栃木県立美術館「印象派との出会い」 (10月22日)

印象派との出会い-フランス絵画の100年 ひろしま美術館コレクション」展

 栃木県立美術館印象派との出会い-フランス絵画の100年 ひろしま美術館コレクション」展の初日に行ってきた。

 ひろしま美術館はフランス近代絵画のコレクションでは国内有数の規模を誇っている。2019年にポーラ美術館との共催で「印象派、記憶への旅」展が開かれ、ポーラ美術館でその名画揃いのコレクションの観た。また、これまであちこちの美術館で開かれた印象派関連の展覧会でも、ひろしま美術館所蔵品の展示もあった。その良質なコレクションにいつかひろしまへ行きたいと思ってはいたがいまだ果たせずにいる。

 今回のひろしま美術館コレクション展は、熊本県立美術館(4/15-6/5)と栃木県立美術館の二館で開催されるもので、栃木県立美術館では10月22日から12月25日までの開催となっている。なお展示作品は65点となっている。

企画展 印象派との出会い―フランス絵画の100年 ひろしま美術館コレクション|栃木県立美術館 (2022年10月23日閲覧)

 この企画展開催を知ったのは割と最近のことだが、ひろしま美術館のコレクションを関東圏で観ることできるということで楽しみにしていた。初日ということでけっこう混んでいるかと思ったが、そういうこともなくちょっと拍子抜けみたいな感じもあった。小中学生の集団がいたけれど、それも20~30人で多分美術教室かなにかの一団かもしれない。数人ずつのグループで静かに鑑賞されていたので、まったく気にならなかった。 

 しかし地方の県立美術館としてはけっこう大型の企画展だし、聞けば栃木県立美術館開館50周年記念ということなので、もう少し初日の人出あってもいいのかなと思ったりもした。栃木県民の皆さん、選りすぐりの名画を観る良い機会ですよと宣伝したくなってしまう。

 出品点数は展示リストによると66点でうちピカソの1点が熊本のみの展示だという。試しに2019年にポーラ美術館で開かれた「印象派、記憶への旅」展で観ているものにチェックをつけていくとジャスト20点。ドラクロアクールベブーダン、モネ、シスレールノワールセザンヌゴーギャンマティスといった有名どころはだいたい観ているものということになるようだった。

 

 いつものように気にいった作品をいくつか。

モネ

《セーヌ河の朝》 クロード・モネ 1887年

 多分、ひろしま美術館にとっても一番人気のある作品ではないかと思う。モネが《セーヌ河の朝》の連作に取り組んだのは1896年、1897年で約20点の作品があるという。個人蔵が数点ある他、ボストン美術館オルセー美術館などが所蔵しているが、このひろしま美術館所蔵品はその中でとりわけ美しい作品の一つだと思う。

 モネの《セーヌ河の朝》についてはこのサイトが詳しい。

モネlog: 「セーヌ河の朝の連作」大気の雰囲気の描写 Ⅰ

モネlog: 「セーヌ河の朝の連作」大気の雰囲気の描写 Ⅱ

モネlog: 「セーヌ河の朝の連作」大気の雰囲気の描写 Ⅲ (2022年10月23日閲覧)

シスレー

《サン・マメス》 アルフレッド・シスレー 1885年

 この作品もおなじみである。ポーラ美術館展でも観ているが、たしか2015年に練馬区立美術館で開かれた「シスレー展」でも観ている。そのときどきで思っていることだが、これぞシスレー、これそ印象派という作品だ。光に移ろう景色、前景の土手の草木、水面のきらめき、後景の建物や対岸、筆触分割による明るい屋外の風景をとらえている。モネやルノワールの印象と表現上の深みはない。多分、並べて見るといささか凡庸な部分があるのかもしれない。しかし印象派の風景画とはこれである。

セザンヌ

《曲がった木》 ポール・セザンヌ 1888-90年

 これも多分ポーラ美術館で観ているはず。その頃にはなんとなくいつものセザンヌみたいに流して観たような気がする。今回改めてよく観てみると、この絵の構図や筆致が相当な計算のもとあることがなんとなく判るような気がする。

 前景の二本の木のクローズアップは、浮世絵の所謂近像型構図だ。中景の赤い屋根の家、そして木々の葉の間からのぞく山へと奥行のある構図となっている。さらにはこの絵の曲がった木と後景の山が呼応するかのように右に流れていく。それを促すかのように、木々の葉の筆触が右に傾いて視線を曲がった木の方向、後景の山へと促している。

 印象派の筆触分割が観る者の視覚混合を促すとすれば、セザンヌの筆触は構図を補完するような意図を感じさせる。薄い色合い、濃い色合いによる遠近感の演出、垂直であったり、斜線のように斜めの筆触によって視点を一定の方向に促すなどなど。

