東近美~常設展  (12月8日)

 さてと東近美の常設展である。

https://www.momat.go.jp/am/exhibition/permanent20221012/ 

(閲覧:2022年12月10日)

 MOMATコレクションは10月12日から2023年2月5日までが現在の展示期間だが、間に展示替えがある。今回は12月6日から新展示になっている。特に4Fハイライトの右側部分はすべて展示替えされている。

《仁王捉鬼》 狩野芳崖

 狩野芳崖の代表作の一つでもあり、美術の教科書にもよく載っている作品だ。この作品では、岩絵の具だけでなく西洋顔料が多く使われているという。草薙奈津子の『日本画の歴史 近代篇』によれば、第二回鑑画会内覧に時の総理大臣伊藤博文が招待され、伊藤は「日本画で西洋画のようなものが出来るか」と問うたという。それに対する芳崖の答えがこの作品だという。仁王の赤色、その補色となる仁王の背景の緑などの鮮やかさには、西洋顔料の影響もあるのかもしれない。

 

《迷児》  横山大観

 これも何度か観ている。多分最初に観たのは東近美での大掛かりな横山大観展だったか。その後も3F10室の日本画の間でも観た。孔子老子、釈迦、キリストの間に幼児を配したこの絵は、ある意味、宗教や思想界隈を茶化したような感じがする。

 1902年(明治35年)の制作、大観の中では明治の思想的混迷、孔子老子仏陀、キリストなどそれぞれに影響を受けた信者、崇拝者がいる中で混乱する日本の思想状況を描いたものだという。

 大観はこの絵についてこう語っている。

「当時の日本の思想界というか、信仰界というか、それはひどく動揺混乱しておりまして、孔子の崇拝者もあれば、耶蘇教信者もあり、仏教信者あれば、老荘信者もあるというふうで、信仰の帰趨(きすう)も判じ難かった。その世相を示唆したつもりで、孔子・キリスト・釈迦・老子の四聖の間に日本の一幼児をつれて来て、『迷児』という題にしました。」

『大観画談』

 とはいえどこか皮相な雰囲気もするし、それぞれの偉人たちはどこか胡散臭い感じもしないでもない。後の横山大観国粋主義的な傾向があったというが、この頃の彼にはどこかニヒリスト的な感覚もあったのかもしれない。

 

 4F2室には尾竹竹坡の作品が数点まとめて展示してある。それも大正時代に尾竹が現代絵画の新潮流-未来派に接近した時代の作品である。未来派的な時間表現やキュビスム的な多面表現などに意欲的に取り組んだ作品など、けっこう面白く観ることができた。古典的な日本画の画家が、日本画の支持体を用いてこういう新しい作品にチャレンジしているというのが面白い。時代はまだ1920年代である。



 3F10室にはパンリアルの三上誠、星野慎吾らの作品がまとめて展示したあった。改めて観ていると、日本画の新たな表現に苦闘する若い作家たちの姿が彷彿としてくる。ときにそれは空回りであったり、端からは滑稽に写るものだったかもしれないが。

 

 

 3F9室の写真が展示される間には、松本路子が撮った70年代ニューヨークで活躍したアーティストのポートレイトが展示してあり、興味深く観た。

松本路子 - Wikipedia (閲覧:2022年12月10日)

 

小野洋子

 ジョン・レノンを虜にしたアーティスト、ヨーコ・オノである。その眼差しは魅力にあふれている。奇しくも42年前にジョンが撃たれた日でもあった。

 

草間彌生》  1985年

 今は、渋谷にヴィトンとのコラボで現れるあの《KUSAMA》である。1950年代の後半単身渡米し、ポスト抽象表現主義の旗手の一人として活躍し、それ以降抽象芸術のフロントランナーであり続けている。この頃はおそらく50代、十分にとんがっている。

 

ニキ・ド・サンファル

 箱根彫刻の森美術館で見る者の目をひくあの《ミス・ブラック・パワー》のサンファルである。これである。

 

シンディ・シャーマン

 なりきりの女王シンディ・シャーマンである。やはり美人である。

〇 彼女についてのメモ

アプロプリエーションとは「流用」「盗用」を意味する言葉。 アートの文脈においては、すでに流通している写真や広告などを「引用」の範疇を超えて作品に取り込み、文脈を書き換え、再提出する方法論のことを指す。

アプロプリエーション|美術手帖 (閲覧:2022年12月10日

 このアプロプリエーションの一つの方法論として、シミュレーション(擬態)という言葉を用い、社会的に流通するイメージを利用しつつその背後にある暗黙の前提、偏見を明るみに出すことを目的とした作品化を図る。

 シンディ・シャーマンは代表作「アンタイトルド・フィルム・スティル」において、ピンナップ雑誌やハリウッド映画のスティール写真などから借用した様々な場面を、自分自身がそのヒロインに扮して再現する。そこでは鑑賞者の視線や立ち位置-たいていの場合そこには、性的な趣向性が露骨に可視化される。シンディ・シャーマンは社会のなかで流通するイメージを再構成することで、見る者のアイデンティティを再考させる働きかけをしている。

 同じような<なりきり>により、観る側の立ち位置を考えさせる作品化を日本で行っているのが森村泰昌である。

 

 

 

 その他の作品では、何度か観ているはずなのにまったく意識の埒外だったけど、最近現代美術のテキストなどで知った作家の一人として意識した作家。戦後イタリアの抽象芸術の作家ルーチョ・フォンタナ。時間と空間を融合した4次元的空間を表現しようとするスパツィアリスモ(空間主義)を標榜した。ここでは支持体であるキャンバスを切り裂くことによって二次元的な絵画世界を拡張しようとしている?。よく判らないが、それでもテキストなどで紹介される作品を実作として目にするのは楽しい。