6月の日誌的③

6月20日(木)

 妻のお出かけモードに付き合うため、近場でということで、嵐山のラベンダー千年の苑ラベンンダー園に行く。ここは2019年に一度行っているから5年ぶりということになる。広大な畑にラベンダーを植えて、観光名所にしようと、そういうことらしい。

 ラベンダーはほとんど終わりかけのようで開催も23日までということらしい。でも、今朝の朝日の埼玉版にはいまが見頃と紹介されていた。そういうことで出かけたのだが、ちょっとばかりショボ過ぎる感じだ。

 駐車代500円、入園料一人500円、ついでに花摘み体験で500円、さらにソフトクリーム500円。ということで2000円。まあこんなものかもしれない。

 

 

 その後は都幾川の渡辺豆腐店に移動。車で10分足らず。自家製豆腐、ネギ味噌、おからドーナッツなどを購入。そこから越生の広沢精肉店に向いメンチカツ、コロッケ、から揚げなどを購入。なんか地元というかご近所をぐるぐるしている感じだ。

6月22日(土)

 

 前日、夜遅く帰ると荷物が届いていた。開けてみると、父の日と誕生日&結婚記念日ということで、子どもが送ってくれたもの。コーヒーは多分父の日と誕生日か。そしてアップルパイは結婚記念日用。妻が盛んにこれは「私食べていいよね」と言っていた。まあ半分以上、なんなら全部食べてもいい。

 この日はどこにも出かけない土曜日。妻は午後に一人で車椅子で散歩に行く。自分は夕方くらいから掃除をしてそれから帰ってきた妻と散歩がてら近所のスーパーに買い物。なんか最近の土曜日はこのパターンが多い。そしてスーパーでは見切り品を買ってくる。

 今回は半額だった生姜焼きを使って焼きそばを作ったが、味付けが甘ったるくてこれは失敗。半分以上残してしまった。

6月23日(日)

 妻が午後、友人とカラオケをするというので送ることにする。それから自分は一人でマックに行き一応学習に勤しむ。ボブズボウムの『創られた伝統』を読んでいるのだが、訳が悪いのか、もともと冗長な言い回しなのか判らないが、読みずらい、判りにくい。もともと専門書を読むような素養がないのかもしれない。

 しかしこの読みずらさ、独特の言い回しはなにか既視感があるな。昔々、E.H.カーの本を読んでいて感じたような、そんな雰囲気。なんていうのだろう格調高く、様々な引用とともに書かれているのだが、日本語的にいうと、主語と目的語が離れすぎだろうとか、この「それら」が指すものはどれだよみたいな、そういう感じでつっかえつっかえしているので、ちっとも進まない。

 それから図書館に行き、先日借りたCDを返す。しかしジャニス・イアン、シルヴィー・バルタン、ジェームス・ブラウンというなんの脈絡もないものを借りたものだ。JBはまあまあ愉しめたけど、あとの二人はほとんど聴かないで返すことに。なんていうか興味があるのは数曲のみって感じ。
 書籍はすでに2冊借りているのだけど、吉田初三郎関連の本があったので2冊借りる。

 7時半頃に妻を迎えに行き、それから買い物。夕飯は前日同様に焼きそばに。今回はタッカルビを使ってみたが、これは大正解でかなりいけた。妻は早めに自室に行ったので、録画した『光る君へ』を見ながら一人飯

6月24日(月)

 妻はデイケアでの体重測定のためずっとダイエット(本人談)していたのだが、今日でそれが終了。そのため夕食をしっかり食べるというので、適当に好きそうなものを作ってあげる。

麻婆茄子、マグロ納豆、カブと胡瓜の浅漬け、卵焼き。

6月25日(火)

 朝、庭に植えてある茄子に一つ実がなったので摘み取って浅漬けを作る。採れたてなので美味い。これからしばらくこういうのが楽しめるかもしれない。

 午前中に、歯医者通院のためお茶の水まで。左奥歯の神経の治療。これしばらくかかりそうだ。

 その後、竹橋の東近美に。学割を使うと2200円の企画展が1000円で観ることができる。ラッキーという感じだ。企画展「TRIO パリ・東京・大阪 モダンアートコレクション」展は、前回観た時と展示はまったく変わっていない。展示替えは7月上旬からということらしい。

 夕方、都知事選に出馬している蓮舫の街宣が成増であるというので行ってみることにする。人気のある人なので、かなり人も集まっている。あとで都議だかのポストを見ると、成増でここまで人が集まるのは初めてだとか。本当だろうか。とはいえもっと人が集まるくらいでないとブームとはいえないのだろう。

 情勢はどうか詳しくは判らないが、多分現職が圧倒的に強いのだろうと思う。そこに知名度がある野党の議員が挑むという構図では、少々の動員ではどうなんだろう。

 演説は最初、辻本清美議員が話していた。この人は味のある話し方で、画に描いたようなおばさん的というか、庶民的というか。

 蓮舫はやや遅れて現地入りという感じで、黒いミニバンで到着する。彼女が宣伝カーの上に乗るとなにか雰囲気が一瞬にして変わるような感じ。彼女には華がある。もともと芸能人ということもあるだろうが、スター性は十分だ。頭の回転も速く、話も上手い。でも、多分日本の政治風土で評価されるのは辻元清美の方かもしれないなと思ったりもした。

