東近美~大竹伸朗展  (12月8日)

 東京国立近代美術館に来るのは今年は7回目だ。いつもに比べて多いのは、多分鏑木清方展を3回行ったから。展示替えが多い企画展で、展示作品すべてを観ようと頑張ったからだと思う。

 そして今回の企画展「大竹伸朗展」である。特に関心のある作家さんでもないし、お目当ては常設展の展示替えなのだが、せっかくだからとその程度の興味。というか、そもそも「大竹伸朗って誰?」という感じである。ニワカで美術館巡りしてる自分にはまったく知らない人だ。

https://www.momat.go.jp/am/exhibition/shinro-ohtake/ (閲覧:2022年12月10日)

大竹伸朗 - Wikipedia (閲覧:2022年12月10日)

 ウィキペディアの解説読んでも全貌というかよく判らない。なのでまずは実作を観る。すっ、凄い。なかなかにインパクトがある。

 そしてこの企画展は冒頭の解説もなければ、それぞれの作品にも特に説明的なキャプションもない。アプリをインストールすればスマホとかで聴けるらしいのだが、テキスト的な説明は一切ない。

 これもまた「考えるな、感じろ」的な何かなんだろう。

 

 

 

 

 ポップかつ混沌、スナップやポートレート、様々な切り抜きをスクラップしたコラージュ、立体的な抽象表現、もはや絵画なんだか、造形なんだか、なんでもありである。

 

 

 この空間、どこか既視感があるな。なんとなく思い出したのは伊豆伊東にあるB級もといC級テーマパーク、まぼろし博覧会だ。

まぼろし博覧会 - Wikipedia (閲覧:2022年12月10日)

 こういうやつね。

 

 なんか大竹伸朗と東近美もよりにアート関係者から、一緒にするなと怒られそうなきもするが、まぼろし博覧会館長かつ出版社データハウス社長鵜野義嗣は73歳。大竹伸朗よりは年長だが、カオス、ごった煮的なサブカルチャーへの関心や指向性はかなり近似的な部分もあるかもしれない。

 さらにいうと大竹伸朗は1955年生まれなので、自分とほぼ同世代である。なので一つ一つのモチーフにはどこか親近感というか親和性がある。そしてそのへんをより笑かし的逸脱に振ったのが下世話なサブカルであるまぼろし博覧会なのかもしれない。いずれにしろ大竹伸朗にはなんとなく同じ時代を生きてきてる人だなという感じがする。

 そして一番気にいったというか、なんとなく共感したのはこの作品。

 

 この真ん中の帯状に吊るしてあるのは実は古い写真、古いポートレイトの類である。

 

 これはまあ適当な感想だけど、混沌とする意識の中で記憶や時間を重層的に表現しようとしたのだろうか。

 

 東近美に入るとき、なぜか宇和島駅という看板がかかっていた。多分そうだろうなと思いつつ、入り口の係員に聞くと作品だとのこと。

 

 そして夜になるとこの「宇和島駅」は妖しく輝き出すネオンサインとなる。

 

 これは1997年に宇和島駅の駅舎が改築となったときに廃品となったネオンサインを大竹が譲り受けたものなのだとか。かくして東近美の建物もまた一つの作品化してしまうのである。

 

 大竹伸朗展は2022年11月1日から2023年2月5日までのロングランである。機会があればもう1~2回覗いてもいいかもしれない。全貌を含めて理解するのは多分無理だし、自分の守備範囲ではない。でもそれぞれの作品の面白さはなんとなく感じることができそうである。