デロス同盟からペロポネソス戦争

 遠い遠い昔、高校生の頃の歴史は日本史だった。なので世界史の知識は皆無に近いかもしれない。ギリシアの列柱、オーダーとかについても、初めて知る言葉ばかりだ。博学な友人は高校が世界史だったからか、オーダーというと「コリント式はアカンサスだっけ」と即座に答えてくれる。自分はというと、ドーリア式、イオニア式、コリント式、「ええと、ええと」と覚束ない。

 さてと通信教育の一般教養科目には西洋史なるものがある。試しにとってみたが、テキストは個々の西洋史=通史というより、歴史観の変遷、いわば歴史学についての概説だった。まあそれなら、やはり大昔だけど学生時代にE.H.カーの『歴史とは何か』を愛読していたし、なんとなく判る。そのようにして、レポート課題もほぼ「歴史観と世界観の変遷」みたいなことをまとめた。素点は80点くらいだったからたいしたことでもなかったが。

 レポート提出とその採点のうえで、いよいよ試験となる。試験は五つのテーマのうちの一つが出題されるのだが、当然「歴史学」からの出題かと思っていたのだが、いきなり西洋史の個々の事象についての説明みたいなことになっていた。

  1. 都市国家アテネについて、「デロス同盟」結成から「ペロポネソス戦争」の敗北までについて
  2. フランク王国の王カール大帝シャルルマーニュ)の帝冠と「オットー一世の載冠」までをまとめる
  3. 「十字軍」の起こった原因とその結果について
  4. イギリス東インド会社の特徴、その設立から廃社までをまとめる
  5. ドイツ帝国(1871-1918)の外交的孤立について、1878年以降の外交上の経緯をまとめる

 この設問5つのうちから一つが出題される。テストはウェブ上で制限時間60分で、だいたい800字にまとめる。この800字というのが曲者で、論述に際して情報を盛り過ぎれば当然こんな文字数でまとめることは難しい。かといって情報を徹底的に制限する、あるいは学習不足で書く材料に欠ければこの字数もけっこう大変になる。

 さてどうするか、どれかにヤマをはるか、その場合外れた時の痛手は大きい。そうなると5つの説問それぞれについて学習しなくてはならない。それぞれを、独自で世界史の概説書などにあたる必要がある。ネタ本に使えるのは、大昔に買って処分せずに持っていた中央公論の『世界の歴史』全30巻だけだが、きちんと読み込んでノートを作るとなるとかなりの時間が必要。そしてそんな時間はない。

 結局、五日くらいでなんとなくそれぞれの説問についてメモを作った。試験はウェブ上なので、メモや参考書の類を参照するのは問題ない。

 そしていざ試験に臨んだ。というかメモが完全に作成したのが6月6日、いや日付の変わった7日だったか。そしてメモを読み込んで実際の試験はというと明け方にやってみた。このへんがウェブ試験のいいところだ。試験はだいたい1週間の間、どの時間帯でも大丈夫なのだ。でも明け方に受ける人なんて多分いないだろうなと思ったりもする。

 試験は一番最初の説問「アテネの衰退をデロス同盟からペロポネソス戦争までの経緯をふまえてまとめよ」みたいなものだった。

 しかしデロス同盟って、ペロポネソス戦争って、いったいなんだよということだ。まもなく古希を迎えようかというジイさん、初めて耳にする言葉である。

 紀元前500年くらいにギリシアには独立した小さな都市国家ポリスが生まれてきた。その中には大国スパルタや海運国として栄えたアテネなどもある。一方で大国アケメネセス朝ペルシアは版図を拡大し、イオニア地方のポリスを支配下にしていた。そしてミレトスで起きた反乱をアテネが支援したことから、ペルシアとポリス国家の連合との間に戦争が起きる(ペルシア戦争)。

 戦争はポリス国家の勝利を終わったが、いつまたペルシアが攻めて来るかわからない。それに準備するためポリス国家はアテネを中心にデロス同盟を組織する。しかし海運国家アテネはじょじょに覇権を確立し、事実上ポリスを支配するようになる。これに反発したポリスはスパルタを中心にしてアテネと覇権を争う戦争が起きる。まあそういう流れのようだ。

