Ah , but I was so much older then ,
I'm younger than that now.
あの時より今のほうが、ずっと若いさ
BOB DYLAN 「My Back Pages」
いつまでも こんな気分でいたいものです
やや気障っぽいが、これが今回年賀状に書き記したコメントというか述感である。意訳の感もあるだろうか。もう少し説明的にいえば、若気の至りでなんとなく老成した気分でいたあの頃より、今のほうがずっと年齢に見合った若さでいるんだみたいなことだろう。いるでしょ、大人ぶっていきがっているガキって。まあそういうのを少しだけ成長した自分が振り返ってみたいなことなんでしょう。
ただし、年賀状に込めた意味としては、とにかく基本は「forever young」です。それこそいい加減いい年のジイサンになっているけど、まだまだ青臭い気持ち抱えているし、そうであり続けたいものよみたいな感覚というか。
新年早々ほろ酔い気分で、ぐだぐだと意味のないことを記しているのだが(まあほぼ通年同じように)、それは暮れに同タイトルの映画をDVDで観たからなのである。
このお話はなんとなく覚えている。例の赤衛軍事件である。
朝霞自衛官殺害事件 - Wikipedia
1971年のことだから、私は中学生である。前年の万博の余韻も残る、高度成長期の残滓で、世の中に活気がある時代でもあった。学生運動、新左翼運動はまだ終息していない時期でもある。連合赤軍の主要メンバーは地下に潜っており、まだまだなにかが起きそうな期待もできたし、体制側からすれば、警戒を強めなくていけない、そんな風潮が漂っていた頃でもある。
最も連合赤軍の主要メンバーは、すでに追い詰められ山岳ベースでそろそろ仲間殺しを始める時期でもあったし、翌年には最悪の形でそれは収斂されてしまった。まあそういう1971年である。
そこに今まで聞いたこともない赤衛軍なる新たな党派の出現と、自衛隊基地への侵入、自衛官の殺害を決行したのである。子ども心にもどえらいことが起きたという感想を持った記憶がある。しかしその犯人たちが逮捕され事件の全貌が見えてくるにつれ、なんともお粗末な実態が露見する。赤衛軍といってもほとんど実態がなく、またそのリーダーたる菊池某という男もなんとも売名的で薄っぺらい男であることも報道されたようにも思う。
そうその薄っぺらな男をこの映画ではマツケンが好演している。本当に口先だけの売名的な男である。この時代、マスコミからなにかしらの金をせしめるだけのために、やれ党派性だの、闘争という名のテロ予告だのを売り込みに来る自称活動家が数多いたのだろう。
それにまんまと引っかかったのが朝日ジャーナルの記者であった川本三郎である。この映画ではいいとこの坊ちゃん然としたこの役柄を妻夫木君がこちらもなかなかに好演している。
原作は川本がメモワールとして1987年に発表したものである。暗い時代の暗いお話である。映画も当然のごとく暗いし、さほどの展開もなく、ただただ暗いお話として終了する。ある意味見知ったお話であるからこそ観た映画である。そしておそらく二度と観ることのない映画だ。それでもある部分、私はこの映画のどことなく好きである。それはどこかで映画の中で妻夫木君扮する大マスコミの記者が、学生運動にささやかな共感を抱き続け、それが幻滅に終わるという、その心根の部分をなんとなくあの時代の少なからずの若者が共有していたからじゃないかと思うからである。そしてそれは中学生のガキであった自身にも少しだけ芽生えていた感情だからである。
事件の全貌が見え出したときに感じた妻夫木=川本記者の幻滅感は、ある意味翌年の連合赤軍事件の発覚によって多くの者が抱いたそれの先行したものだったのではないかと思う。それがそのままラストの妻夫木の号泣につながるか、いや、それはちょっと違うと思う。
この映画は最後、ふらりと立ち寄った居酒屋でビールを飲みながら思わず号泣してしまう妻夫木の姿をワンカットで映し続けて終了する。その複線になるのは、この映画の中の唯一清涼感のあるエピソードでもある、当時週刊朝日の表紙を飾っていた若手モデルと川本とのちょっとした交友のシーンにある。
編集部を訪れたモデルとそこに寝泊りしていた川本=妻夫木は会話を交わす。お互いに映画好きであることがわかり、映画談義となる。モデルは男の泣く姿が好きだといい、「真夜中のカーボーイ」のラスト、ダスティン・ホフマンが失禁しながら泣くシーンが好きだという。それに対して妻夫木は、男が人前で泣くのは好きではないみたいなことを語る。
モデルを演じるのは売り出し中の忽那汐里。この娘は存在感があるな。おそらくどこにいても人の目を引くようなオーラに包まれている。この娘の出るシーンは本当にこの映画の中での一種の清涼感が漂っている。
忽那演じるこのモデルは、後に女優に転進してすぐに自殺してしまう保倉幸恵である。お人形さんにみたいに可愛らしいアイドル然とした娘だったか。この人のことは確かデビュー作であるNHKドラマ「黄色い涙」だったかでなんとなくおぼろ気に覚えているような。永島信二作の同名漫画を脚色したこのドラマはけっこう好きだった。
この人が自殺したということはまったく知らないでいた。ネットでググると共演者に乱暴されたのが原因だという噂もあるという。なんとも暗い顛末である。
「マイバックページ」の原作でも、この保倉幸恵との交友のエピソードは出てくる。当然、川本は彼女が若くして自殺してしまったことを知っているから、ある種の郷愁、哀愁、様々な思いを込めてそのエピソードを綴っている。そんな気がする。忽那はそんな逝き急ぐように、緊張感を張り巡らしているようなティーンエイジャーのモデル役をとても良く演じている。短い登場シーンではあるが存在感あり過ぎである。
そんな彼女の言った「男の人が泣くのって、私好きです」という言葉がふと妻夫木の頭に過ぎったのか。過激派の事件に巻き込まれ訴追され実刑を受け、新聞社を懲戒免職されたことに対する悔いの念からか、涙が止まらなくなったのか。もちろんそれもある。しかしそれ以上に、ジャーナリストとして、傍観者たらんとする立ち位置にいながら、結局のところ取材と称して売名的な過激派くずれに加担してしまったことに対する慙愧の思いもあっただろう。いやもっと単純に、もし自身が甘ったるい社会変革への幻想やらからくる新左翼運動家へのシンパシーなんてものを持たなければ、それをベースにしてその過激派運動家への取材を続けなければ、あるいはその事件は起きなかったかもしれないという思い。大マスコミの記者たる自身がコミットしたために、売名的な運動家もどき君を自衛官殺害という犯罪にエスカレートさせてしまったのではないかという自身への悔恨の感情。それらがあの号泣につながったのではないかと、なんとなく私は思う。
事件の後、川本三郎は細々と映画評論を始める。多分彼の名前を目にし始めたのは「ハッピーエンド通信」あたりからだろうか。それから新進文芸評論家としてデビューする。『同時代の文学』(冬樹社)の刊行は1979年のことである。その本を偶然本屋で手に取り、なんとなく購入する。そこで紹介された日本文学の文脈から断絶した新しい感性みたいな表現でつい手にとったのが『風の歌を聴け』である。そう私は川本三郎を通じて初めて村上春樹という名を知り、その書を手に取った。23歳の時だ。川本三郎という作家もまた私自身のマイ・バック・ページ」に書き留められているんだろうとそんなことも思ったりもする。