東京富士美術館補遺

 東京富士美術館、着いたのは昼少し前くらいだったのだが、やけに混んでいて中年以上のおじさん、おばさんの集団がごった返していた。入り口のすぐ右側にあるレストランで昼食をと思っていたのだが、こちらも満席状態で入り口の予約表にも待ちが7組くらいあった。それですぐにロシア絵画の至宝展を観に行ったのだが、こちらも人手が凄かった。なんか今までで一番混んでいるかもしれない。

 そういえば臨時駐車場にも待ちが出るくらいだったのだが、それが1時を過ぎると潮が引くようにして人がいなくなった。レストランに戻るとこっちも空きテーブルが増えていた。

 その後はもういつものこの美術館のごとくで、人はまばら、ゆっくりと絵画鑑賞ができたのだが、それがまた3時過ぎになるとまた人でごった返し始めた。これはようするに美術館ではなく、多分、多分だが創価大学内でなにか中高年向けの何かの集会の類でもあったのではないかと、まあ勝手に推測してしまう。おそらくは学会系のものじゃないかと。しかし、おじさん、おばさんパワーはなかなかに凄くて、絵画そっちのけで世間話してたりとか、けっこう迷惑といえば迷惑なんだが、多勢無勢というか、向こうはホーム、こっちはアウェイなんでちょっと避難的に空いてる常設展の方に集中するようにした。

 常設展はいつもの16〜18世紀のあたり、バロックロココ、オランダ風景画とかはあまり展示作品に変化はなかった。これがロマン派、写実派、印象派あたりの部屋になるとけっこう展示替えが進んでいて、印象派はほとんどなく、モネが1点、カイユボットが1点あるくらい。あとはほとんど新印象派のロワゾー、シダネルなどが中心になっていた。

 この美術館でマネもなく、ルノワールも1点もなく、そしてピサロシスレーもないというのはちょっとびっくりである。とはいえ多彩な収蔵作品があるだけに、それでもちっとも残念感がない。今回の展示作品だけでも十分余りあるというところか。

 気に入った作品をいくつか。海景画、海岸風景を描かせたらこの人をおいてないというのがウジェーヌ・ヴーダン。

 

f:id:tomzt:20181014160357j:plain

ヴーダン「ベルクの海岸」

 コローはヴーダンを「空の王者」と呼んだという。確かにヴーダンの空の表現、特に雲の描き方はちょっと他にないかなというくらいに秀逸だ。そしてどことなく抒情生が漂う。

 コローの海景画はどのへんからくるんだろう。多分、オランダ風景画あたりの表現から学んだのではないかと密かに思っている。

 

 例えばこのヤン・ファン・ホイエン。河口あるいは運河が海に繋がるあたりを描いたものだろうか。

f:id:tomzt:20181014162548j:plain

ヤン・ファン・ホイエン 「釣り人のいる川の風景」

 色調を落とした静かな抒情を誘う絵だ。どこか中国の水墨画的な雰囲気さえ感じさせる。17世紀中庸にこんなにも完成された風景画が描かれていたということにオランダ絵画の奥深さを思ったりもする。ブーダンはこのへんから影響を受けているのではないかと、そんな気がする。

f:id:tomzt:20181014161330j:plain

シダネル「森の小憩、ジェルブロワ」

 アンリ・ル・シダネルの「森の小憩、ジェルブロワ」。マネの「草上の昼食」を想起させる題材だが、人物の不在。それでいて人がいた気配が濃厚に漂う。人の不在とその気配、この画家が得意とするモチーフらしい。通俗的にエロチックなものを想像することも可能だが、自分には木陰の奥がなにか異界めいているような気もする。さっきまで寛ぎ、昼食をとっていた人物たちは、あちらの世界に召還されてしまったのかもしれない。

  そして前回来たときにも思ったのだが、ゴーギャンに影響を受けたというロワゾーの作品は、なにか今回は展示されていないピサロの作品以上にピサロっぽいような気がする。

f:id:tomzt:20181019190357j:plain

ギュスターヴ・ロワゾー 《ヴォードルイユの農家》

 

