久々の大塚国際美術館

3日から5日までまたまた淡路に行ってきた。ワンパターンであるのだが、ここしか宿がとれなかったのだからしょうがない。淡路はここのところ毎年2回、正月のGWに行っていた。その都度この美術館に行っていたのだが、去年は子どもの受験もあり正月だけだったか。そのときは子どもがノロウイルスに罹ったこともあり、宿に缶詰状態でどこにも行けなかった。そして今年の正月は、淡路1泊、郡上八幡1泊という変則的だったので、やっぱり淡路での観光はなかった。
そういうわけでこの美術館を訪れるのはほぼ2年ぶりくらいになる。ここは陶板画という複製画を展示しているのだが、その展示作品はほぼ西洋絵画の主要な作品全般におよぶ。
陶板画というと、ようは複製画を陳列しているだけではないかといわれるかもしれない。オリジナル信奉者からすれば、ある意味画集を原寸でポスターのようにして展示しているだけ、あるいは立体画集といわれるかもしれない。しかしここ大塚のそれはちょっと違う。まあ実際に行ってみればその凄さがわかるのではないかと思うのだが。
陶板複製画については大塚のサイトが詳しい。
http://www.o-museum.or.jp/character/ceramic.html
オリジナル絵画は日々劣化していく。我々が鑑賞できる古典的名画についていえば、みな修復が行われている。いわば完全なるオリジナルなど存在しえないのかもしれないのだ。それに対して陶板複製画は、オリジナルの最良の状態をそのまま陶板に再現するのである。それはそのまま半永久的に褪せることもなく保存ができる。
また大塚では気軽に写真撮影もできる。オリジナル画を陳列する美術館のように、しゃちこばって観る必要もない。リラックスして絵画鑑賞ができる。このへんが私などは気に入っているところだ。ただし広さ、規模、1000を越す展示作品を観るにはたかだか1日くらいではまったく時間が足りない。たぶんこれまでに両手くらいの回数は行っているのだが、いつも何かしらのジャンル、フロアを観ることなく時間切れになる。今回も午前中から出向いたのだが、B3の礼拝堂はシスティーナホールとスクロヴェーニ礼拝堂だけを見学。古代展示はすべてパスしていきなりB1の近代絵画を時間をかけて見学、次に1F下がってバロックルネサンス系を観て、すぐにB1までのぼり現代絵画を見てそこでタイムアップだった。
いつか仕事をリタイヤしたら一週間くらいここに通いつめたいなと思う。ルーブルやオルセー、ニューヨークのメットなんかでそういう時間を過ごせれば幸福なのだろうが、たぶんそんな余裕もないだろう。なので貧乏暇なしの身としては、せいぜい大塚国際美術館で数日過ごすなんてことができればと思うだけだ。
行く度にその都度お気に入りの絵画ができる。今回はというと、それなりにポピュラー、それなりに普通な名画みたいなものを普通に楽しめた。

カミーユピサロ作「モンマルトル大通り、曇った朝」
カミーユ・ピサロ - Wikipedia
印象派の長老的存在の人。人柄の良さから多くの画家が慕われた。印象派画壇のリーダー的存在でありながら、新しい技法を取り入れることにも熱心で、スーラの影響を受けて点描画法に挑戦している。アップした絵もまあ普通といえば普通なのだが、なにかしら心に迫るものや温かみを感じさせる。人柄が絵にも滲み出るみたいだ。良くも悪くも凡庸なのだが、その凡庸さなんともいい味わいなのである。

カラヴァッジョ作「聖マタイの招令」。カラヴァッジョはバロック前期の巨匠である。光と陰を取り入れたといわれるレンブラントルーベンス、さらにはデルフト派といわれるオランダの画家たちは確実にこの人の影響があるんじゃないかと思う。この絵からも、描かれた人物たちの「もっと光を」とつぶやくささやき声がきこえてきそうだ。

ムンク作「ダグニー・ユール」の肖像」。
このモデルの女性をめぐって、ムンクストリンドベリ、ブシビシェフスキーが恋の鞘当てをしたという。なんかそのエピソードだけでちょっとした映画にができそうな気がする。

リッカード・ベリ作「北欧の夏の宵」
左右相称の構図、湖の向こうの1点を見つめる男女のほのかな交感。なんともいい雰囲気をもった作品だ。
さて、今回ももっと沢山の絵画を楽しんできた。また機会があればきっと何度でも行くのだろうとは思う。ただ子どもも高校となると、これまでみたいに家族旅行につきあうこともなくなるだろう。さらにいえば自分自身の年齢的な問題もある。さすがに3日間で往復1400キロの運転はつらいもの。このへんが次第にネックになってくるのかもしれないな。