埼玉県立近代美術館で始まった「開館40周年記念展 扉は開いているか-美術館とコレクション 1982-2022」の初日に行って来た。MOMATコレクションの第4期は来週12日からなので、その時の方がいいかとも思ったがなんとなく早目というか行けるときに行った方がいいかとも思った。
開催概要
2022.2.5 - 5.15 開館40周年記念展 扉は開いているか―美術館とコレクション1982-2022 - 埼玉県立近代美術館
埼玉県立近代美術館は1982年11月3日、「開館記念展 印象派からエコール・ド・パリへ」の開幕とともに開館しました。開館以来、当館は多彩な時代・ジャンルの美術や文化を紹介する独自のテーマの展覧会を多く開催してきました。また、埼玉県ゆかりの作家の作品を核に、これまでに約3,900点を数える国内外の近現代美術の作品資料を収集し、MOMASコレクション(所蔵品展)や企画展、教育普及事業などで紹介しています。調査研究や展覧会を通して収蔵作家や作品を様々な角度から捉え直すことによって、異なる作品同士が思いがけない文脈で交点を結び、コレクションは豊かにその枝葉を広げています。
この展覧会では、2022年に開館40年を迎える埼玉県立近代美術館そのものに焦点を当てます。この美術館の原点ともいえる開館前後の活動、黒川紀章の設計による美術館建築、美術館の活動と分かち難く結びつきながら成長するコレクション、コミッションワークやプロジェクトなど、様々な視点から40年間の活動を紐解き、美術館が築いてきた土台を検証するとともに、これからの美術館を展望します。(チラシより)会期:2月5日(土)-5月15日(日)
※会期中、一部作品の展示替えがあります。
前期:3月27日(日)まで
後期:3月29日(火)から
展示構成
第1章:近代美術館の原点―コレクションの始まり
主な出品作家:クロード・モネ、アリスティド・マイヨール、斎藤豊作、斎藤与里、田中保、森田恒友、寺内萬治郎、橋本雅邦、奥原晴湖 他
第2章:建築と空間
主な出品作家:黒川紀章、橋本真之、中川陽介、飯沼珠実 他
第3章:美術館の織糸
主な出品作家:関根伸夫、吉田克朗、高松次郎、柏原えつとむ、瑛九、泉茂、靉嘔、小村雪岱 他
第4章:同時代の作家とともに
第1章展示作品から
2会の企画展会場に入るとすぐに40年前の開館当日の写真を背景にマイヨールの「イル・ド・フランス」がお出迎え。そして埼玉ゆかりの斎藤豊作、斎藤与里、モネの「積わら」が。そして後方中央には田中保の「水辺の裸婦」が。
ぶっちゃけこの1点のみの鑑賞だけでもこの企画展に来る価値がある。そんな思いをもつくらいにインパクトがある。「裸婦のタナカ」と称させる田中保の真骨頂でもある。田中保の作品をまとまって観たのはサトエ記念21世紀美術館だが、この埼玉県立近代美術館(以下MOMAS)もかなりのコレクションがあるという。小出しではなくまとまって観てみたいものだ。
田中保については戦前単身アメリカに渡り、その後フランスに移りエコール・ド・パリ派の画家として活躍し、ヒトラードイツ占領下のパリで没したという。戦前、ヨーロッパで活躍した日本人画家としては藤田嗣治と双璧を成すという。
以下ウィキペディアより抜粋した略歴
1986年 埼玉県岩槻町(現」さいたま市)で生まれる。
1908年 父親の営む金融業が破産し一家離散状態となる。
1904年 埼玉県立第一中学校(現県立浦和高校)卒業後、単身アメリカシアトルに渡り、皿洗いやピーナッ
ツ売りで整形をたてる。
1912年 オランダ人画家フォッコ・タダマの画塾に入学。
1915年 シアトル市立図書館展示室で初の個展開催。
1917年 個展で発表した裸婦が風紀上好ましくないと撤退勧告を受けるが抗議文を発表、個展は大評判とな
る。同年、詩人及び美術評論家ルイーズ・カンと結婚。
1919年 北西画家展に出品した作品が2等賞獲得、アメリカで画家として成功する。
1920年、フランス・パリに作品を携えて移住。その後、サロン・ドートンヌ、サロン・デ・サンデパンダン
などの展覧会に出品する。
1921年 作品「銅の花器」がフランス政府に買上げ。
1922年 作品「夜ノセーヌ」がフランスに買上げ。
1924年 渡仏中のの東久邇宮、朝香宮及び同妃夫妻が個展の出品作品の中から8点を購入する。
1927年 サロン・ドートンヌ会員となる。
1929年 サロン・デ・ナショナルの会員となる。
1941年 ドイツ占領下のパリで没す(享年54歳)。
MOMASの目玉とでもいうべき代表的なコレクションの一つ。いつもは1Fの常設展示会場で観ているが、2Fの企画展示室だとちょっと雰囲気が変わる。
斎藤豊作は1880年越谷市生まれ。1906年に渡仏しラファエル・コランに師事し、1912年に帰国。印象派風、点描画風の作品が注目される。1914年、有島生馬,山下新太郎,石井柏亭、津田清楓らと二科会を創立。1920年に日本画壇と離れ再度渡仏し定住した。その後はフランスでの作品発表もなく、1951年に72歳で没した。
斎藤与里(1885-1959)は大正・昭和期に活躍した画家。埼玉県加須市出身で浅井忠、鹿子木孟郎に洋画を学び、1906年鹿子木と共に渡仏。帰国後は雑誌「白樺」誌上でポスト印象派やフォーヴィズムを紹介した。戦後はデフォルメの効いた素朴な作品を描いたが、この作品はどことなくシャヴァンヌの象徴主義的な雰囲気も感じる。とはいえ隅っこに機関車でも描かれていれば、同じMOMASに作品があるデルヴォーのシュール・リアリズムにも通じるかもしれない。
大阪出身、1934年に浦和に転居し、以後は浦和画家*1の一人として知られる。
フェノロサ、岡倉天心のもとで狩野芳崖とともに日本画復興、東京美術学校に発足のため活躍し、横山大観、菱田春草、下村観山らの指導にあたった。川合玉堂は雅邦の絵を観て上京を決意し雅邦に師事したという。 もともと父親が川越藩のお抱え絵師だった縁から、川越の老舗和菓子屋龜屋が開設している山崎美術館には橋本雅邦の作品が四季折々に展示している*2
この絵の狼はなんとなくユーモラスでマンガチックな感じもしないでもない。雅邦にもこういう側面もあったのかと思ったりもする。
第2章展示作品から
ここではMOMASを設計した黒川紀章のスケッチやドローイングや設計図、模型などが展示してある。驚いたのはいつもは壁として仕切られている部分が解放されていて、そこには大きな窓があり2階から周辺の公園などが望めるようになっていること。思わず監視員の方に「こんな風になっているんですね」と話しかけてしまった。監視員の方は「いつもは展示用に壁として仕切っていますが、こうして窓の部分を解放するのは数年ぶりです」と説明していただけた。
大きな窓から見る公園の風景はなんていうのだろう、環境展示というか、空間、窓の外の風景を含めて展示作品のような趣があった。
第4章展示作品から
ここではMOMASが集中してコレクションをすすめている瑛九の作品を中心に展示している。
抽象画家、現代アートの瑛九が具象を描いている。なんだかそれだけでけっこう嬉しくなってしまうような作品。そしていつもの瑛九がこれ。