東京富士美術館〜ロシア絵画の至宝展へ行く

 前日に家事を諸々やっていたので、1日空いた。なので近場の美術館に行こうと思い、MOMASと富士美のどちらにするか一瞬迷ったが、企画展がちょっと魅力的だったので富士美に行くことにした。

www.fujibi.or.jp

mu1.site

f:id:tomzt:20181014122941j:plain

 ロシア絵画というと実はほとんど知らない。せいぜい大塚国際美術館で観た「見知らぬ女」のグラムスコイと「ヴォルガの舟曳き」のイリヤ・レーピンくらいか。今回はそのレーピンとアイヴァゾフスキーの大作が来るというので、ぜひ観てみたいものと思っていた。それがこの「第九の怒涛」。

f:id:tomzt:20181015215606p:plain

第九の怒涛

 美しくかつダイナミックな絵である。アイヴァゾフスキーについてはほとんど知らない。19世紀に活躍した、主に海景画を得意とした画家だという。なんとなくロマン派の流れかなとも思う。といってもドラクロワというよりはフリードリッヒみたいな感じだろうか。それを強く感じるのがやはり大画面のこの作品。

f:id:tomzt:20181015215517j:plain

大洪水

 聖書を題材にしたものらしいのだが、見事としか言いようがない。岩肌にへばりついて難を逃れようとする人間たちの間で、象や熊といった動物たちも必死に水難から逃れるようとしている。その中でなぜか蛇が一匹、これがワンポイントでなんとも印象に残る。奇妙な絵柄でもある。

 このアイヴァゾフスキーの「第九の怒涛」がおそらくこの企画展の目玉中の目玉なんだと思う。その他の画家では興味を引いたのはやはりレーピン、シーシキンの三人だろうか。それ以外にも興味深い、画力ある画家が目白押しなんだが、知名度、作品の完成度とかでいうとやはりこの三人になるのかもしれない。

f:id:tomzt:20181015215604p:plain

イリヤ・レーピン「サトコ」

 

f:id:tomzt:20181015215601p:plain

シーシキン「カバの森の中の小川」

 シーシキンは写実派と分類されるようだ。ほぼバルビゾン派と同時代の人なんだが、フランスの自然主義とシンクロしているような画風である。美しい風景画である。

 最後に心に残った作品の一つがこれ。ボリス・クストージエフの「朝」。印象派的な表現、なんとなくメアリー・カサットを想起させる。 

f:id:tomzt:20181015215559p:plain

ボリス・クストージエフ「朝」

 

ABC分析とか

 仕事で久々に商品分析なんてことをやってみようかと思い、今更ながらにパレートの法則とかABC 分析とかをについてまとめている。

 しかしこれやったのって、多分新卒で最初に勤めた書店で勉強しろと渡されたマニュアル書で習って以来のことのようにも思う。チェーンストアの実務みたいな実習書だったのだろうか。

 なので思い出し思い出しメモをまとめてみた。

パレートの法則

 経済において、数値全体を構成するのは、一部の要素が大部分を占めているという理論。主に80:20の法則と呼ばれる。例えば、商品の売上の8割を全商品銘柄のうちの2割で生み出しているといったことが一般的に見出される。この場合2割の商品を重点管理することで、在庫管理等を効率的に行うこが可能となる。

 また購買行動においても、売上の8割を全顧客のうちの2割が生み出しているといった場合は、顧客全員を対象としたサービスを行うよりも、2割の顧客に的を絞ったサービスの方が売上を向上させることにつながる。

  パレートの法則の応用編ともいうべきがABC分析で、重点分析と呼ばれ在庫管理などに使われる手法。

ABC分析

 商品の売上構成比を算出し、売上の大きいじゅんに並べていくと約2割の点数で売上の80%を占めることになり、残りの8割の点数が売上の2割程度しか占めていないことがわかる。そのため売上構成の多数を占める2割を重点管理する必要がでてくる。

