宇治観光~平等院・萬福寺 (5月21日)

 宇治観光である。

 宇治って行ったことないなと思った。地図で見てみると京都の南か。そう場所さえもイメージできない。宇治というと平等院鳳凰堂、10円玉である。というかそれ以外にイメージできない。あとは宇治抹茶とか。

 ということで今回は行ったことがないところというところで宇治をチョイスした。まあこれもNHK大河ドラマから来ているかもしれない。宇治といえば『源氏物語』の「宇治十帖」であるし、平等院はもともと藤原道長の別荘だったということもある。なんていうかミーハーそのものだけど、観光なんてそんなものだろう。

 

平等院

 事前に調べて南門に近い宇治駐車場が駐車台数も多いということだった。ここは南門前の道路の反対側にある。でも南門の横にやや変形した土地に車が10数台止められる駐車場があり、数台分開いている。ここは平等院駐車場というらしい。駐車代はいずれも800円なのでとりあえずここに止めた。まあウィークデイの昼少し前だったので止められたけど、土日はすぐに満車になるのだろうなとは思った。

 そしてすぐに南門の料金所を通ると平等院。最初に鳳翔館という宝物館(ミュージアム)に入る。このへんからは係の人が案内してくれて、エレベーターで地階に行き外に出るともうそこには池の向こうに鳳凰堂が見える。まさに10円玉そのもの。

 

 

 

 

 平等院はもともとは貴族の別荘だったところを藤原道長の子藤原頼道が寺院にしたということらしい。まあこのへんも予備知識はなし。

世界遺産 平等院

平等院 - Wikipedia

 鳳凰堂は別料金で入れるのだが、時間指定で人数を制限しているのだとか。まあ車椅子だし、中は靴を脱ぐということなので今回はパス。というか次回があるのかどうかはわからない。

 園内はというと、やはり外国人と修学旅行生が多い。だいたい4対4の割合くらい。残り2割がシニアの観光客と働いている人って感じか。前日の伏見稲荷よりは幾分か外国人観光客も少ない風。

 周遊コースは平等院を時計逆回りか時計回りかで廻るのだけど、平等院の裏側に行くには若干の階段と急こう配の坂がある。最初に案内をしてくれたスタッフからは、この裏側には車椅子では行けないと言われた。階段のところだけ歩いて、車椅子を持っていくのではどうかというと、それも禁止だとか。例外を作ると車椅子ユーザーがみんなそういうやり方をするのでみたいなことを仰っていた。

 そういうことなので一応時計逆回りというか、平等院を正面に見ながら進んで、正門の前まで行ってから引き返す。そして鳳翔館の脇のところに車椅子を止めて、妻の手を引いて裏側に回ってみた。

 

 そして浄土院、羅漢堂、不動堂などを外から見てまた戻る。

 最後は鳳翔館で宝物を見学して終了。

 平等院はまあなんていうか鳳凰堂が、池の向こうに見える鳳凰堂がすべてという感じである。美しい庭園、鳳翔館の宝物なども見応えはあるけれど、まあ池越しに鳳凰堂を見たらOKみたい。もちろん個人の感想でしかないけれど。

 滞在時間は1時間くらいだったか。

宇治周遊

 平等院南門を出て右にまっすぐ歩く。あがた神社のところを右に曲がるとゆるい下りが続く。特に地図とか見たつもりもないけれど、たぶんまっすぐ行けば宇治橋平等院表参道の方にいくはず。ちょうど昼どきだったので早めに昼食をとろう思った(健保の宿は夕食が6時からなので、遅めの昼食をとるのはちょっと)。

 曲がってすぐのところにcafe de SAKURAなる古民家風のカフェがある。ちょうど一組家族連れが入っていったところだったけど、そのすぐ後に入っていくと一つだけテーブルが空いていてすぐに食べることができた。頼んだのは妻がオムライス、自分はビーフカレー。いずれもドリンク付きで1300円はまあ観光地ということでいえば、さほど割高とういこともない。まあ普通に美味しかった。

 いつも二人だと互いに相手の頼んだものを味見する。妻はたいてい全部食べることができないので、先に自分の方によこすことも多い。自分がなかなか痩せないのは外食時のこういう部分もあるかもしれない。味見したオムライスは、ライスがバターライス風でちょっと凝ってる感じもした。

