「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」

 「スノーデン」に続いてDVDを観た。けっこう話題になっている映画だったので、気になっていた映画だ。ドルトン・トランボ(今はダルトン・トランボと表記されるようだが)については、随分前から知っていた。多分、高校生くらいの頃に「ジョニーは戦場へ行った」を観た時に、監督のトランボが赤狩りでハリウッドを追放された著名な脚本家で、偽名で「ローマの休日」や「黒い牡牛」でアカデミー賞を受賞していることなど。
 またハリウッドの赤狩りについてもいくつかの本を読んでいるし、赤狩りについても岩波文庫の『マッカーシズム』を読んでいる。そういう意味ではこの映画の背景については人よりも知識があるのだとは思う。なのである部分より一層楽しめたかもしれない。映画は役者陣の演技力もあり、そこそこの緊張感を保ちつつ、社会派的テーマでありつつも家族愛、親子愛、友情といった要素も過不足なく織り込まれていて、まあよく出来た映画となっている。
 特に主役、トランボを演じたブライアン・クランストンと妻役のダイアン・レインは好演だったと思う。しいて言えばクランストンは若干年齢的にとうが立っていたかもしれない。ちょっと老け過ぎでローティーンの子どもたちの父親というよりお爺さんみたいな感じもした。
 赤狩りで追放されたからの生活、なりふり構わず匿名、偽名でシナリオ執筆するあたりのところはかなり脚色されている、あるいは省略されている。実際は仕事がないだけでなく、周囲からの圧力、弾圧よりメキシコに逃れ、かなり厳しい生活も送ったという話も伝えられているが、その辺はうまく捨象されている。
 さらにいえば、なぜトランボを含めハリウッド・テンと呼ばれた人たちがハリウッドを追放されたのかも、かなり省略されている。要はハリウッドでの共産党の影響を議会で証言するように求められ、自らが共産党員だったか、また誰が共産党員だったかを証言するように求められ、証言拒否したのがこの10名だったのだ。そのため彼らは議会侮辱罪で投獄されることになる。
 この時、ハリウッド・テンの一員だったが、投獄を回避するために証言したのがエドワード・ドミトリクであり、また証言段階で裏切ったと言われたのが、エリア・カザンだったといわれている。いずれにしろ良心に基づいて証言拒否した者たちは投獄され、それを回避するために裏切った者が多数いた。もちろん当時の風潮というか、ルーズベルトニューディール政策から第二次世界大戦のあたりまでは、ソ連は同盟国でもあり、共産主義に親和的な者は多かったし、民主主義の延長上で捉えられる部分もあった。なので、ハリウッドの映画スタッフや俳優陣たちにも急進的な民主主義者も多かったし、共産党員もかなりの数がいた。
 それが戦後、ソ連との間での冷戦勃発後に、ソ連の内情、スターリンの圧政も伝えられるようになり、また戦争の脅威もあって、アメリカ社会には一気に反共産主義が蔓延する。その過激な対応が赤狩りであり、議会でのマッカーシズムとなって現れた。
 映画の中で、トランボは共産党だったのかどうかもけっこうぼかされている。しかし、彼は実際共産党員だったということらしい。でも、それは前述したようなニューディール以後の急進的な民主主義者の必然だったのかもしれない。
 映画では徐々に彼の匿名での活躍が広がり、ついにオットー・プレミンジャーカーク・ダグラスが彼に実名での脚本を依頼するようになる。そして最後にはついに彼は匿名での受賞から数10年ぶりに実名でオスカーを受賞し、そこで見事なスピーチを行う。
 ある種のめでたし、めでたしなんだが、もし赤狩りがなければ、トランボはどんな映画人担っていただろう。晩年になって自ら書いた反戦小説「ジョニーは戦場へ行った」を監督した。淡々とした良い反戦映画だった。もしハリウッドを追放されることなく、そのまま花形シナリオ・ライターとして君臨していたら、彼は多分60年代には映画演出や制作に乗り出していたかもしれない。今でいえばオリバー・ストーンを超えるような社会派の映画監督が生まれていたかもしれない。
 トランボの映画は社会性があり、それでいて滅茶苦茶面白い。そういう評判を取っていたかもしれない。60年代にそういう社会派娯楽映画のヒット作が生まれていたら、ひょっとしたら60年代後半からムーブメントとなるあのニューシネマの流れはもっと違ったものになったかもしれない。
歴史の詮無いifでしかないけれど、彼の面白い脚本を思うとそんなことも想像してしまう。
 「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」は買いの映画である。