例)商品が100点で100万円の売上があったとき、実は20点の商品で80万円の売上をあげている。そのため100点を均等に管理するのではなく、20点の商品に品切を起こさないよう管理する必要がある。 

 まあ係数管理の基本中の基本みたいなもので、知らず識らずにこれを応用している場合が大体において多いはず。書店でこれを勉強し、これを元にスリップの集計から分析とかを随分とやったので、なんとなく体に身についている。

 当時は当然のことながらパソコンなんてものはなかったから、全部集計用紙である。最初に集計用紙に出版社別のスリップ枚数を記入し、次にそれを多い順に転記する。さらにそれを売上構成順に電卓叩いて累計数を記入して、Aランク、 Bランク、 Cランクと分類化していく。そうやって一つずつ係数管理の初歩を体に身につけていった訳だ。

 それが転職を繰り返すうちに、集計用紙がワープロになり、導入したての表計算ソフトで入力してソートしてということになる。ピップスやマルチプラン、ロータス1-2-3、そしてお約束のエクセルという訳だ。

 最初は集計用紙で鍛えられたということもあるので、パソコンを使いこなすのも割と早かったようには思う。多分、もう30年以上はこういうのシコシコやっている訳なので。

 ということで、これからしばらくはABC分析の応用で諸々在庫管理の新たな仕組みとかにチャレンジしなくちゃならない。まあ今更こんな初歩的な手法をという部分もあるにはあるのだが、かなり進んでいる部分はあるのだが、まったく手付かずできた部分にいよいよ着手みたいなところで、思い切って初歩の初歩から攻めてみようかと思った。

 さらにいえば、あまり考えたり、勉強しない社員への教育みたいな部分もあるにはある。まあ最後のご奉公かなとか思ったりもする。

 ついでにいえば、2005年くらいからはパレートの法則では対応できない現象としてロングテールなんて言葉も流行ったのを思い出したりもする。ちくま新書の『ウェブ進化論』あたりをかじった。確か『Wired』編集長であるクリス・アンダーソンが提唱したとかで、アマゾンの売上の半分は売上順位が13万位以降の本で占められているという説だ。とはいえ、これをリアルに在庫をもっているところが対応しようとしても多分ダメである。まあ基本はやっぱりパレートの法則ということになるのだとは思う。

吊り橋巡り

 今日はカミさんのリクエストで吊り橋巡りをした。当初は前から行きたがっていた寸又峡の夢の吊り橋に行く予定だったのだが、いろいろと調べていくと、駐車場から吊り橋までかなりの距離を歩くことがわかった。さらに土日などは一方通行で吊り橋を渡ったら、山道を降りて戻ることになるとも。さすがに車椅子のカミさんを連れて行くのは難しいだろうと判断。カミさんは行けるところまで行って、それでダメならば断念すればいいと主張するのだが、さすがに無理ということにした。実際、山道を車椅子押すのは自分だし、車椅子なしで歩かせて途中で断念となったら目も当てられない。

 それで代替案として、行けそうな吊り橋を複数リストしてなんとか納得させた。いずれも一回は行ったことあるところなんだが。

 まずは箱根からほど近いところにある三島スカイウォーク。

mishima-skywalk.jp

 ここは二年くらい前に一度行っている。日本一の長さだという民間施設。何もないところに吊り橋作って観光客誘致するというのだが、3年で入場者300万人達成ということでたいへんな賑わいで、駐車場に入るだけでもけっこう待たされたりするくらいだ。しかし300万人ということは吊り橋の入場料が1000円なので、これだけで30億円になる。さらに土産物などに落ちる金をあり、かなり成功したビジネスということになる。

 まあなんてことない、ただただ長くて、全長は400メートル、谷底までの高さは70メートル。歩道幅は1.6メートルで車椅子とかで余裕で通行できる。吊り橋好きなカミさんが、手すりに摑まりながらゆっくり歩いて渡りたいらしいのだが、ここは左側通行なので、左手が不自由なカミさんは手すりを持って歩くことができない。けっこう混んでいることもあり、歩行は前回もそうだったが無理なので、ずっと車椅子で通った。

