妻、入院する

 妻が入院した。

 糖尿病の治療である。当初、教育的なものかと思っていたが、治療がメインのようだ。本人あまり自覚はないようだが、数値的にはかなりヤバいものになっている。

 当初、医師から聞いていた予定は15日だったが、正式には前日に連絡しますとのこと。そのとおりに昨日の朝、連絡があった。

 病院には1時に行くことになっている。妻は最後の晩餐(昼食だけど)だということでお昼を外食したいと言っている。そういえばここ数日、最後の晩餐週間みたいに、外食が続いている。とはいえ年金暮らしなのでつつましい生活、せいぜいファミレスばっかりだけど。あとは月曜からすでにデイサービスをやめているので、昼飯もちょっとおしゃれなカフェでランチみたいなこともあった。

 先週、定期健診で通っている病院の神経内科の先生に、糖尿病で入院することを告げると、若い女医さんニコリとしながら「厳しいわよ」とおっしゃっていた。妻は最後の晩餐モードになったのは多分それからだと思う。

 いろいろと準備はしてあったのだけど、結局家を出るのが遅かったのであまり時間もなく、早めの昼食も病院から割と近いマックになった。お互いセットを頼んだけど、一つはポテト、一つはサラダにしたのだけど、サラダは当然妻が食べた。ポテトは二人で食べたけど。

 1時ジャストに病院に入り、最初にまずコロナの抗原検査を受ける。ここで陽性となると多分入院は延期になるのだろう。そのあと入院受付窓口で手続きしてから病棟へという流れになる。

 まずは妻を病院の1階入り口で下して車いすに乗せて、自分は車を駐車場へ。病院に一番近い障害者用駐車場に、昼過ぎで外来患者もだいぶはけるだろうと淡い期待で行ってみると満車状態。入口のバーの前で待たされる。もう1時を過ぎているのでかなりあせる。10分ちょっと待ってようやく1台出ていく車があり入ることができる。

 出ていく車の人は、高齢者だけど別に車いすでもなく、当然障害者でもない。いちおうこの駐車場は障害者専用なんだけども。やはり入口で手帳や駐車禁止等除外標章を提示するとかしないといけないのだろうか。もっともこの病院はもともと駐車場スペースが限られる。高齢化社会にあっては十分な駐車スペースを設けないと、みんな便利な身障者スペースを使うのだろうなとは思う。

 やや遅れて妻と合流してすぐに2階の抗原検査の場所へ。そこで15分くらい待ってからようやく検査してもらい、それから入院受付窓口に行く。そこでもやはり15分くらい待ってから窓口の女性に必要書類を渡して手続きを終える。それから本館と棟続きの別の棟に移動して9階の病室へ。

 そこではまず主治医から簡単な入院治療について説明を受ける。入院を決めるために前に訪れた時の先生とは別の医師でかなり若い。さらにその横にインターンらしき若い女医さんもついているが、その先生は一言も発せず、主治医の先生だけが説明してくれる。

 当初は一週間から10日という入院期間と聞いていたのだが、若い主治医の先生は10日から二週間くらいと。治療を中心に、そこに教育プログラムを組み込む。入院中もインシュリンを投与するが、退院後も自分で続けて投与してもらうという。妻、インシュリン注射決定の瞬間である。妻は一応数値がよくなれば投与はしなくてもみたいに抵抗はしていたが、どうもこれは決定のようである。妻が障害者であるということもあり、「ご主人にも注射の仕方とか覚えていただかないと」ということらしい。

 自分、注射はするのも人がされるのも嫌いだし、いつも目を背けているのにできるのかどうか。まあいいか、これまでも妻の病気関連ではいろいろとクリアしてきてるからなんとかなるか。いや、なんとかしないといけないんだな。

 その後は担当看護師から説明を受けて妻は病棟へ。この病院は完全看護のうえにコロナの影響で、家族を含めて入院者以外は病棟に入れないきまりなので、妻とはナースステーションの前でお別れ。荷物も看護師に預けてさよならとなった。

 結局、1時に病院に入って、妻と別れたのが3時少し前くらいだっただろうか。これまでの経験からすれば、えらいことシステムアップしていて、入院までの時間も短縮されているような印象だ。

 これで二週間、妻は糖尿病の治療を受ける。まあこのまま数値が悪くなって、気がついたら合併症が出て悪化して・・・・・・、みたいなことからすれば、改善とまでいかなくても悪化をとどめるという点でもいいきっかけだったかもしれない。

 駐車場から車を出して少し走り始めたところで、さっそく妻から電話があって、あれがない、これがないとか、化粧落としをもってこなかったとか諸々言い出す。そこで必要なもの、忘れたものをラインにして。土曜日にまとめてもっていくからと言って電話をきった。

 そのあとは、時間も早かったのでいつもは妻の車いすを押して散歩する高麗川遊歩道に一人で生き、7~8キロ歩いて帰った。