スーパーのレジで見たこと

 先日、スーパーのレジでなんとなく嫌な光景を目の当たりにした。

 自分の前の老婦人、といっても割と小ぎれいなカッコをしていて、なんていうんだろうお婆さんと呼ぶよりもオバさんと呼んだほうが良さげな小柄な夫人だ。買い物の合計金額は2800円くらいで、会計のさいに1000円の商品券を出し、残りの金額のために財布の小銭を一生懸命書き集めている。でも1500円くらいしかない。レジの快活な中年女性は、特に困った表情でもなく「どうしますか」と聞く。

 後ろにいる自分としては、ちょっと貧乏くじ引いたかなくらいな感じ。さらに自分の後ろには若い夫婦が待っているけど、とくに文句をいうでもなく、仕方なさそうにしている。

 あくまで自分の感想めいたことだけど、自分はレジでこういうことにぶつかることよくある。自分の前の人の精算の際に、商品のバーコードが読み取れないとかで、レジの人が確認にいってしまうとか、今回のように小銭を一生懸命出すのに時間がかかる老人がいたり。まあいずれ近い将来、自分もそんな風になるんだと思いつつも、なんで自分の前でとか、なんとなくいつも自分は不運な星巡りになるなと思ったり。

 目の前の老婦人、結局お金が足りないので、レジを通した商品を1~2品返品することにする。レジの女性はレジの履歴をみながら、「これとこれですかね」みたいに案内する。結局、カゴの中から食パンと2リットルのペットボトルのお茶を返品してどうにか精算できた。

 なにか待つことよりも、そのやり取りを目の前で見ているのが正直辛かった。もう少しで不足の金(数百円)を立て替えようかとも思ったけれど、それはちょっと筋が違うだろうし、かえって雰囲気を悪化させるかもしれない。

 唯一の救いはレジ係の女性が、そのことに文句を言ったり、老婦人を急かしたりすることもなく、明るくかつ事務的に対応していたことだったか。老婦人も淡々とレジを離れた。

 そのご婦人も見た目は小ぎれいにしていて普通っぽい。でも1500円くらいしか入っていない財布をもって買い物に来ているのだ。たまたまの偶然かもしれないけれど、高齢者の貧困問題の実相なのかもしれない。レジの女性が割と普通に接しているのは、そういうケースがけっこう当たり前にあるのかもしれない。

 自分自身でいえば、財布に1500円程度で外出なんて多分考えられない。まあ今は財布がなくてもスマホ一つあればたいてい事足りるのだが、世の中にはそうでない人たちが少なからずいる。

 自分の身近でも4年前に亡くなった一人暮らしの兄は、かなり困窮していた。自分が住居を含めかなり支援はしていたけれど、預貯金はほとんどなく、年金支給の数日前には所持金が500円くらいなんてこともあった。

 困窮するには人それぞれ事情がある。本人の努力にもかかわらず困窮生活に陥る場合も多いだろう。兄も学校を卒業してからずっと仕事をしてきた。でも運にも恵まれず、社会の底辺部分で仕事をしてきて、60を前にして健康を崩した。もちろん生活態度にも問題はあったし、改善しようという努力にも欠けていた。

 でもすべてを自己責任でかたずけるような社会もどうかと思う。

 レジでみかけた光景はもう当たり前の光景なのかもしれない。年取って金に苦労する人生はハードだと思う。今のところ自分自身は細々とした年金生活者ではあるけれど、そこまでシンドい状況ではない。でも健康を崩せば、この国のセーフティーネットは駄々洩れ状態だし、いつ底の方に落ちていくかもしれない。

 明日は我が身とかそういう教訓めいたことではなく、本当になんとかならないものだろうか。レジの光景はずっと自分の中に残っていて、いろいろと考えることが多い