東京国立近代美術館へ行ったこと (6月25日)

 もうずいぶんと前のことになってしまうけど、25日、歯医者のあとで東京国立近代美術館(東近美)に行った。そのことを補遺みたいな感じで少しだけ。

 東近美は5月30日に行っているのでひと月ぶりになる。企画展「TRIO パリ・東京・大阪 モダンアートコレクション」は展示替えが7月に入ってからなので、なんの変更もない。すでに書いたことだけど、入場料金がキャンパスメンバーズで1000円だった。ラッキーなことではあるけど、まあ高い授業料払っているのだから少しくらい恩恵があってもいいかもしれない。

 昔、ハンフリー・ボガートが大学生が着るようなトレーナーを着て鏡の前で「神経痛の大学生だ」とつぶやく映画があったっけ。あれはたしか『麗しのサブリナ』だったか。プレイボーイの弟に恋焦がれる運転手の娘を身分違いと諭すため、堅物な実業家の兄貴が娘を誘う。そしていつのまにか娘と堅物の兄貴が恋に落ちるという小粋なラブコメディだった。プレイボーイはウィリアム・ホールデン、運転手の娘はオードリー・ヘップバーンだった。

 運転手の娘はパリの料理学校に留学していて一流の料理の腕を身に着けている。彼女はボガートの前で卵を片手で割って、料理を作ってあげる。せっかく料理の腕を磨いたのに、好きな人のために料理を作ってあげる機会がないと言うヘップバーンに同情するボガート。いろいろと思い出すシーンも多い。ヘップバーン主演、ビリー・ワイルダー監督作品ではこれが一番好きだ。

 なんでこんな映画のことを思い出したのかって、単に「神経痛の大学生という」セリフがなんとなく切実な感じがするから。すでに古希も近い(世間的には「アラ古希」というらしい)痛々しい大学生が、美術館の窓口でさらに痛々しくも学生証を提示する。いじましいというかなんというか。いい歳したジイさんなんだから、普通に料金払えと誰かが囁いているかも。とはいえ年金暮らしだしということで、有難く学割を享受させていただく。

「TRIO パリ・東京・大阪 モダンアートコレクション」補遺

 企画展「TRIO パリ・東京・大阪 モダンアートコレクション」はパリ市立近代美術館、東京国立近代美術館、大阪中之島美術館のモダンアート作品をテーマにそって3点並べて展示するというもの。ピンとくるものもあれば、半ば強引さを感じたりするものもある。3点並列の妙を感じるものもあれば、1点ごとの作品に見入るものもある。

 その中でもっともポピュラーな3点の並列展示はやはりマティス、モディリアニ、萬鉄五郎の三作品を展示した「モデルたちのパワー」だろうか。

 

 そしてその中でもっとも鑑賞者の目を引くのは多分、右側のモディリアニと中央の萬鉄五郎だろうか。この二点の裸婦作品に比すとパリ市立近代美術館蔵のマティス《椅子にもたれかかるオダリスク》は、こと訴求性という点では若干弱い。かたや猥雑さというか猥褻性さえをも問うようなインパクトあるモディリアニ。フォーヴィズムゴッホの激しいタッチを日本で初めて受容した若き萬鉄五郎の野心作。それと比較すれば、完成度ははるかに高いとはいえ装飾性を高めたマティスはやっぱり弱い。

 これはもう作品の優劣の問題ではない。例えばマティス、ボナール、ピカソを並べれば確実にピカソインパクトが勝るかもしれない。モネ、ピサロゴッホでもそうだし、マネ、シスレーゴーギャンでも多分そうだ。

 同時に並列展示においては作品のチョイスも重要かもしれない。モディリアニと萬鉄五郎に対してマティスは全般的に弱い、大人しいかといえば、いえいえそれは違うと思ったりもする。

《髪をほどいた横たわる裸婦》 モディリアニ 1917年 大阪中之島美術館 

 

《裸体美人》 萬鉄五郎 1912年 東京国立近代美術館 

 これに匹敵するインパクトのあるマティスはなんだろうか。多分このへんだろうか。「ピンクヌード」と呼ばれる作品。もともとはマティスの助手であり、その後は秘書としてマティスの全生活を支え、愛人とも噂された亡命ロシア人リディア・デレクトルスカヤをモデルとしたこの作品のインパクトは凄い。

《大きな横たわる裸婦》 マティス 1908年 ボルチモア美術館

 多分この3点が並んでいたらどうだろう。残念ながら萬鉄五郎の作品は東洋の画学生の意欲的習作という評価になってしまうかもしれない。とりあえず作品の優劣というよりもあくまでインパクトの話である。

 

カルダーの影

 

 

 上が企画展でのカルダー。下は常設展デノカルダー。なんとなく観ていて思ったのは、彫刻などとは異なるこうした造形作品、特にカルダー作品はなんていうのだろう、照明による影を楽しむ作品かもしれないなと、まあ適当に思いついて撮ってみた写真だ。そしてこの種の作品にはスポットライトの当て方が重要になるのかもしれないと思った。あくまで思い付きだし、特に深い意味性がある訳でもない。

 でも作品と照明との距離、照明の光量などによって影は微妙にその趣を変えるだろう。インスタレーション的に考えると、作品と照明、そして影は重要な要素になってくるかもしれない。同じことは屋外展示における天候と作品との関係などの作用にもいえるかもしれない。多分、そうした批評はすでにあるだろうから、どこかで探してみるのもいいかもしれない。

 とりあえずは単なる思い付きである。

 

防空壕

防空壕》 橋本関雪 1942年 絹本着色 東京国立近代美術館

 橋本関雪は1939年に陸軍美術協会に参加し、東南アジアで戦争画を描いている。この作品も3階の戦争画のコーナーに展示してあった。戦後アメリカに接収され70年代に無期限貸与というかたちで返還された所謂「戦争画」である。東南アジア、おそらくインドネシアで取材し、防空壕から現地の女性が出てくる姿を活写したもので、戦争美人画というジャンルをなすのだという。

 いまさらに戦争を美化するような戦争画に対しては、それを戦争という文脈を除いた形での美として評価することが出来るのかどうかは微妙である。この防空壕から出てくる現地女性というシチュエーションも、日本軍によって占領された地域での一コマとなると、女性への抑圧的なものも想起させる余地もある。単なるエキゾティシズムとかたずけていいのかどうか。美しい、完成度の高い作品だけに複雑な部分を内包しているかもしれない。

 橋本関雪はこの作品の3年後、敗戦濃厚な1945年2月に死去している。

 

《円環列車・B-飛行する蒸気機関車

《円環列車・B-飛行する蒸気機関車 中村宏 1969年 油彩・キャンバス

 東京国立近代美術館

 中村宏は以前から気になっていた人。ルポルタージュ画、シュルレアリスムポップアート、など様々な画風でイマジネーションを展開する。ペラペラの二次元機関車が立体化する。そして一つ目の女子高校生のポップな表象。デルヴォーもぶっ飛びである。

 2階現代アートの部屋には中村宏作品が数点まとめて展示してある。下の画像は5月に撮ったものだがこの作品群は凄い。