 まあ空いている時間帯とかだったら少しは歩いて渡れるかもしれない。とはいえ左側通行ではやっぱり難しい。以前行った茨城の竜神大吊り橋は右側通行だったので、カミさんは半分くらいの距離を歩いて渡ったのだけど。

f:id:tomzt:20181007122815j:plain

f:id:tomzt:20181007122756j:plain

 雲間に顔を出した富士山。

 2時間くらい三島スカイウォークでうろうろとした。それから向かったのが神奈川県の宮ヶ瀬にある水の里大吊り橋。

tabi-mag.jp

 ここも以前行ったことがある。多分もう5年以上前かもしれない。宮ヶ瀬ダム周辺は近くに家の墓があるので、時々遊びに行く。この吊り橋も墓参りの帰りにうろっとして見つけたところだ。全長335メートルで出来た当初は日本一の長さだったのだが、今は第5位だとか。

f:id:tomzt:20181007151052j:plain

f:id:tomzt:20181007154242j:plain

 以前にも書いたけど、この宮ヶ瀬の一帯は子どもの頃に一度父親と自転車で来たことがある。当然、ダムも出来ていなかったので、このへんは宮ヶ瀬渓谷と呼ばれていた。山道を延々自転車を押して進んだことをまだ覚えている。もう50年以上前のことになるのだが。

 吊り橋はかなり空いていたので、カミさんは少し歩いては車椅子に乗ったりしてゆっくりと渡った。向こう岸は広い公園になっていた。ダムまでの連絡遊覧船があり、最終船はダムまで行って戻ってくるという。カミさんに聞くとぜひ乗りたいというのだが、船着場までは長い階段があり、ちょっと難しいかと思ったのだが、なんとか頑張った。

 左側は機能全廃なのだが、右足だけで体を支え、左足を体ごと持ち上げるようにして、短い距離はなんとか歩行する。早期リハビリでなんとかこれが出来るようになって、なんとかやってきている。エライものだと常々思っている。

 遊覧船は空いているし、快適だった。宮ヶ瀬湖の全貌もなんとなく掴めた。そして巨大なダムとダムに隣接した船着場なども飽きることがない。途中でいつもは車で通るだけの虹の大橋を眺めたりと、30分くらいの時間だったがけっこう楽しめた。

f:id:tomzt:20181007163549j:plain

f:id:tomzt:20181007162244j:plain

虹の大橋

f:id:tomzt:20181007161156j:plain

宮ヶ瀬ダム

 

ポーラ美術館へ行ってきた

 6日、7日と久々箱根旅行へ行って来た。箱根といえば当然のごとくポーラ美術館である。ここに来るのはなんと1年ぶりのことになる。

tomzt.hatenablog.com

 いつもだとだいたい年に2回くらい訪れるのだが、ここんところあまり出版健保の保養所に泊まりに行く機会が減っているということか。やっぱり土日を使っての一泊旅行もけっこう疲れるというか、少しずつ億劫になっているのかもしれない。

 カミさんは相変わらずどこかへ連れていけという。でも子どもは高校くらいから旅行につき合うことが少なくなった。まあこれも致し方ない。とはいえせっかく免許もとったのだから、運転手としてつき合ってくれても良さそうなのだが、なかなか思い通りにはいかない。

 本当はもっと休みをとってのんびり旅行をしたいし、健保の保養所であれば、土日ではなくウィークディに行ければ一番いいのだが、一応現役で仕事を持っている身としては、そういう訳にもいかない。早くリタイアしてのんびりとしたいと思いつつも、多分出来るだけ、体が動く限りは仕事をしてみたいなことになる。そして強制リタイアみたいなことになった頃には、体も動かず、のんびり余生もなく、そのまま終了、多分そんなことなんだろう。

