府中市美術館『吉田初三郎の世界』

Beautiful Japan 吉田初三郎の世界 東京都府中市ホームページ  (閲覧:2024年6月21日)

 一日中、本降りの雨が続くなか、府中市美術館で開催されている『Beautiful Japan 吉田初三郎の世界』展を観に行ってきた。いつも府中市美術館は車で行くことが多い。まあ妻と一緒だからということもある。今回は友人と一緒だったので、電車バスを乗り継いで行った。

 府中本町で待ち合わせ、雨の中大國魂神社の境内を突っ切って京王線府中駅まで。そこから市内巡回のミニバスに乗って府中市美術館まで。雨でなければ大國魂神社の境内散策が楽しめたかもしれない。ミニバスは府中駅から美術館の前まで行きバス代は100円。こういう美術館巡りも楽しいものだ。

 吉田初三郎は鳥瞰図で有名な画家。鳥瞰図とは地図の技法で鳥のように上空から地面を見下ろしたような構図で描く手法。

鳥瞰図 - Wikipedia

 そして吉田初三郎はこの鳥瞰図の形式で観光図、鉄道路線図などの図案を描いて、明治から昭和にかけて一世を風靡した画家である。とはいえこれは芸術というよりはイラスト、グラフィック・デザインのジャンルといっていいかもしれない。おそらく近代日本においてこのジャンルを開拓したのはおそらく杉浦非水とこの吉田初三郎の二人かもしれない。

吉田初三郎 - Wikipedia

 吉田初三郎の作品はこれまでに何度か観ている。おそらく府中市美術館での何かの企画展で観光ポスターの類が何点も紹介されていて、その中にあったのかもしれない。とにかく観ていて楽しくなるような観光図だった。なので今回の企画展は楽しみにしていた。

 とはいえ鳥瞰図自体は吉田の考案でもなく、ウィキペディアにもあるとおり昔からあるものだし、西洋では極端な透視図法の一つとして形成されていた。そして日本においても古くは春日曼荼羅などの宮曼荼羅にその方式で描かれたものがある。また安土桃山期から江戸初期に描かれた洛中洛外図屏風なども、鳥瞰図の一種ともいえるかもしれない。

 吉田初三郎はそうした日本画的な俯瞰図の要素を巧みに取り入れて、判りやすくかつ見る者の興味を引くような大胆なデフォルメと名所を極端に強調した絵図を描いた。生涯でおよそ1600点もの鳥瞰図を制作したともいう。いずれも商業的なポスターや折りたたむことを前提とした横長の地図として制作され印刷されたものだ。

 展示作品はとにかく観ていて楽しい。友人とひそひそ、これはあのへんでなどと話していて、多分ちょっと声が大きくなったのか、監視員の女性に注意された。駄目だね、れは。とはいえ還暦を遠に過ぎたジイさんが、ああだこうだと能書き垂れるくらいワクワクとする、世の中の地図好きにはたまらないような作品ばかりだ。

 ただしいずれの展示作品も印刷されたものなので、作品としてはそこそこ大きいが、描かれる地図、地名は細かい。友人は単眼鏡を持ってのぞいていたが、それがないときついかもしれない。と、そこで思ったのだがこの鳥瞰図はみんな印刷されたものである。いわば変型判の書籍をガラスケースの中で展示しているようなものだ。だとしたら、これは拡大印刷したものを展示した方が楽しめるのではないかと、そんなことを思った。

 これは図録についてもいえることでB5判の書籍で見開きで掲載された鳥瞰図は、正直これも小さすぎる。吉田初三郎の鳥瞰図集はたしか地図の昭文社から出ていたと思う。あれは横長の変型判で、ほとんどの作品が二つ折、四つ折りになっていた。あのくらいの大きさがないと正直鳥瞰図は楽しめないかもしれない。

 展示作品は別にオリジナルの印刷ポスターや書籍である必要はないし、もっと大きく拡大展示すれば、多分地図好きの興味をよりひくのではないかとそんなことを思った。

 

筑波山神社を中心とせる名所図会》肉筆鳥瞰図 昭和初期 堺市美術館

《富士美延鉄道沿線名所鳥瞰図》部分 肉筆鳥瞰図 1928年 堺市美術館

《神奈川県鳥瞰図》肉筆鳥瞰図 昭和7(1932)年 神奈川県立歴史博物館蔵

 

京阪電車御案内》 印刷折本 大正2(1913)年頃 個人蔵

 この《京阪電車御案内》は吉田初三郎の初期作品の一つで、これを目にした皇太子(のちの昭和天皇)が、これは判りやすい、持ち帰って友人に見せたいと感想を述べたと伝えられている。この言葉が吉田初三郎を鳥瞰図の道に進ませたのかもしれない。我々昭和世代からすると、昭和天皇らしいというか、なんとなくそういう感想を述べるの姿が目に思い浮かべられるような感じである。戦前は神であった昭和天皇にはどこかそうした飄々としたイメージがあった。

 もともと吉田初三郎はアメリカ・フランスに留学したこともある鹿子木孟郎に師事して洋画を学んだ。そして鹿子木に勧められて商業美術に転じた。鹿子木は小山正太郎の不同舎に学び、アメリカ・フランスに留学し、フランスでジャン=ポール・ローランスに師事したこともある。

 不同舎に学んだ画家では鹿子木の他、満谷国四郎、中村不折青木繁らがいる。そうした塾生の中には、外国人向けに売る日本の風俗を写実的に描いた水彩画=土産物絵を描いた者も多いという。それは今風にいえばある種のアルバイトであったかもしれないが、写実表現獲得のための実践でもあったようだ。それらの作品も何度か府中市美術館で観ている。この美術館はそうした近代日本の初期の洋画の収集も行っている。

 繰り返しになるが、吉田初三郎の鳥瞰図は洋画の遠近法、日本画の宮曼荼羅、洛中洛外図、浮世絵の名所図などからヒントを得て、あの独特のデフォルメされた観光絵図を創り上げた。そこには確かな洋画の技術があったのだとは思う。次に吉田初三郎の鳥瞰図をまとめた回顧展が開かれるときには、出来れば拡大図を中心に展示してもらえないかと思う。まあこれは老眼の高齢者だからということではなく、細部を楽しむ地図絵だからという意味でだ。

 今回、最初に鳥瞰図を観て思い浮かんだのはこの宮曼荼羅だった。

《春日宮曼荼羅》 13世紀後半 奈良市南市町自治会蔵 (奈良国立博物館寄託)