新年雑感

年が明けた。また一つ齢を重ねることになる。ディランではないが、「forever young〜」と願いつ、歌いついたいものだが、もはや体もガタガタというか、あちこちが軋んでいる。年末にも書いたことだが、左肩の調子はもはや重症といっていいかもしれない。普通にしていても痛む。寝ていても痛む。服の脱ぎ着にも必要以上に時間がかかる。恐る恐るしか着れない。少しでも捻りを入れた動作をすると激痛が走る。神経痛とは不治の病なんだろうか、もはやこの痛みと一生付き合うことになるのか。
年末年始は例によって、妻の実家のある長野に二泊、それから恒例の淡路島へという恒例の行事。淡路ではとりあえず温泉つかって、美味いもの食べて、大塚美術館で陶板絵画観てということになるはずだったのだが。
長野で先に来ていた義理の弟一家の子どもが風邪でダウン、下痢や吐き気を訴えていた。これがうちの娘にうつったようで、長野に着いた夜中から嘔吐が続いてぐったり。翌日は結局観光も大塚美術館も諦めて、1月2日だというのに、洲本の県立淡路病院に向かう。ホテルに聞き、電話で確認すると小児科の救急外来を正月でもやっているということ。
事前に電話してあったので、ほとんど待つこともなく診てもらう。診断結果はノロウィルスとのことで、整腸剤だけ処方してもらう。結局その日は、洲本のジャスコに少し寄って買い物しただけでホテルに直行。娘は夕食もほとんど手をつけることもなく。その分も私が食べることに。いつもはちょうどいい量の美味な中華料理もさすがに、二食分となると少し持て余し気味。それでも食べたし、紹興酒も少しだけいただいたりはした。
しかしせっかくの正月なのに、わざわざ淡路くんだりまで来て、医者行くだけで終了なんてちょっと悲しすぎるところである。来年はというと、たぶん娘が受験突入なので、おそらく旅行は無理。高校くらいになると正月の家族旅行とかも辞退してくるかもしれないから、ひょっとすると最後の淡路家族旅行になるやもしれんのに。なんかまことに残念である。
翌日3日は少しだけ娘も回復気味になったので、奈良を経由することにする。ここで今回はおよそ40年ぶりに大仏さんを見ることに。もう中学の修学旅行以来だからね。それから春日大社で家族で初詣。いまさらながら無病息災願いました。
それから一路鶴ヶ島へのロングドライブ敢行したのだが、けっこう睡眠は足りていたのに、けっこうしんどくなり、伊勢長島のパーキングでまず仮眠をとる。次になんとか中央道に入るが、ここでもやはりしんどさが続いて諏訪で給油をかねてパーキング。そのまま小1時間仮眠をとる。2時過ぎに出発して、ヘロヘロになりながら自宅にたどり着いたのは明け方5時近く。ほぼ着いたとたんにダウン。
翌日になるといきなりの発熱、吐き気などもろもろ。娘のノロウィルスがまんまうつったみたい。聞けば妻も具合が悪くなっている始末。2時過ぎにだるい体に鞭うって、家族全員分のお粥を作り、それからまた自室に戻ってダウン。ほぼ1日寝ていた感じである。
翌日の5日はまだ会社は休みなのだが、正月中受信していたFAXの様子を見るため会社に行く。さすがに6日分受けっぱなしにしていただけに、かなり分厚い百科事典並の分量の注文が来ている。これをある程度整理して、翌日出庫に回せるような段取りを短時間で済まし、年末に出来なかった自分仕事を始める。休みなので電話はないし、一人だとやっかいな相談事だの、トラブルだの、もろもろがないので仕事がはかどるはかどる。体調を考えて7時頃に退社する。
そして今日は一応新年初日である。さすがに物流、商流がほぼ一週間止まっていたのである。そこそこに忙しい一日だったこと。久々に何人かは残業しても追いつかない状態である。しかしつくづく思うが、長い休みの後の初出勤していきなり三連休になるというのはなんとかならんのだろうか。これなら成人式に限っていえば15日に固定、あるいは三週目の土日にくっつけるようにでもしてはもらえないかとも思う。