 どうもこういう話となると、繰り言ばかりになる。

 ポーラ美術館の収蔵品展をやっているというので、わざわざ水戸まで足を運んだのは、つい先月のことである。

tomzt.hatenablog.com

 その時、けっこう有名な作品が多数貸し出されていたので、今ポーラへ行っても常設展示は今ひとつかなと少しだけ心配していたのだが、そういうことはまったくなく、モネを多数貸し出していても、「睡蓮」や「バラ色のボート」は健在だし、ルノワールも「ムール貝採り」なんかを久々に観た。そして大好きなスーラの「グランカンの干潮」も1年ぶりに対面。この絵は多分スーラといわず、新印象派の作品群の中でも多分一番好きな作品の一つ。抒情性とともに静謐な印象があり、科学的、計算し尽くされた点描画で、なぜにここまで静かな詩情を描き出せるのかと、いつも思い返している。

 その他でも、マティスもあり、ゴッホアンリ・ルソーなどなど。茨城県美術館に多数行っているので、日本のものの展示が増えるかと思いきや、日本洋画、日本画の展示は少なかった。次回に日本洋画中心の企画展があるようなので、それまではお休みなのかもしれない。

 そして今回の目玉というか、企画展はオデュロン・ルドンである。

f:id:tomzt:20181006122910j:plain

www.polamuseum.or.jp

 ルドンについては、まあ象徴主義であり、目玉や人面魚などが有名。あと8月に行った岐阜県美術館の収蔵がつとに有名だったりする。

tomzt.hatenablog.com

 ここで観た「ポール・ゴビヤールの肖像」という美しいパステル画を観て、ルドンが一筋縄ではいかない画家だとは思った。その色彩感覚の見事さは,キャリアの後半まではモノクロの銅版画だけをやっていた画家とは思えないものがあった。

 確かルドンの回顧展は今年の始めに三菱一号館美術館でやっていたように思う。行こう行こうと思っていて行けず仕舞いだった。それを紹介するテレビ番組、「日曜絵画館」かBSの「ぶらり美術館」あたりだったっか、その中でルドンについてこんなことを評論家の誰かが話していた。

 ルドンはずっとモノクロでやっていたが、ある時期から一気に色彩豊かな装飾画のような作品を次々と量産する。それは色彩画もいつでも描けるが、なかなかそういう気にならなかった。それが満を持して色彩画に移行したみたいな話だった。

 しかし今回のポーラでは、初期の習作的な作品で色彩のある風景画が数点、展示されていた。それはまさしく習作なのかもしれないが、普通の絵を志していたルドンが、何かをきっかけに幻想的なモノクロ版画の世界に進む。展覧会の解説では、それが植物学者アルマン・クラヴォーと知り合い、顕微鏡下のミクロ的世界と出会ったこと、放浪の銅版画家ブレダンの指導を受けたことなどによるとされている。

 確かにルドンの版画には植物学への関心や、コケや微生物の世界を発展させたイメージがある。なるほどと思う。さらには実際の生物と異なる想像上の産物が多数描かれる。それはまたルドン後半生に多数描かれた美しい装飾画のような花の絵にあっても、実際には存在しない草花が描かれていたりもする。

 ルドンは顕微鏡下に見たミクロの世界に喚起された想像力により、幻想的な世界を思い描き、それを銅版画に、キャンバスに描いてみせたのだろう。

 今回の回顧展で展示されたルドンの作品は、そのほとんどが岐阜県美術館所蔵のものだった。版画から、初期の風景画、後期の幻想的な象徴性の高い装飾画などなど。岐阜県美術館恐るべしというところだ。確かまもなく改装工事のため休館となるということで、岐阜のルドン作品はけっこう各地を回るのかもしれない。

 今年の始めに三菱一号館でもルドンの回顧展をやっていたが、後半にはこうやってポーラでもルドンをやる。ルドンはけっこう日本人に人気のある画家なのかもしれないなと思う。まったく別のベクトルから企画された回顧展がたまたまダブったとはちょっと思えない。