 しかし選挙権もない隣県の住民が、都知事選の街宣を見に行くというのもなんだろうね。まあこれは政治的興味本位というところだろうか。

 

6月26日(水)

 家から一歩も出ず、かといって学習をしてたわけでもなく、いったい何をしているやら。なにか完全に引きこもり老人のようだ。

 庭の茄子は2個目がいい感じでなったので摘み取りことに。苗は大きく葉をつけて花もそこそこ咲いている。これから夏になると、毎日のように実をつけてくれるのだろうか。それとも途中で尻すぼみのように枯れてしまうのだろうか。

 茄子というと、小学生の頃に多分理科の家庭学習とか、夏休みの自由研究とか、そんなことだったか庭に植えたことがある。実った茄子を切り取って、祖母に調理してもらった。多分、普通に焼いただけだったのだろうが、妙に美味しく感じた。多分、小学校の1年か2年の頃だから、おおよそ60年近く前のことなのに、妙に鮮明に覚えている。自分は割と茄子好きなのだが、多分それはその時の体験というか、記憶がずっと残っているからかもしれない。

 
6月27日(木)

 朝、9時半から妻の皮膚科通院がありつきあう。前夜、4時過ぎまで起きていたので眠い。

 皮膚科の治療は10分かそこらで終わる。それからどうしようかということになる。妻は都内の美術館に行きたいようだったが、なんとなくかったるい。そこで久しく行っていないので墓参りに行くことにした。

 墓は神奈川県の相模原の山奥にある。毎年なんだかんだで3~4回は行っているはずなのだが、今年はというとまだ一度も行ってない。多分、去年の12月に行ったきり。なんとなくお彼岸に行きそびれて、GWにと思っていたのだがそれも子どもが帰ってきたりして行かなかった。ということで半年ぶりくらいになる。

 最初に圏央道の狭山PAによる。そこでコーヒーを購入。このPAでは備え付けのガラスのコーヒーサーバーが10個くらい置いてあり、そこにモカ、キリマンジェロ、炭火焙煎、キャラメル風味などがそれぞれ入っていて、自由にブレンドできたりする。備え付けの紙コップはLサイズが220円、LLサイズが250円。保温用のマグボトルを持ち込んで入れるとたしか20円引きだったか。

 なみなみついでもOKなので、このコーヒー目当てに来る客も多いとか。大昔、上司だった人がよくドライブの際に立ち寄ってマグカップに入れていくみたいな話をしていたのを思い出す。今回、自分たちは初めて購入、自分はモカ、妻はモカとキリマンジェロのブレンドにした。

 いつも墓参りにいくときは圏央道の相模原まで行くのだが、今回は途中で中央道に入り相模湖インターで降りた。それで久々相模湖に立ち寄る。湖畔公園の駐車場はウィークデイということで無料。観光客も数えるほどしかいない。

 公園は七夕まつりということで七夕の飾りつけがあった。それぞれ近くの保育園や福祉施設で作られたものらしい。よく見るとあの津久井やまゆり園で作られたものもあった。19人が刺殺されたあの事件からすでに8年が経過している。たしか建物は2021年に新しく建て替えられたと聞く。一度、建物の前に花を手向け手を合わせたことがあるが、あれからもすでに5年以上経っているだろうか。

 

 その後、津久井湖の近くにある季逢庵というカフェ・レストランで昼食を。ここは一度行ったことがあるが、手ごろな値段でそこそこ美味いランチを食べることができる。今回、妻はペペロンチーノ、自分は鶏肉のトマトソース煮みたいの食べた。ドリンクつけて一人1500円くらいだっただろうか。

 

 それから墓に割と近いホームセンターで花を買い、墓苑に着いたのは結局3時近く。花を供え、焼香し、近況報告し、妻と子ども健康と幸福、見守ってほしい旨を祈る。

 この墓苑は今年で60年だという。父が死んだのが1986年。その翌年に墓をたてたのだから、それから37年も月日が経っている。

 墓をたてて数年後、まったくの偶然なのだがほとんど行き来のない親戚が三つ隣に墓をたてた。そのため墓参りするときは必ず二軒分の供花と焼香する。

 妻は墓の前に車椅子に乗せて座らせたままなので、一人で供花、焼香、水やりなどをする。何度も水道や線香に火をつける場所まで行ったり来たりする。墓参りのたびに次回は必ずライターを持ってこようとか思うのだがたいてい忘れる。

 タバコを吸っていた頃はいつもライターを持ち合わせていたが、禁煙するとライターを持ち歩くこともないし、家にも多分どこかにあるだろうぐらいの感じだ。子どもが高校生の頃くらいまでは、誕生日のケーキとかにロウソクを立てるとかあったから、ライターも一応は常備してあったけれど、今はそれすら覚束ない。