 

 店を出て5分くらい歩くと宇治橋のところに出る。橋のたもとに紫式部の像があり、その横から平等院の表参道が始まっている。

 

 

 宇治橋を渡ってみる。渡りきると左手に京阪宇治線宇治駅が見える。宇治には川向うにJR奈良線宇治駅もあるようで、いずれも平等院まで徒歩で10分くらいだとか。まあ電車で来ることは多分ないのだけど、JRだと京都駅から一本、京阪線三条駅祇園四条駅から中書島宇治線に乗り換えるということらしい。

 昔々、出版営業をやっている頃は関西も担当していたので多い時は月1くらいで関西出張に行っていた時期もある。京都で書店回りをした後で、三条から京阪線に乗って京橋まで行ったことなどをなんとなく思い出す。多分30代半ばの頃だからもう30年も前のことになる。なんかこう思い切り遠い目してみたいな感じがする。

 

 宇治橋を引き返して、平等院表参道を歩く。両側にはお土産物屋、飲食店などが連なっている。そのまま平等院の正門まで来て、宇治川の土手の方に行く。そこから橘橋を渡り中州に入ってさらに朝霧橋を渡ると対岸に行くことができる。残念なことにいずれの橋も渡るためには短い階段を登らなくてはならない。

 

 

 

 朝霧橋のところで、妻が急にトイレに行きたいと言い出す。けっこう急を要するという。困ったなと思いつつ橋を渡って左の道を行くと運よく右側に公衆トイレがあり、なんとかギリギリセーフとなる。あとで聞くとけっこうヤバかったという。

 観光地で粗相するみたいなことになるとかなりシンドイことになる。まあ今までも何度かそういうことはあったので対処は出来るけれど、こっちも暗い気持ちになるし、妻も相当につらい。今回はとりあえずラッキーということで。

 そのあと歩いていくとまた宇治橋に出るので渡る。最初の紫式部像のところに戻る。なんというか宇治橋から平等院にかけてをぐるぐる回っている感じ。まあ天気もいいから別にいいんだけど、同じとこ回っているのもなんていうか芸がない。

 今度は表参道で土産物を買ったり、ちょっと抹茶と甘味物を食べたりと、なんとなくいわゆる一つの観光である。自分はこういうの別にどうでもいいのだが、当然のごとく妻は大好き。

 

萬福寺

 駐車場に戻るとだいたい4時少し前。宇治観光でもう一つ行きたいところが。今回は出来れば一日に二ないし三か所くらい観光したいとは思っていた。そして宇治では平等院と宇治周遊、そしてもう一つ黄檗宗の総本山萬福寺。ナビに入れると10分もかからないくらいだったので行ってみることにした。

黄檗宗大本山萬福寺 ‐京都府宇治市

萬福寺 - Wikipedia

 そもそもこのお寺の存在を知ったのは日本の芸術史のテキストを読んでいてのこと。江戸時代、鎖国が成立する中で海外との窓口は長崎出島に限られ、来航できる中国とオランダの二国。なんとなく海外からの文化、情報というと、西洋=オランダみたいな感じもするが、おそらく来航する頻度は隣国の大国でもある明からの方が圧倒的に多かったはずで、中国からの文化的影響はそれ以前から大きく、日本は中国文化を受容し続けてきた。

 そのなかで江戸時代前期から中期にかけて、長崎に来日した中国僧の影響は大きかった。なかでも隠元隆琦は1654年、63歳で来日し、最初は長崎の興福寺に入り、その後同じ長崎の崇富久治の住持となる。そして1658年に江戸に呼ばれ将軍徳川家綱に謁見し、1660年に幕府より宇治の地を拝領し、翌年に禅宗寺院を建立、黄檗萬福寺と名付け住職となった。その後、後水尾天皇をはじめ、公家、大名、商品などの帰依者を得た。