 まああの有名な目玉とかは、明らかに鬼太郎の目玉オヤジを想起させるし、日本人には諸々親和性があるのかもしれない。今回の企画展でも、ルドンの作品の日本のコミックへの影響や、現代アートでルドンをモチーフにしたような作品も多数展示されていた。

 ただ残念なのは、例の目玉の作品や人面魚といった有名どころは前期展示だったようでお目にかかることができなかった。まあそれがなくても別にがっかりという訳でもないのだが、やっぱりルドンというとこれみたいなところもないでもない。

f:id:tomzt:20181006124034j:plain

 今回、比較的早い時間に着いて余裕もあったので、途中で学芸員の解説ツアーみたいなのにも参加した。学芸員さんは若い女性で、なんだか学生のインターンみたいな感じで、声も小さくて話もきちんと聞こえない部分もあった。この新人さん、ひょっとして本当に学生さんの実習かなんかと思ったのだが、あとで図録とかで確認すると、図録の編集や執筆もやっているバリバリの学芸員さんのようだった。

 まだ学芸員としてのキャリアは浅いようだが、おそらく東大あたりの院を出た研究者なのかもしれない。話術のほうはこれから磨かれることになるのだろうが、こういう若い学芸員がどんどん新しい企画展を展開されるとなると、ポーラに行くのも楽しみかもしれない。まあ今後に期待というところか。

 あと気になったのは新収蔵作品に村山槐多のものが一点。

f:id:tomzt:20181006155321j:plain

 さらに特別展示 「フジタからの贈りもの―新収蔵作品を中心に」の中で藤田が同時代の画家の作風を真似た小品が多数展示されていて、これはちょっと楽しかった。

www.polamuseum.or.jp

f:id:tomzt:20181010204157j:plain

 

ピエール・ボナール展補遺

 先週行った六本木の国立新美術館ピエール・ボナール展」についていくつか思ったことを、ちゃちゃっと列記する。

tomzt.hatenablog.com

 このボナール展はオルセー美術館特別企画となっており、オルセー所蔵品がメインとなっている。なんとなくそれにひっかかりつつ、しかもいくつかの作品を観た記憶があったので、よく考えてみたら去年、三菱一号館美術館で「オルセーのナビ派展」を観ていた。

tomzt.hatenablog.com

 その時にも書いたことだが、オルセー美術館印象派だけでなく、ナビ派のコレクションを多数所蔵している。しかも美術館の総裁ギ・コジュヴァルはナビ派の研究者としてつとに有名なのである。

 さらにいえば今回のボナール展でも図録への執筆を含め、中心的な役割を果たしているオルセー美術館主任学芸員イザベル・カーンは、オルセーのナビ派展でも三菱一号館の館長高橋明也とともに学術監修を行なっている。おそらくコジュヴァルの一番弟子のような存在なのだろう。

 総裁と主任学芸員ナビ派の研究者らしいということでいえば、もはやオルセー美術館印象派の美術館だけでなく、ナビ派の美術館であるのかもしれない。「日本かぶれのナビ」ならぬ「ナビ派かぶれのオルセー」と適当に呼ぶことにしよう。

 オルセーのナビ派展の図録にコジュヴァルのインタビューが収録されているが、それによるとボナールの作品は約90点、ヴュイヤールも同じくらい収蔵されており、モーリス・ドニの作品はそれ以上にあるという。その90点あまりのコレクションと国内のコレクションから130点あまりが集結したのが、今回の国立新美術館の大回顧展ということだ。

 そのためいくつかの作品はオルセーのナビ派点でお目にかかったものといえる。

f:id:tomzt:20181004202353j:plain

格子柄のブラウス

f:id:tomzt:20181004202349j:plain

猫と女性

f:id:tomzt:20181004202423j:plain

黄昏(クロッケーの試合)

f:id:tomzt:20181004202351j:plain

庭の女性たち

 この他にも大型作品である「ブルジョワ家庭の午後」やボナールの義弟クロード・テラスを描いたアンティミスム的作品「親密さ」なども記憶に残っている。

 その他きがついたことだが、ボナールはシャンパン生産者のためにポスターを制作する。このポスターはパリの市中のあちこち貼られてたいへん評判となり、シャンパンの売れ行きが増したということだ。