 そんなこんなで時間をかけるのだが、いったいあとどのくらいこんな風に墓参りを続けられるだろうか。この墓苑は山を切り開いて作られている。いつも車で墓の近くまで来る。お彼岸の頃はかなり混むので、場合によっては下にある駐車場に車を止めてみたいなこともあるかもしれない。まあうちは車椅子なのでそれはちょっと難しい。あの傾斜を車椅子押しては多分無理だろうな。

 とにかく車がないと埼玉から神奈川まで来るのも難しいだろう。自分が健康で車の運転が出来るうちはいいけれど、その先はどうなるだろうか。一人っ子の子どもが墓を守ってくれるだろうか。多分、難しいだろうな。

 先日、早くに亡くなった友人のところで墓仕舞があった。独り者で両親も亡くなっていて、嫁いだ妹さんが墓をみていたのだが、それも先々難しいということで合祀にするのだとか。

 墓はいずれ自分が入るところくらいのことしか考えていなかったが、その先ということがあるのだということ。子どもが勝手に処分するなり、まかせるということになってしまうのだろうが、少し現実味を帯びたこととしてどこかで話をしておく必要もあるのだろうか。

 歳をとるということ、自分の死を現実的に意識するということ、そしてその先のことについての具体的な想像力を働かせなくてはいけないこと。やれやれ、などと能天気にいっていられない具体的かつ直截な現実があるんだということだ。

 
6月28日 (金)

 前夜、かなり遅くまで、というかほとんど明け方までグダグダしていた。

 久々、Netflixで映画を三本も観てしまった。いろいろと現実逃避をしている。

 最初に観たのはリメイク(何度目だ)されたドラマシリーズの『静かなるドン』。これはまあ、まったく面白くもなく、観たことをちょっと公開するような内容。

静かなるドン 第1章 | Netflix

 しかし新田たつおのマンガ『静かなるドン』がここまで長期連載になるとは思わなかった(1988年~2013年)。そしてもともとギャグマンガ出身の新田たつおがシリアスなヤクザマンガをシリーズ化するとは、デビュー初期から知っている者としては、ほとんど驚きであったりもする。

 このコミックにして100巻を超すマンガを最初の何年かはよく読んだ。たいていは床屋とかラーメン屋とかで読むみたいな感じだったとは思うけど。

 次に観たのは『セーヌ川の水面の下に』。

セーヌ川の水面の下に | Netflix (ネットフリックス) 公式サイト

 淡水に順応した巨大ザメがセーヌ川に出現。さらにサメは単為生殖で増殖を続ける。そしてパリ・オリンピック前のイベントとして開かれるトライアスロンの国際大会は惨劇に変わる。

 およそ荒唐無稽な作品なのだが、けっこうスリリングに観ることができた。けっこう各国で視聴回数を増やしているヒット作らしい。しかしサメのパニック映画はどうしてこう面白く観てしまうのだろう。みんなサメ好きなんだなと改めて思ったりもした。

 そしてさらに明け方近く、へき地にそびえ立つすでに使われていない高さ600メートルのてれび塔にクライミングする若い女性冒険家二人を描いたという映画『FALL/フォール』を観た。

FALL/フォール | Netflix

 頂上まで登ったはいいが、はしご階段は劣化のため崩落。二人は頂上付近に取り残される。そこでは携帯の電波も届かない。孤立無援の状態で二人は消耗していく。

 基本高いところが大の苦手なので、飛ばし飛ばしに観た。まあ観終わったらすぐに忘れてしまうような映画だとは思うけど、朽ちかけた600メートルのテレビ塔、そこにチャレンジする女性冒険家、そして案の定階段が崩落して・・・・・・、などという設定をよくも考えたものだ。

 あり得ない設定ながら、冒険家の一人は冒険の一部始終をライブ配信し、その視聴回数を収入源にしているとか、みょうに今風なリアルさもある。頂上付近では電波が届かないが、そこではドローンを飛ばして録画映像をあとで配信みたいなところもそれなりに説得力がある。

 そしてなによりも600メートルという高さのリアル。CGとか駆使しているのだろうと思ったのだが、監督はけっこう実写のリアル表現にこだわったのだとか。なんでも高さ600メートルの崖をロケハンし、崖の上に作中の塔の最上部として高さ30メートルの塔を実際に建て、主役の女優2人はそこで演技を強いられたのだと。しかもスタントなしでハーネスをつけての撮影だったという。女優も命がけで演じているのだ。

 たぶん相当な保険もかけたんだろうが、女優二人の勇気には感服する。高い所がダメな自分のような人間にはまず無理なシチュエーションだ。それを思うとこの映画の極限状況のリアルさが改めて伝わってくるような。

 よく知らないがけっこうヒットしたらしく、すでに続編が予定されているのだとか。映画とはいえ自分には無理というか、多分これも観たことをちょっと後悔するようなタイプの映画でした。