 それまで日本で禅宗は、臨済宗曹洞宗の二大宗派があったが、黄檗宗もまた隆盛を極め、明治の一時期をのぞいて禅宗の三大宗派の一つを形成している。

 隠元をはじめとする来日した黄檗僧たちは、書画にも多く残しており、その作品は黄檗物とされもてはやされた。もともと日本の書画は中国からの影響で発展してきたこともあり、特に山水画はほぼ中国の模倣から始まっている。幕府の御用絵師であった狩野派も基本は漢画中心であり、徹底した粉本主義、漢画の模倣によって技量を高めていった。そうした中で黄檗もの書画は、まさに本家として受容されていったということだ。

 その流れのなか、おおよそ70年後の1731年、清の画家であった沈南蘋が、幕府からの招聘を受けて、弟子の高鈞、高乾を伴って長崎に来日した。滞在は2年間だったが、当時の日本画にない花鳥の立体感や、細密描写による写実性は人気を博した。沈南蘋の滞在中、唐通事(通訳)であった熊斐が、南蘋から直接写実的画法の教えを受け、のちに熊斐のもと、鶴亭、宋紫石、森蘭斎などとともに、南蘋派を形成した。その画法はのちに円山応挙伊藤若冲などにも影響を与えた。

 南蘋派、江戸期の中国画の受容、その元となったのが黄檗隠元隆琦の来日と黄檗宗にあるみたいなところで、一度総本山の萬福寺に行ってみたいと思っていた。それで平等院に行くとなったときに、同じ宇治にある萬福寺にも行ければとまあ、そんなことだった。

 まず萬福寺のある周辺は黄檗という町になっている。京阪線黄檗駅も近くにある。萬福寺の駐車場に向かうと、手前には黄檗プールがあり、その先には黄檗公園と野球場もある。そして駐車場に車を入れるのだが、広い駐車場にはもう車がほとんどない。そこから車椅子を押してとことこと下る。が、なかなか行きつかない。途中で萬福寺の出口というのがあったが、そこからは入れない。入口は正門よりの断り書きもでている。

 そして数分歩いてようやく正門にたどり着く。

 

 正門をくぐると、なんか規模感が半端ない。

 次は三門に。

 

 三門を抜けると石をひし形に敷き詰めた参道が続いている。これって車椅子では通れないので、ひし形の石の脇を進む。平だけど舗装されていないので、けっこう押しづらい。もっとも砂利が敷き詰めてある参道とかに比べれば、はるかに押しやすいけど。

 とにかく境内は広い。あとでHP等で確認するとこういう規模感である。

 

 そして次は天王殿。ここが萬福寺の正面玄関にあたるらしい。ここは正面は階段なのだが、右側にスロープがある。

 

 

 天王殿の中には布袋が鎮座している。布袋は弥勒菩薩の化身なんだとか。

 

 

 そしてその奥には萬福寺の本堂である大雄寶殿。

 

 中には本尊の釈迦牟尼佛、両脇侍は迦葉、阿難の二尊者が安置されている。

 

 

 

 

両脇に十八羅漢像を安置。

 

 

 その後は大雄寶殿と天王殿の間をぐるりと回る。回廊には屋根があって回りやすい。

 

 

 これだけの広い境内、名刹ながら、ウィークデイの夕方5時近く、参拝客、観光客がほとんどいない。多く見積もっても10人くらいしかいなかったんじゃないか。当然のごとく外国人もいないし修学旅行生もいない。

 もう少し早い時間にはもっと多くの参拝客がいたかもしれないし、多分土日ともなれば相当の人が来るのかもしれない。でもこの広い境内、ぽつぽつとしか人とすれ違わない。ゆったりとした雰囲気の中で名刹の歴史に触れるような感覚、これが古都の寺社巡りなんじゃないかと思った。

 この雰囲気は素晴らしい。自分的にはこれまで訪れた京都の寺社の中で一番気に入った場所かもしれない。次、宇治を訪れることがあるとしたら、萬福寺はまた来たいものだと思った。

 最後は正門に戻ることなく脇から駐車場に戻れたがその出口がちょっと中国風。

 

 

 そういえば伏見にある伊藤若冲とゆかりのある石峰寺がある。若冲が下絵を描き、それを石工に彫らせたという五百羅漢が有名なところだ。そこも確か黄檗宗の寺だという。もし次回、京都に来ることがあれば、そこに寄ってみたいと思った。というか黄檗宗の寺院巡りというのもやってみたいと少し思ったりもする。