f:id:tomzt:20181004202421j:plain

フランス=シャンパ

 このポスターを観た時、てっきりこれはボナールがあのロートレックの有名なポスターに触発されたのかと思ったのだが、実はこれはまったく逆の話。ボナールの評判になったポスターに喚起されてロートレックはムラーン=ルージュの制作をすることになったのだとか。これもオルセーのナビ派展の図録にイザベル・カーンが寄せた「ナビ派、あるいは内なる眼」の中にあった。

 ボナールの浮世絵から取り入れた大胆なフォルムは、自分などはこれはある部分ロートレックから借用したものではと思っていたのだが、このへんも日本被れのナビ派たるボナールが最初に取り入れ、そこから多く画家が採用したものなのかもしれない。

f:id:tomzt:20181004202347j:plain

f:id:tomzt:20170602125329j:plain

 図録は絵を眺めるだけで、あまりそこに書かれた時に何回な論文めいたエッセイは、なんとなくスルーすることが多いのだが、けっこう面白い、ためになる、そういう部分もあるのだと思う。もう100冊近い図録もじっくり眺め、読むのはずっと先、引退後の楽しみのようにも思うのだが、果たしてそんな時が自分に訪れるんだろうか。

 

泌尿器科へ通院

 7月の健診でいつものように血糖値、肝機能、コルステロールといったあたりで引っかかったのだが、今回これに加えて前立腺の数値で再検査というご託宣をいただいた。

 9月にかかりつけの出版健保の診療所に行き、ついに糖尿病の正式な検査を行うことになった。なんでも半日がかりで検査するのだとか。気が重いのだが、そのときに前立腺については別に泌尿器科の医院で診てもらうようにとのことだった。

 ほとんど自覚症状もないのだが、気になるところでもあり、少し調べると前立腺ガンは60代以上の男性では、胃ガン、大腸ガン、肺ガンについで多いという話もある。近所で泌尿器科の医院を調べると、近くにはないようで、総合病院には一応診療科はあるようなのだが、診察自体が週に1〜2回ということが多いようだ。ようやく調べて行くと日高に専門医がやっている医院があるとのことで、ネットで予約をいれてみた。

 診察は健康診断の結果を見せる。あとは腹部のエコーと採血。PSAの数値はけっこう高く、ガンの可能性は30%くらいとけっこう微妙に思い悩む数値。直腸から針を刺して生検を行う施術を行うことになるというので、二週間後に予約を入れる。

 施術というか検査は、手術とまではいかないので、日帰りだというのだが、車の運転はできないという。電車で来るというと、帰りはタクシーのほうが良いという。そんな話を聞くとけっこう大ごとなのかもしれない。麻酔の有無を聞くと、大病院では麻酔をしないのだが、うちは局所麻酔をすると医師の話。

 なんとも憂鬱な話だが、これも仕方がないことかもしれない。もう10年近く前になるけど、バリウム検査で胃に影があり、胃カメラを呑んだ。その時の診断は、胃の荒れがひどく、5段階でいうと3くらいになる。これが4になるとガンになると言われたことがある。経過観察で3〜4ヶ月後にまた胃カメラを呑んだところ問題がないとのことだった。それからすでに4〜5回胃カメラやってるが、こと胃に関しては問題なしできている。

 そのときもかなり悩んだというか暗い気分になったが、今回もまたそんな感じである。もしガンと診断されたら、その時はその時で病気と向き合っていくしかないのだろう。まあ前立腺ガンは比較的進行が遅いとも聞く。もし早期であれば手術で全摘みたいな形で完治するともいう。さらにいえば進行ガンであれば、血尿や腰の痛みとかの自覚症状もあるとか。今の所、そういうのはなさそうなんだが、こればっかりはわからない。

 とにかく二週間後に検査がくる。受け入れていくしかないのだと思う。しかしこういうのが年を取るっていうことなんだろうね。