MOA美術館-UKIYO-E 江戸の美人画 (3月16日)

 14日木曜日に寄ろうと思ったのだが、MOA美術館は木曜日が定休のようだ。なので小旅行最終日に寄ることにした。しかし車で行くとここはけっこう難儀な道を通る。険しい坂道を登って正門付近に着くと、そこで案内係に駐車場を案内される。それもまずQRコードを見せられ、それをスマホでスキャンすると地図が表示される。まあそれは見ないで看板を頼りに狭い坂道を登る。ほとんどぽつんと一軒家でよくある狭い山道みたいな感じだ。

 なんどもつづら折りの道を行くとようやく開けてきてMOA美術館の裏側に出る。そういえば数年前の熱海で土石流が起きたときには、そのすぐ後に行ったことがあったけどMOA美術館の駐車場に消防車やパトカーが何台も止まっていたっけ。

 伊豆にはここのところよく来ている。去年は3~4回来ただろうか。伊東の保養所がバリアフリー的に充実していること、ベッド仕様や家族風呂などもあるから。抽選申し込みでもウィークデイだとけっこうとりやすいとかもある。なので小旅行の頻度としては圧倒的に多い。

 となると伊豆の美術館に行くことが多いはずなのだが、この雑記の記録を調べると仕事を辞めてからまだ二度しか訪れていない。やっぱりあの坂道か、あるいはバックの宗教が気になるのか。いやそれはないな。富士美には数えきれないくらい行ってるし、まあ単なる巡り合わせか。まあしいていえば熱海はなんとなく通過するところという感じがある。そして今回思い知ったことだが、崖にへばりついた町だから。

MOA美術館「開館40周年記念名品展 第1部」 (2月25日) - トムジィの日常雑記

MOA美術館『没後80年 竹内栖鳳ー躍動する生命ー - トムジィの日常雑記

 

MOA美術館-UKIYO-E 江戸の美人画

 

 

 MOA美術館コレクションによる肉筆及び版画の美人画を中心とした浮世絵を展観する企画展。重要文化財四点を含む70点弱が展示されている。いっぱい持ってるんだなと改めて思う。

 しかしMOA美術館、土曜日ということもあるけどえらく盛況。これまで来たなかで一番賑わっている。とにかく展示作品を観るためには列にならんで観る必要がある。その列の進むのがえらくゆっくりで。まるでトーハクの企画展かと思えるくらいに鑑賞客が多い。ただトーハクとは違うのは客層。あっちはだいたい高齢者が多いけど、MOAはとにかく若い子たちが多い。なんていうか大学生の修学旅行の団体さんが来ていますみたいな感じ。

 ということで列には並ばず、空いてそうなところを飛ばし飛ばしに観ることにしました。

《誰ヶ袖図屏風》

《誰ヶ袖図屏風》  17世紀

美しい衣裳によって着る美人を連想するとの発想から、衣裳だけを描く「誰ヶ袖」屏風と呼ばれる風俗画が生まれた。衣桁に小袖・打掛・袴や香袋などを描き、背景を金と銀の片身替りにし、装飾効果をあげている。(解説キャプションより)

 これがあの名高い《誰ケ袖図》か。というかこの作品は、このオリジナルを観るよりも先に京都で福田美蘭のパロディを観ているので、なんというやっとオリジナルを実見したみたいなちょっとした感慨があったりする。

 福田美蘭のやつはこれなんだけどね。いつものごとく著作権ぎりぎりを攻めてきている。これ観ているので、いつかは本歌の方を観てみたいとは思っていた。

《誰ヶ袖図》 (福田美蘭) 2015年 京都市美術館蔵 
《花見鷹狩図屏風》
《花見鷹狩図屏風》 (伝 雲谷等顔)  桃山時代 16世紀

 重要文化財である。

向かって左隻には「武家の鷹狩」を描き、右隻には「庶民の花見」を描く遊楽図屏風の一つである。両隻ともに水墨を基調として表現しているが、花見図が金箔や色彩を多く用い華やかさを出しているのに対し、鷹狩図はあくまで水墨画的であり、主題・色彩ともに左右対照の妙を見せている。慶長期(1596~1615)に描かれたこの種の初期風俗画の多くは、狩野(かのう)派の画人の手になるものであったのに対して、本図は、樹木や岩組に見られる筆法や風景構成から、雲谷派の祖、雲谷等顔(1547~1618)の筆とされる点で注目に値する。等顔は、雪舟(せっしゅう)の画風に傾倒して個性的な水墨画形式を創造し、雲谷派の基礎を築き上げた桃山時代の代表的画家である。

https://www.moaart.or.jp/?collections=062

《調髪美人図》

《調髪美人図》 (鳥居清信) 17世紀

 鳥居清信は17世紀から18世紀にかけて活躍した鳥居派の祖。見ての通り、この頃はまだ浮世絵の美人画スタイルともいうべき面長細面に切れ長の目は確立していない。どちらかといえば写実性とやまと絵的なふっくらとした面容だ。浮世絵は次第に商品化が進むにつれてキャラ化ともいうべきスタイルが定着していく。