 このへんについてはもうほとんぞ全部、初めて知ることばかり。ようは世界史的教養がまったくないということだ。多分、高校生はみんなこれらを勉強するんだろうな。改めてえらいと思ったりもする。ということでオジイさん、慣れない勉強しながらまとめた解答はこんな感じである。事象を列挙しただけなので、多分あまりいい評価はないと思う。まあ割と緩いのでとりあえず単位はもらえるような気もしないでもない。

 ペルシア戦争では、当初、都市国家ポリスの同盟の覇権はスパルタが握っていたが、次第に制海権を握ったアテネに移行するようになった。ペルシア戦争後、アテネを中心とした約200のポリスは、再びペルシアが攻めてきたときに備えるため、前478年頃にデロス同盟を結成した。この同盟は、各ポリスが一定の兵や船を拠出して連合会軍を編成し、それが出来ないポリスは一定の納付金(フォロイ)を同盟の共同金庫に納入することになった。この共同金庫は、イオニス諸市の共同の信仰の対象であったアポロン神殿のあるデロス島におかれた。
 デロス同盟の義務の決定は、公正をもって知られたアテネの政治家アリステイデスに委ねられた。デロス同盟会議は平等の発言権のある代表者から成り、デロス島で開かれた。共同金庫の管理は10人のアテネ市民に委ねられた。こうしてデロス同盟の執行権は当初から大国アテネの握るところとなった。
 アテネでは軍船のこぎ手でもあった市民の発言権が強まった。アテネの政治家で指導者となったペリクレスは、成年男子に参政権を与え、彼らが参加する民会を国の議決機関とした。これによりアテネの民主制は完成し、アテネは全盛期を迎えた。アテネの影響もあって同盟のポリスの中でも民主制をとるものが増加した。次第にデロス同盟会議は開かれなくなり、共同金庫もアテネに移されることになった。
 アテネデロス同盟の盟主として繁栄をほしいままにし、アクロポリスアゴラを復興し、ピレウス港との間に長城を築き、地中海貿易を発展させた。アテネの発展はスパルタの反感を買い、これにコリントやアイギナなどの商業ポリスとの対立が深刻化した、アテネに反発するポリスはスパルタを中心にペロポネソス同盟を結成し、アテネペロポネソス同盟軍との間に戦争が起きた(前431~前404年)。同時期にアテネではペストの流行もあり、ペリクレスも罹患死去した。その後はデモゴーゴスと呼ばれる扇動家による衆愚政治に陥り、戦争に敗北した。
 アテネは、ペルシア戦争で得たものをペロポネソス戦争で失った。この時期のアテネは、戦争と平和の交錯する中で市民共同体を発展させ、文化、芸術を開花させた。デロス同盟からペロポネソス戦争を通じた時期にも、ソクラテスプラトンアリストパネスらが活躍していたのである。

 当然のことながら、試験後は右から左に詰め込んだ情報は消えゆく定めである。デロス同盟ペロポネソス戦争も、試験にはなかった十字軍も東インド会社カール大帝も。まあそういうのが全部頭に残っていたら、それはそれで楽しいことだろうとは思うけど、それはジイさんにはとても無理である。もっとも現役の二十歳前後の大学生だって、よっぽどそれを専攻にするのでもない限り、みな忘れゆく情報、知識かもしれない。

 思い起こせば、〇十年前の大学生の時にとった一般教養科目のなにを覚えているか、ほとんど壊滅に近い。いや専門だって、憲法、刑法、民法総則だの物権、債券総論、各論、まったく覚えていない。まあ法学部を出て良かったことといえば、法律の条文に抵抗がないことくらいか。仕事で様々な規則、就業規則とかそういうのを改訂したり、法律の変更に伴って新たな条文を付け加えるときに、割とスムーズにそういう条文をつくることができたとか、そのくらいだろうかと思っている。そういうものだ。

 なのでいまさら世界史の知識つけてどうなるか、あるいは単位のためにヒーヒーいいながら、関連書読んだりする。まあある種のM体質というか、自分をいじめているに等しい。とはいえ生い先短い人生にそういう無駄知識のために時間を割くというのは、まあちょっとした喜びであったりもするかもしれない。とりあえずジイさんの現在のマイブームは「デロス同盟」と「ペロポネソス戦争」である。