東京富士美術館補遺

 東京富士美術館、着いたのは昼少し前くらいだったのだが、やけに混んでいて中年以上のおじさん、おばさんの集団がごった返していた。入り口のすぐ右側にあるレストランで昼食をと思っていたのだが、こちらも満席状態で入り口の予約表にも待ちが7組くらいあった。それですぐにロシア絵画の至宝展を観に行ったのだが、こちらも人手が凄かった。なんか今までで一番混んでいるかもしれない。

 そういえば臨時駐車場にも待ちが出るくらいだったのだが、それが1時を過ぎると潮が引くようにして人がいなくなった。レストランに戻るとこっちも空きテーブルが増えていた。

 その後はもういつものこの美術館のごとくで、人はまばら、ゆっくりと絵画鑑賞ができたのだが、それがまた3時過ぎになるとまた人でごった返し始めた。これはようするに美術館ではなく、多分、多分だが創価大学内でなにか中高年向けの何かの集会の類でもあったのではないかと、まあ勝手に推測してしまう。おそらくは学会系のものじゃないかと。しかし、おじさん、おばさんパワーはなかなかに凄くて、絵画そっちのけで世間話してたりとか、けっこう迷惑といえば迷惑なんだが、多勢無勢というか、向こうはホーム、こっちはアウェイなんでちょっと避難的に空いてる常設展の方に集中するようにした。

 常設展はいつもの16〜18世紀のあたり、バロックロココ、オランダ風景画とかはあまり展示作品に変化はなかった。これがロマン派、写実派、印象派あたりの部屋になるとけっこう展示替えが進んでいて、印象派はほとんどなく、モネが1点、カイユボットが1点あるくらい。あとはほとんど新印象派のロワゾー、シダネルなどが中心になっていた。

 この美術館でマネもなく、ルノワールも1点もなく、そしてピサロシスレーもないというのはちょっとびっくりである。とはいえ多彩な収蔵作品があるだけに、それでもちっとも残念感がない。今回の展示作品だけでも十分余りあるというところか。

 気に入った作品をいくつか。海景画、海岸風景を描かせたらこの人をおいてないというのがウジェーヌ・ヴーダン。

 

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ヴーダン「ベルクの海岸」

 コローはヴーダンを「空の王者」と呼んだという。確かにヴーダンの空の表現、特に雲の描き方はちょっと他にないかなというくらいに秀逸だ。そしてどことなく抒情生が漂う。

 コローの海景画はどのへんからくるんだろう。多分、オランダ風景画あたりの表現から学んだのではないかと密かに思っている。

 

 例えばこのヤン・ファン・ホイエン。河口あるいは運河が海に繋がるあたりを描いたものだろうか。

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ヤン・ファン・ホイエン 「釣り人のいる川の風景」

 色調を落とした静かな抒情を誘う絵だ。どこか中国の水墨画的な雰囲気さえ感じさせる。17世紀中庸にこんなにも完成された風景画が描かれていたということにオランダ絵画の奥深さを思ったりもする。ブーダンはこのへんから影響を受けているのではないかと、そんな気がする。

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シダネル「森の小憩、ジェルブロワ」

 アンリ・ル・シダネルの「森の小憩、ジェルブロワ」。マネの「草上の昼食」を想起させる題材だが、人物の不在。それでいて人がいた気配が濃厚に漂う。人の不在とその気配、この画家が得意とするモチーフらしい。通俗的にエロチックなものを想像することも可能だが、自分には木陰の奥がなにか異界めいているような気もする。さっきまで寛ぎ、昼食をとっていた人物たちは、あちらの世界に召還されてしまったのかもしれない。

  そして前回来たときにも思ったのだが、ゴーギャンに影響を受けたというロワゾーの作品は、なにか今回は展示されていないピサロの作品以上にピサロっぽいような気がする。

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ギュスターヴ・ロワゾー 《ヴォードルイユの農家》