昨日の朝日新聞2面の中央公論新社の全5段広告の一部である。中公新書の新刊の一つとして『フランクリン・ローズヴェルト』が出るという。コロナ禍で冷え込む経済状況など困難な局面にあって、大恐慌と世界大戦に挑どみニューディール政策に取り組みアメリカ史上唯一4選された大統領を取り上げるのはタイムリーな出版だと思う。さらにいえば今、盛んに喧伝されるグリーン・ニューディールについても参考となるべき点も多いのではと、思わず手に取ってみたくなる。
しかしちょっとした違和感がこの書名にはある。アメリカの大統領としては、リンカーン、ケネディと共に名前が出てくるほど著名なこの人の名前は、長くフランクリン・デラノ・ルーズベルトと表記されていた。それをなぜ今、ローズヴェルトと表記するのか。英語でFranklin Delano Roosevelt 、veはヴェと表記すべきという慣例なり、より正規の発音に似せた表記という意味あいだろうか。
このV=ヴについては様々な意見があるのでその是非について特に意見はない。
しかし単なるこだわり等により通例として扱われている人名表記や固有名詞の表記に対してはより慎重になる必要があるのではないかと思う。ルーズベルトと覚えていたものがある日急にローズヴェルトとされる。そしてそのどちらの表記も可とされる。それはある部分日本語の混乱につながるのではないと思う。
歴史的人物の表記を一出版社が、あるいは訳者の都合で変えることは、教育現場などでも大きな混乱に繋がらないかと思う。それまでルーズベルトとして覚えていた人物が、ある日突然ローズヴェルトになる。どっちが正しいのか、いえこれはどちらでも間違いではありませんとなる。ルーズベルト、ローズヴェルト、これは訳者の先生強い拘りでということになるのか。あるいは中央公論者は今後、アメリカの第32代大統領の表記をローズヴェルトに統一しますとそういうことなのか。
さらにいえばファースト・レディだったエレノア・ルーズベルトはどうか。26代大統領だったセオドア・ルーズベルトは、彼の名前を冠した航空母艦はどうか。こうした表記は様々に派生していく。
同じようなことが社会学者マックス・ウェーバーについてもいえる。ウェーバー、ヴェーバーの表記である。中公新書でも『マックス・ウェーバー-近代と格闘した思想家』がある。
これに対してほぼ同時期に岩波では『マックス・ヴェーバー-主体的人間の悲喜劇』がある。
しかし同じ岩波書店では、以前出していた同じ岩波新書に『マックス・ウェーバー-基督教的ヒューマニズムと現代』(青山秀夫著)、『マックス・ヴェーバー入門』(山之内靖著)。さらにいえばマックス・ウェーバーの著作が岩波文庫で出ているが表記はこうなっている。
『プロテスタンティズムと資本主義の精神』(マックス・ヴェーバー/大塚久雄訳)
『社会学の根本問題』(マックス・ヴェーバー/清水幾多郎訳)
『職業としての学問』(マックス・ウェーバー/尾高邦雄訳)
『職業としての政治』(マックス・ヴェーバー/脇圭平訳)
圧倒的にヴェーバーが多いようだがウェーバーという表記も混在している。これはまさしく著者なり訳者の意向なのかもしれない。試みに日本語の規範的な役割を占めてきた『広辞苑』ではどうか。自分の持っている第六版をみるとこうなっている。
ドイツの社会学者・経済学者。リッカートらの影響を受け、経済行為や宗教現象の社会学的理論の分野を開拓、「理念型論」を提唱、学会に大きな影響を与えた。近代資本主義の成立とプロテスタンティズムの関係を明らかにするとともに、政治については、心情倫理と区別された責任倫理を説く。著「経済社会と社会」「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」「職業としての学問」「職業としての政治」など。(1864-1920)
やはりウェーバーである。より正確な発音表記に変えていくということで、「ウ」から「ブ」にという考えもあるのだろうが、長く通例化していく人名、固有名詞についての表記の変更には慎重な対応が必要である。広辞苑の最新版は第7版なので、ひょっとすると新版からはヴェーバー表記になっているのかもしれない。また学会での表記がすでにヴェーバーとなっているのかもしれない。
個人名の表記、通称についてのエポックメーキングとしてよく覚えているのは、アメリカの大統領ロナルド・レーガンである。もともとハリウッドの俳優だった彼の呼称は長くロナルド・リーガンだった。それが大統領選挙出馬し日本でもマスコミ等で取り上げられる頻度が高くなったときに、日本での呼称をリーガンからレーガンに変更するということが決まった。どこが決めたのかはわからないが、マスコミ各社が右に倣えして「リーガン」から「レーガン」に変更した。
レーガンが大統領になったのは1981年、もう40年という歳月が過ぎている。今ではレーガンという名前が通例化しており、ロナルド・リーガンというと誰それみたいなことになっている。それは歴史的な呼称となったということだと思う。
ルーズベルトという表記、ウェーバーという表記、いずれも長く使われているものである。それをローズヴェルトやヴェーバーにするには様々な意見があるにしろ、通例化していることを変えるのには出版社は慎重であるべきだし、自社の出版物の統一性ということも考慮すべきだと思う。
さらにいえば、レファレンス、検索にあたって、AIを利用している検索システムであれば、ルーズベルトであれローズヴェルトであれ、どちらをキーワードにしても検索できる。しかし古いデータベースであれば、「ルーズベルト」の検索で「ローズヴェルト」はヒットしない。同様のことは「ウェーバー」「ヴェーバー」でもあると思う。
長くパソコンレベルでのデーターベース作成を行ってきた者としては表記の統一は並び替えや検索において重要な課題だった。書名が「ヴェーバー」であってもヨミについては「ウェーバー」にするなどの工夫を行ってきた。それをルール化する入力マニュアルなども必要になったという記憶もある。
人名、固有名詞の日本表記、呼称については慎重な対応、単なる訳者、著者、編集者、出版社の拘り等だけで恣意的に行うべきではないと考える。