妻の入院が決まる

 妻は毎月二つの医院に通院している。一つは総合病院の神経内科。こっちは障害が固定されいるので、ほとんどご機嫌伺いみたいなもの。せいぜい頭痛薬を処方してもらうくらい。もう一つは地元の内科医院で、こっちは糖尿病だ。自分も糖尿病で都内の医院に三カ月に一度通っているのだが、妻のほうが薬は軽めという印象だった。

 先週、いつもの通院の後で医師から数値がかなり悪くなっているので、インシュリンを打つか、入院して治療を受けてはどうかという話があった。それで二日後くらいに、自分もついていって再度説明を受けた。いつもは診察は妻一人で受けて自分は待合室にいるか、外で時間をつぶすようにしている。

 医師の話では、血糖値も高目だがそれよりもHbA1c(ヘモグロビンエーワンシー)の数値がかなり高いということらしい。実際、直近の数値でみてみると、自分のものよりもかなり高目だ。本人はできればインシュリン注射はしたくないというので、そうなると選択肢は入院治療ということになる。早速、大学病院に紹介状を書いてもらうことになる。そして週明けの月曜日に紹介状をもらった。

 妻はウィークデイは木曜以外はデイサービス、デイケアに通っている。なのでいくなら今日ということで、午前中出かけることにした。しかし予約なしで大学病院である。相当待たされるのだろうなとは覚悟した。多分、朝8時くらいに入ればよいのだろうけど、なんとなくグズグズして出遅れる。家を出たのは8時半くらいだったか。やはり健常じゃないので、どうしても支度に時間がかかる。

 病院に着いたのは9時過ぎ。ここは山の斜面に次々に病院棟を建て増ししたような作りであり、駐車場はかなり上の方にある。まず本館の入り口前に車を止めて、妻を降ろして車椅子に乗せて館内に入れ、それから駐車場に車を置きに行く。みると次々そうやって車を止めては受診される方を降ろして車椅子に乗せる。だいたい年寄りだ。

 受付では医師からの紹介状もあり、受付書類を書いて窓口に提出。すぐに診察券を作ってもらう。そこに印字された患者IDによってこれからの検査、診察と流れ作業のようにして進行していく。

 順番的には、まず採血、採尿、次に心電図をとり、それから眼科で眼底出血とかの検査。それからようやく内分泌糖尿内科で医師と面談というやりとり。そこで2月中旬に入院ということが決まる。よくある糖尿病の教育入院かと聞くと、数値が悪いので基本は治療のための入院で、そこに教育プログラムを付加するものになるとか。

 それから患者支援センターに行き入院についての書類を渡され、おおまかな説明を受ける。ほぼすべてが終わり会計を済ませると時間は2時くらい。結局5時間くらいかかったのだけど、なんとなく感覚的にはスムーズにいったような気がした。実際、東館、GF、本館と、あっちに行き、こっちに行きということで、その都度の検査や診察とかのそれぞれ待ち時間はせいぜい15~30分くらいだったような感じ。まあ右往左往しているので、さほど時間がかかったという気がしない。

 それでも二人とも朝飯も食べずに来ていて、昼飯も食べていない。会計を待つ頃には、妻も「お腹が空いた」を連発していた。病院を出ても、周辺になんとなくしっくりくるような店もなかったので、結局地元まで戻ってファミレスに入ったのは2時をだいぶ回った時間。まあ地元に戻ったのは、出来れば役所に寄って限度適用認定証を発行してもらおうと思ったから。

 妻の脳梗塞の発症はたしか2005年の10月だったか。そこから翌年の6月に退院するまで、新宿戸山の国際医療センター、所沢国リハ病院にそれぞれ二回ずつ切れ目なしで入院を続けた。8ヶ月半である。都内で発症しそのまま国際医療センターに入院、脳圧を下げるために頭蓋開頭手術を受け、その後に国リハに移りそこで二ヶ月急性期リハビリを行い、再び国際医療センターに入院して頭蓋形成手術を受け、また国リハに戻る。そんな流れだったか。

 その後は症状、障害は固定したので、月1回神経内科への通院だったが、一度当時の主治医のすすめで大学病院で精密検査を受けるために入院した。45歳での発症だったが、当時から原因不明だった。しいていえば内頚動脈が通常よりも細いということを国際医療センターの医師からいわれていた。そこで一度、心臓から血栓が出て動脈が詰まったのかどうか、そのへんを心臓の裏側から超音波検査をするとかそんな話だったか。検査はやたらと長い経食道超音波検査というものだった。

 それで二週間近く検査入院したのが2009年のことだった。今回入院することが決まった大学病院の別の医療センターだったと記憶している。入院はそれ以来だから13年ぶりのことだ。

 今のところ糖尿病によるなにか症状というものはないので、妻も自分もあまり深刻に考えていない。でも先々のことを考えるとさまざまな合併症もあるだろうし、脳梗塞自体の再発リスクもあがる。多分、そういうことになれば、今の生活は一変することになってしまう。そういう意味じゃ、けっこう深刻に考えたほういいのかもしれない。

 妻には少しシビアに考えて、食事の量とかも減らしていかないといけないみたいなことを言う。でも、妻は「あのときに一度死んだようなものだし、早死にしてもかまわない」みたいなことを言う。片麻痺という障害と付き合い続ける部分で、やや厭世的になっている部分もあるのだろう。

 身体の自由を奪われて、おまけに唯一の楽しみである食べることにも制限がかかる。それを思うと、なんとなく大目にみるというか、甘くなってきた部分もある。ケーキが食べたいといえばつい買ってくるみたいな、ずっとそんな風にやってきた。でも先々考えると・・・・・・。今回がちょっとした契機にしなければいけないのかもしれない。

 夜、子どもにLINEすると、「もう二人ともヴィーガンになるしかないね」と返事が来た。あくまでクールである。