兄のケアマネが変わる

 少し前に兄のケアマネをしている方から急に電話があり、居宅介護支援事業所を閉めることになったのでケアマネを続けることが出来なくなったという。なんでも事業所の所長さんが高齢で事業の継承者を探していたのだが見つからず、事業所を閉じることになったというのだ。そのうえで兄の新しいケアマネは責任をもって探すという話をしてくれた。う~む、そういうこともあるんだなというのがその時の素直な感想。まあ新しいケアマネさんを見つけてくれるならそれでいいとは思った。

 昔、ケアマネ探しというと、カミさんの最初のケアマネを探すのでけっこう苦労したという記憶がある。もうかれこれ15年近く前になるが、あの頃は役所に行っても事業所のリストを渡されるだけで、自分で当たってみて下さいと言われるだけだった。カミさんはまだ当時45歳くらい、特定疾病により若くして介護保険サービスを受けるということになったのは、まったくもって国の制度上の問題なのに、なぜ介護なんだと憤る部分もあった。

 それでも仕方なく、リストから片っ端から電話をかけてみるのだけど、どこもいっぱいですみたいに断られることが多くて難儀した記憶がある。それからすると、今回ケアマネさん同士のネットワークで次の人を探してくれるというのは、利用者側からするとたいへん楽ということになる。

 しかし今のケアマネさんに決まったのは多分2月か3月のことだ。1月に再認定をしてもらい、それまで要支援だったのが、介護度1がついた。それにより地域包括支援センターでケアマネさんがついてくれたのが、支援事業所で頼まなくてはならなくなった。このへんの仕組みは今一つわからない。まあ、介護保険を巡る諸々も随分と変わったし、超高齢化社会の中で介護度認定のハードルも上がっているというところもあるとは思う。

 思えば15年前にサービスを受けたというのはある意味草創期だったのかなと思う部分もあるにはある。

 それで新しいケアマネさんとの契約を今日するというので、自分も一応立ち会うことにした。なんだかんだいってもそういう節目では関わらざるを得ない。少し前に一応今日のことを兄と確認するため電話をすると、兄は相当経済的にピンチのようで、預金残高ゼロ、手持ち現金1000円くらいという状態だった。本人曰く、あと二日で年金降りるからというが、そういう問題じゃないと、電話口で少しだけ怒ってしまった。

 今の古い分譲団地だけど、そこに住まわせることになったのも、兄が仕事を定年で辞めた後にほとんど困窮状態で、おまけに緑内障の手術もしなければいけないという状態、さらに住んでいたアパートはゴミ屋敷というとんでもない状況にあったから。住んでいたのは横浜で、ほとんど音沙汰なしという状態だったので、自分の近くに住まわせた方がいい、無収入で年金だけが頼りという状態なので、賃貸より分譲で家賃なしのほうがいいということで自分が購入したんだった。

 そこに住む時に兄とは健康管理、金銭管理、住居の管理を仕事だと思ってやってくれと頼んだ。でもどれもまったく守られることはなく、健康面では透析を受けるはめになってしまったし、住居も荒れ放題、金銭感覚は預金残高が底をつくという状態だ。

 兄は16から60までは途切れることなく仕事をしていたから、年金はほぼ満額でている。月に均せば16万以上だ。それで家賃なし、1人暮らしの老人ということでいえば、普通に生活できるはずだと思うのだが、金銭感覚ゼロで浪費癖があるのでこれも致し方ない。

 ケアマネがくる少し前に兄の家に行き、掃除機をかけて部屋をきれいにする。兄は透析が終わって帰ってきたばかりで簡単な食事をしていた。そこでちょっとだけ経済面の話をして、当座必要な現金を渡す。

 ケアマネがやってきて、契約自体は30分かそこらで終わった。今度のケアマネさんは、やや太めの元気ある女性で、年齢は40~50くらいというところか。最後に、何かあったらいつでも電話してくださいとだけ話した。先方はよろしくお願いしますと言って帰っていった。

 その後、兄とは少しだけ話をして何か必要なものがあるかと聞くと、この間部屋にダニが湧いて困っているので殺虫剤の類が欲しいという。今回金がなくなったのも、そうした殺虫剤やダニシートとかを買うのに金がかかったとも弁解していた。ついでに特別定額給付金の手続きをしていないというので、通帳と障碍者手帳を借りていったん自分の家に帰りコピーをとった。その後でホームセンターにより、ダニアースとかダニシート、新しいタオルケットなどを買った。それからスーパーで米や食料品を少しだけ買って兄の元に戻り、それらを置いてから帰ることにした。

 帰りがけに、とにかく無駄遣いをしないこと、なにか必要なものが出来たらまず連絡して欲しいとだけ話して帰ることにした。

 とにかく、とにかく疲れた、ただ疲れた一日だった。