 今回7~8メートル離れてこの絵を観てみる。すると色あいとは別の視覚混合のような作用を感じられた。独特の遠近感も。セザンヌ恐るべしみたいな感じである。

ポン=ヌフ三題

 ポン=ヌフはセーヌ河にかかるパリ最古の石橋で、ノートルダム寺院のあるセーヌ河の中州シテ島の先端を横切って左岸と右岸を結んでいる。ポン=ヌフを題材にした作品が三点出品されている。

ピサロ

《ポン=ヌフ》 カミーユピサロ 1902年

 ピサロ最晩年の作品である。1900年頃からピサロは身体をこわし、屋外での絵画制作が難しくなっていた。この頃、この橋を見下ろせるアパートで制作を行っていて、その中の一つとされている。印象派のリーダー的存在で、かってはセザンヌと一緒に屋外制作をしたり、スーラの点描をいち早く理解し、自らも点描画法にチャレンズするなど進取気鋭な人でもあったが、キャリアの後半は印象派の技法に回帰している。

 ピサロシスレーとともに生前はあまり評価されず、自分の評価がモネやルノワールに比べて低いことをこぼすような手紙を、同じく画家であった息子に送っていたりする。しかしこの人もまたある意味では、印象派の代表ともいうべき人だったと思う。ただし、今回の企画展でもこの絵の隣にルノワールの風景画《パリ、トリニテ広場》が展示してあったが、二つを比べると表現の深みというか、なにか一目瞭然とするものがあった。ルノワールの描く木々の深みに比べるとピサロの表現はいかにも平板な印象がある。そういうものなんだなと思ってしまった。もちろんニワカ鑑賞家の思いつきの類ではあるけれど。

シニャック

《パリ、ポン=ヌフ》 ポール・シニャック 1931年

 ポン=ヌフの右手奥にはシテ島ノートルダム寺院やサント・シャペルの尖塔が描かれている。明るく鮮やかな色彩は、パリの風景というよりもさながらサン=トロペの明るい光のようでもある。

 シニャックは1935年に71歳で没しているので、この作品もまた晩年のものといえる。最後まで点描表現に拘り続けた人だったということか。適当な想像だけど、この絵はパリでスケッチした後でサン=トロペで制作したということはないだろうか。この明るさはパリというよりも南仏のそれのような気もしないでもない。

アルベール・マルケ

《ポン=ヌフとサマリテーヌ》 アルベール・マルケ 1940年

 この絵もポーラ美術館で観た大好きな作品だ。マルケはフォーヴィスムの画家といわれるが、早い段階から鮮烈な色彩からこの絵のような落ち着いた色合いの画風に変わっている。なのでフォーヴというとちょっと首をかしげたくなる。

 この絵はセーヌの左岸からシテ島を横切って右岸へと向かうポン=ヌフと、後景に1970年に創業したサマリテーヌ・デパートを描いている。なんでもデパート経営者から制作の依頼を受けていたという。

 マルケはピサロと同じく、ポン=ヌフ、シテ島を望むアパートで暮らしていて、俯瞰からの景色を繰り返し描いている。しかしポン=ヌフを走る車やバスを描いているのに、躍動感やスピード感のようなものが一切なく、車も歩道の通行人もみな静止しているような印象を受ける。これはマルケ独特の落ち着いた色合いのせいだろうか。

エドガー・ドガ

《浴槽の女》 エドガー・ドガ 1891年

 ドガは「浴女」という画題多くの絵を描いている。私的な空間での湯浴みという行為をとらえた作品は、不道徳と批判されたという。しかし日常的な行為の切り取ったスナップショットのような作品は、ある意味親密的でもある。妻マルトの入浴する姿を頻繁に描いたピエール・ボナールは、ドガのこうした作品を参考にしているのではないかと、適当に思っている。

 ドガは描く対象に対して親密的な感情というよりは、どこか冷徹な目で観察するようにして描いている部分がある。流行りのCM的にいえば「そこに愛はあるんか」といえば、多分そういうウェットな感情がないような気がする。実は親密派と称しながらも、ボナールも妻マルトを描く際に、どこか冷めた視線を寄せているような。まあこれも適当な思いつきである。

ピエール・ボナール

《白いコルサージュの少女(レイラ・クロード・アネ嬢)》 ピエール・ボナール 1930年

 これは初めて観る作品。実は今回の企画展で最も気に入った作品でもある。青を基調として、白、青、紫のグラデーションとなっている背景、少女の着る衣服は青みがかかった白、椅子の黄色の縞と少女のスカートの縞との呼応。印象派的色彩表現をボナールはこんな風に昇華させていく。まさい色彩の魔術師というところか。

 ボナールをピカソはけちょんけちょんにけなし、マティスは賛美したという話を、たしか東近美での作品解説かなにかで読んだ記憶がある。この絵を観るとその理由がわかるような気がする。この絵の色彩は、ピカソが描かなかった範疇のものだ。天才ピカソはどんな絵も多分描くことができる。でもボナールのこうした色調の絵だけは描かないだろうし、描けないのかもしれない。