 以前どこかで浮世絵美人画は今のアニメの萌え絵と一緒みたいなことを書かれる方のブログを読んだことがあって、なるほどと思ったことがある。アニメの萌え絵もみんなキラキラして目の大きな同じ顔立ちのスタイル。浮世絵もあれと同じなんだということ。そういう意味でいえば平安時代のやまと絵の引き目かぎ鼻も、あれが当時の美人のキャラだったということで、美意識の変遷みたいなことなんでしょう。多分これについえはきっと論文とかいくつも出ているような気がする。

《立美人図》

《立美人図》 (松野親信) 江戸時代 18世紀

 松野親信は懐月堂風の画風とは解説キャプションにある。懐月堂や同じころの宮川長春を祖とする宮川派、肉筆専門でややふっくらとした下膨れ的な面容の美人画を多く描いていた。これらは例の面長、切れ長の喜多川派、歌川派とは一線を画すのかとは、今適当に思ったこと。

《化粧美人図》

《化粧美人図》 (西川祐信) 江戸時代 18世紀

 これもふくよかな顔立ち。鏡に映った顔とその前に本人の顔が微妙に異なっていて、本人の方が切れ長の目をしているのがちょっと面白いなと思った。

《柳下腰掛美人図》

《柳下腰掛美人図》 (宮川長春) 江戸時代 18世紀

 宮川派の祖。宮川派もふっくらとした容貌の絵を得意とした。宮川派は長亀、一笑、春水らの門人を擁した。寛永3年(1750)に稲荷橋狩野家の日光廟修復のときに報酬不払いで狩野家と紛争になり長春は暴行を受けたという。その報復で門人らが稲荷橋狩野家邸に斬り込むという事件がおきる。この事件で科で弟子の宮川一笑は伊豆新島に流罪となりその地で没したという。

《寒泉浴図》

《寒泉浴図》 (喜多川歌麿) 江戸時代 1799年頃

 歌麿の最晩年の肉筆画。風呂おけの写実的な描写に対して女性の姿はどこかデフォルメというか柔らかなフォルムになっている。このポーズかなり無理があるような気もしないでもないが、後ろ姿というのがどうにもエロチックでもある。

《二美人図》

《二美人図》 (葛飾北斎) 江戸時代 19世紀初期

 これも重要文化財北斎は勝川春章に師事して勝川春朗と称して画業を出発し、その後土佐派、狩野派琳派などの画風を学んで一家をなした。この作品は葛飾北斎の40代の作品。

《雪月花図》

 《雪月花図》 勝川春章 江戸時代 18世紀

 これも重要文化財

雪月花の三幅対に王朝の三才媛、清少納言紫式部小野小町を、当世市井の婦女に見立て描いている。春章が貴顕・富豪の求めに応じて肉筆美人画に専念した天明年間の作であろう。 (解説キャプションより)

《婦女風俗十二ヶ月図》

 

《婦女風俗十二ヶ月図》 (勝川春章) 江戸時代 18世紀

この作品は肉筆浮世絵の中でも代表的な傑作で、当初の十二幅中、一月と三月の二幅が失われている。そのため、歌川国芳(くによし)によって補充されたが、現在その一幅も失われ、「三月・潮干狩図」のみが現存している。この揃物は、春章の最も脂の乗った天明期(1781~89)の作で、月々の季節感や行事を各図に背景として見事に取り入れている。また、縦長の画面に、数人の婦女子と楼舎、調度、花卉などを巧みに描き込んだ構図の美しさや精緻な描写も、肉筆画における春章の優れた力量を見せている。とりわけ美人の衣裳に見られる細密な描写と色彩には、春章の非凡な手腕が発揮されている。最後の「十二月節分図」だけに「旭朗井勝春章画」の落款と、「酉爾」の朱文方印が捺されている。松浦家伝来。

https://www.moaart.or.jp/?collections=078

 重要文化財。見事な作品だと思う。今回の企画展の中でももっとも美し異彩を放っている。この作品を観るためだけで熱海にやってくる価値があるかもしれない。12ヶ月のうち一月と三月の二幅がうしなわれ、国芳によって補充されたが、それも一月は失われたとMOA美術館HPの解説にあるとおりだ。

 おそらくこの十二ヶ月図は多くの絵師、画家に影響を与えたことだろう。鏑木清方の《明治風俗十二ヶ月》も春章に影響を受けていると思う。

 勝川春章(1743-1792)は宮川春水に師事し画業をスタートさせた。明和年間に一筆斎文調とともに役者の顔を写実的に描写する役者似顔絵を始め、歌舞伎絵の主流となった。宮川派の系譜をひく春章のの肉筆美人浮世絵は当時から評判が高かった。勝川派の祖でもあり、門人に春好、春英、春朗(のちの葛飾北斎)らがいる。