ」と。
ビーン!である。こうなると六本木で遊ぶところがない。友人も私も20代、30代に何度もキャヴァンで遊んだクチではあるが、ほかに知っているところはあまりにも少ない。90年代前半の頃は外苑東通りをわたった確か瀬里奈ビルのあたりにあった「センセーション」というライブハウスにもよく足を運んだ。ここは70年代〜80年代のロック、ポップス系をよく演奏するところで、あんまり音楽興味なさそうなおねーちゃんを連れていくときはここみたいな感じだったか。この店もたぶん10年以上前に閉めたと聞いている。
しかたなくキャヴァンの2店手前にある、同系列のライブハウスのケントスに入った。ここはオールディーズ専門のところ。横浜とかではなんどか入ったことがあり、そこではジョーニー大倉とかクリスタル・キングの片割れとかが出ていたのを覚えている。でも六本木でケントスに入るのは長い人生で始めてのこと。
無題ドキュメント
まあ酒入っていたし、友人も私も50代半ばで同じような趣向持ち合わせているから、けっこう楽しめたことは楽しめた。といっても客層がさあ、5〜10くらい上なのよね。もう完全に団塊世代か、あるいはさらにその上みたいな感じ。ジイサンが少し若めのおばさんと一緒に来て楽しんでいる。ほんでもって踊る、ツイストだのスイムだのゴーゴーだのを。そしてチークタイム大盛り上がり。元気だなと感心、そしてこの人たちは金も暇もあるからいいよなな〜と、友人と小声で苦笑い的に談笑。
9時少し前にケントスを出る。まあ軽く流したという感じかな。人生の先輩の皆さんの毒気、もとい元気さに少し面食らった感じでしたか。その後、駄目もとでアビーロードに行ってみると、今度は入れてので、結局最終ステージまで飲んだくれる。どうやって帰ったかは秘密。
しかしキャヴァンクラブの閉店は少々ショックである。帰宅後ネットググると簡単にHPに行き当たる。
http://www.cavernclub.jp/
残念なことである。1981年にオープンということだから、30年という歳月である。たぶん私的にもけっこう早い段階から足を運んだのだと思う。一番最初はというと、たぶん会社の同僚から、面白い店あるからいってみないと声かけられたからだったと思う。
最初、ビートルズコピーバンド、日本人が、嘘だろうみたいな反応である。それでいざ行ってみても、1stセットや2stセットあたりは、なんとなく似せて歌っているけど、かっこも同じようなユニフォームしているけれど、ベースはリッケンバッカーだけど、しょせんサルマネじゃんみたいな感じで色メガネ的というか、まあけげんな反応である。
それが3st、4stと聴いているうちに、そして酒が回りだすにつれて、目の前にジョンが、ポールが、ジョージがいるような錯覚をきたす。これいいじゃん、みたいな感じで一緒に歌いだす。まあほとんどの曲を口ずさめるわけなので。そして怒涛のごとく最終セットを聴き、アンコールナンバーを聴き、ライブが終了するとその余韻にひたり、BGMで流れるリンゴの「グッドナイト」を聴き、ふと我に返るともう1時近くで、どうやって帰るかと急に慌てふためいてと。
まあ、この店にはいろんな人を連れていったけれど、ビートルズ好きを自認する人の反応はだいたい似たりよったりだったかな。最初はけげんな、胡散臭いものに接した雰囲気、徐々に理性的に承認、是認。最後は前提に受け入れてハマルというパターンだ。
それ以外にも、まあ白状しちゃうけどいろんな女の子を連れていった。両手じゃきかないだろうな。まあデートで六本木で飲むとなると、こことか最初に書いたセンセーションとかを抑えておけばよかった。ライブがある店だと会話がとぎれても問題ないから、都合が良かったという部分もあるのだろうな。
さらには仕事、接待どかでもけっこう使ったかな。大勢連れていったときは、あれは相当使ったんだろうな、たぶん。まあバブリーな頃だったから。
何度も会社を代わっているけれど、一時期青山の会社に勤めていたときが一番よく足を運んだかな。会社から六本木まではほとんど徒歩10分程度だったし、その頃は週1〜2回は必ず顔を出していたかもしれん。栄光の30代というところか。
妻との最初のデートもここだったし、何度も二人で行った。ビートルズのビも知らなかった妻がいっぱしに、ジョンだのポールだのと話ができるようになったのも、CD聴きこんだからということではなく、この店でビートルズを聴いたからなんだと思う。彼女はこの店で、当時看板バンドだったパロッツの演奏でビートルズを覚えたクチだ。
一度小学校にあがったばかりの娘も連れていったことがある。車の中とかで四六時中ビートルズが流れているから、子守唄代わりに聴いていた部分もある。娘はビートルズのほとんどの曲が、とりあえずビートルズの曲だということがわかる。そういう出自だから、最初連れていったときもノリノリで踊りながら楽しんでいた。
今、年に1回家族で泊りがけで都内に行き、六本木のアビーロードに行くのは、体が不自由になった妻へのサービスの部分もある。同時に」父母が楽しんできた場所を家族三人で楽しむと、そんな意味もある。だもんで、たぶんしばらくはそういう遊び方もしたいと思っている。
キャヴァンクラブにはけっこう外タレも遊びに来た。彼らは単純に来日した折のお遊びでやってくるのだが、興じてステージに飛び入りするみたいなことがある。今はアビーロードでそういうことがたまにあるらしい。私も何度かそういうチャンスに恵まれたことがある。覚えているのは確かトトのメンバーだとか、ストレイキャッツとか。ストレイキャッツはけっこうビートルズのフォロワー的部分もあったので、えらくしっかりとした演奏を聴かせてくれたのを覚えている。
しかし気がつけば30数年遊んだ場所、通った店がなくなるというのはなんとも淋しいことである。アジアの地で、しかも同時代ではなく、フォロワーとしてビートルズを受容してきた人間としては、リヴァプールにあった店のコピーで、姿形、声、演奏を似せた日本人によるコピーバンドビートルズ追体験する。そういう享受のしかただってあったということなんだと思う。
たぶんキャヴァンクラブの思い出を綴ろうとすれば、もっといろんなことが語れるかもしれない。まあ20代から40代の飲み盛り、遊び盛りだったし、とりあえず自分の遊ぶ金にそこそこゆとりがあった頃だったからか。
栄光のキャヴァン・クラブ、栄光の我が30代。それはそれで20世紀的な極東、日本のトーキョー的神話の一つなんじゃないのだろうか。「昭和は遠くなりにけり」あるいは「20世紀は遠くなりにけり」みたいな気分なのかな。