 まあマティスは多分、もっと明るい赤を基調にして、独自の平面的かつ装飾的な形で軽くクリアしていきそうな気もする。

 それにしてもこの絵の色彩の妙。自分がボナールの絵が好きなのは、こういう作品に触れることができるからかもしれない。

ヴュイヤール

《アトリエの裸婦立像》 エドゥアール・ヴュイヤール 1909年

 これも初めて観る作品。ヴュイヤールといえばボナールとともにナビ派、親密派として知られる。どちらかといえば意図的に平板な絵を描く人という風に認識していた。しかしこの絵の奥行、立体感はちょっと驚きだ。透視図的な作画である。色合い的にはいつものヴュイヤールの色調である。図録によるとこのくすんだ光沢のない雰囲気は、絵具を膠で溶いた一種の泥絵具(デトランプ)で描いているのだとか。支持体も紙であり、この絵は紙本彩色なのである。

 以前、ヴュイヤールが鮮烈な色彩で描いた自画像を観たことがある。そのときにこの人、ナビ派というよりもフォーヴィスムと思っりもした。その一方では、くすんだ色いあで落ち着いた雰囲気の中で長く同居した母親をモデルにした作品を多数描いている。まさにアンティミストなのだが、今回の絵のように奥行き感のある作品も描くことができる。かなり幅のある人だったのではないかと思う。

 今回の企画展ではボナールの次にインパクトがあったのがヴュイヤールだ。

キスリング

ルーマニアの女》 モイーズ・キスリング 1929年

 この絵の色合い、背景のもやっとした感じ、人物と表情、衣服のきりっとした明瞭さ、特に衣服の刺繍の鮮やかさ、ときにどぎついまでの色調をみせるキスリングにしてはちょっと意外とも思えるような美しさがある。これはこれまで観てきたキスリング作品のなかでも上位にいくなあと思う。自分的には池田20世紀美術館で観たキスリングにしては抑えた色合いの《女道化師》と一、二を争うくらいかもしれない。

スーティン

《にしんと白い水差しのある静物》 ハイム・スーティン 1922-23年頃

 キャプションの表記が「ハイム・スーティン」となっている。うん、これシャイム・スーティンだろっと思った。思わず監視員の女性に聞いてしまった。多分、学芸員に聞いてきたのだろうか、「ハイムでも間違いではないということです」という。

 図録でも「ハイム・スーティン」となっている。多分、ひろしま美術館ではそう表記することになっているのだろう。これは学芸員の拘りの類だろうか。

 芸術家の表記はけっこう美術館によって違っている。ホセ・デ・リベラがフセペ・デ・リベーラであったり、アレクサンダー・カルダーがコールダーになっていたり。今回もその類なのだろう。ウィキペディアでもシャイム・スーティンはたしかに「ハイム・スーティンともいうようだ。

シャイム・スーティン - Wikipedia

 ただしシャイム・スーティンは横文字表記の場合は、Chaïm SoutineかChaim Soutineだ。ハイム・スーティンの場合は、Haim Sutinである。キャプションや図録でも表記にはChaïm Soutineとあり、それでいて日本語表記は「ハイム」である。

 正しくはこうですとか、発音を正確に聴くとこうですみたいな部分はあるのだと思うが、そういうのとは別に通例はどうかみたいなところで折り合いがつかないものかと思ってみたりもする。スーティンの場合、たいていの美術書では表記は多分「シャイム」だろう。もし、この企画展でこの画家の名を覚えた人は、多分当分の間は「ハイム・スーティン」だ。そして他の展覧会で絵を観てキャプションを見て、あれこの画家は「ハイム」でなくて「シャイム」なのかとなる。混乱である。人によってはいろいろ調べてみたりするだろうけど、多分一般的にはそのままになってしまうだろう。

 外国人の人名は発音とかにより表記が異なる。とはいえずっと使われている呼称というのは、たとえ発音的に難があってもなかなか修正は難しいのだ。今でも覚えているが、ロナルド・レーガンはある時期までロナルド・リーガンだった。かって彼が出演した映画のポスターやプログラム類は全部そうだ。あれはたしか大統領選に出馬するときに、マスコミが一斉に「リーガン」を「レーガン」に変更しますということで定着したのだ。

 そういうことでもない限りは、通例としての呼称をへんな拘りで変えるのは混乱の元ではないかなと思ったりした。まあ些末なことでどうでもいいといえば、そうなんだが。

お勧めの展覧会 

 とりあえず良質な展覧会なのでスーティン問題はまあどうでもいいことだとは思う。ひろしま美術館の充実したコレクションを関東圏で観ることができるなかなかない稀有な企画展。栃木県民だけでなく、近隣の方々なかなかないチャンスだと思うので、ぜひお勧めしたい。自分は期間中に出来ればもう一回くらいは行きたいと思っている。