
SOMPO美術館で開かれているユトリロ展に行ってきた。
この美術館では2015年にユトリロと母親シュザンヌ・ヴァラドンの企画展をやっていたが、それ以来の大々的な回顧展のようだ。しかしもう10年も前になるのか。
モーリス・ユトリロについては、日本でも人気の高い風景画家である。白を強調した作品からじょじょにカラフルな色彩によって描かれるパリの街並みは、どこかノスタルジックな趣を感じさせたりする。そして強調される遠近法的な構図などなど。
今回は図録に書かれたSOMPO美術館学芸員桑名真吾氏の一文「ユトリロをどのように語ればよいのか」をトレースしていく。
まずユトリロの評価にあたっては、作品の外観、様式の変遷、伝記的要素の強度(過剰)が入り組んでいるとされる。その中で純粋に膨大な作品量とその豊かさ、伝記的事実の情報量の多さが、ユトリロ作品が鑑賞者を魅了していることがあげられる。
それでは伝記的事実の過剰な情報とはなんであるか。
- シャヴァンヌ、ロートレック、ルノワールらのモデルを務め、愛人関係にもあったという母親シュザンヌ・ヴァラドンから育児放棄され、孤独な少年時代を過ごしたことから、10代のうちにアルコール依存症を発症したこと
- その母親ヴァラドンが、ユトリロの友人であった画家のアンドレ・ユッテルと結婚したこと。ユッテルはヴァラドンよりも21歳も年下であった
- その友人=義父ユッテルと母ヴァラドンはユトリロを金づるとみなして、作品を売った金で暮らしていたこと
- ユトリロは51歳になったときに、母親のすすめで5歳上の未亡人リュシー・ヴァロールと結婚し、今度はユッテルや母親の代わりに妻の管理下に置かれたこと
- アルコール中毒により精神病院に何度も収容されたこと、たびたび公然わいせつ、暴行、公共の場での酩酊などで逮捕されるなど、狂気の芸術家のイメージが計成されたこと
ユトリロ作品の様式の変遷については、印象派の影響を受けたモンマーニュの時代、白の時代、色彩の時代に分類される。作品の性格としては、まず彼が絵葉書や写真を下敷きにした模写によって描いていること。構図パースが歪んだ一点透視図法が多用されていること。第一次世界大戦前後から始まるモンマルトルの高級宅地化によって失われてゆく街並みを、絵葉書や名所写真をもとに、ノスタルジックな想像力を喚起させる都市風景がにしたてたこと、などがあげられる。
ユトリロはエコール・ド・パリの画家の一人でありながら、フォーヴィスム、キュビスム、シュルレアリスムといった前衛芸術運動とは無縁の、オーソドックスな保守的、後衛的な画風であり続けた。
桑名氏はさらにピエール・ブルデューの著書『ディスクタンクシオン 社会的判断力の批判』を引用する。すなわち「文化的嗜好と社会階層の関係を分析し、芸術作品の受容が社会的出自や教育資本と密接に関係していること」として、文化的消費の実践を「正統的趣味」、「中間的趣味」、「大衆的趣味」の三層に大別する。そしてユトリロはベルナール・ビュフェと同じく「中間的趣味」に属するものとした。
ユトリロとビュッフェを同じ括りにする。画風、画題などすべてにおいて異なるが、一定の芸術性を確保しながら人気画家であった部分など、なるほどとうなずける論説である。
桑名氏はまた洋画家宮本三郎がユトリロについて語った感想を引用する。それはユトリロの風景画が喚起するパリの風景の既視感についてである。
「私たちが初めて憧れのパリについて、描こうとすると、実はその素晴らしさというのが、ユトリロの描くところのパリ風景だった」というのである。これもまたうなずけるところだ。そしてパリに勇んでやってきた若き画家たちは、ユトリロの眼差しを払拭することに努力し、そこから自らの眼差し、オリジナリティを見出していく。
都市の風景画を描くとき、ユトリロ風に描くことはある種の定型かもしれない。誰しもユトリロ風に描く。でもユトリロにはなれないのだ。ユトリロのもつ独特な感性、色彩感覚、それはまさしくユトリロだけのオリジナリティだ。
ユトリロは天才なのかもしれない。しかも彼はそれを絵はがきや名所写真を模写しながら創り出すのである。彼の透視図法は実際にキャンバスに定規で線を引きながら構成していく。そんなアマチュア的な手法でありながら、あの独特の風景画を創り出すのだ。
モデルを続けながら自ら絵を描き、後に女流画家として大成する母親シュザンヌ・ヴァラドンからすれば、いとも簡単に、絵葉書や写真を模写しながら、独特の風景画を描き、それが大衆の心をつかみ、売れる作品を描きだす息子は、誇らしくもまた同じ画家としては、妬ましく思えたかもしれない。
凡庸な芸術家である自身と天才である息子。息子の作品が売れることで、自らも安定した画業がおくれること、裕福な生活が送れること、様々な心理が錯綜するだろう。
おまけに少年時代、ネグレクトにあい、それもまた理由の一つとなってアルコール中毒症になったユトリロは、一方で母親を猛愛し続ける。彼は多くの絵に「モーリス・ユトリロ・V」と署名している。その「V」はヴァラドンに由来している。
ヴァラドンが亡くなったときにユトリロはショックで葬儀に出ることもできなかった。その後は自宅に礼拝堂を作り、もっぱら祈り続ける日々を送った。
やはりユトリロを語るとき、その語り口には母親との関係などの伝記的属性が大きく影響することになりそうだ。一方で彼の描く都市風景には、そうした伝記的部分がどこにも見当たらないのである。
彼が、屋外ではなく自室や母親や義父によって軟禁状態にあったサン=ベルナールの古城で、絵葉書などを模写して描くようになったことにもさまざまな仮説がある。一つには、アルコール中毒症の治療の一環として医師や母親に勧められて絵を描き始めたこと。最初、街路で描き初めた頃、周囲から誹謗されたり、石を投げつけられるといったいじめにあっていたという。
ユトリロは周囲から迫害を受ける子どもでもあった。父親のいない子ども。祖母に預けられ、なかなか会いに来てもくれない美人の母親。孤独のなかでアルコール依存症となり、酒場に行けば酩酊して暴れだし、店から放逐される。ユトリロは絶対的な孤独の中で絵を描き続ける。
彼の絵にはそういう孤独な心理が投影されている部分がある。絵の中に点景として描かれる人物、たいていは臀部の大きな女性たちだ。それはユトリロの女性蔑視が投影されているという説がある。一方でただの記号化されたものでしかないとする説もある。ときどき俯きかげんの男の後ろ姿が描かれる場合もある。それはおそらくユトリロ自身とされる説が多い。自分もそんなことを思う。
ユトリロの都市風景はどこか淋しい、寂寥感が表出している。それは実存的な孤独、あるいは近代化された都市における疎外とか、そういう哲学的なものではない、ただの都市生活者の孤独かもしれない。
誰にでも書けそうな都市風景画でありながら、ユトリロにしか描けない部分、それは画家の疎外感が投影されているからかもしれない。ユトリロに影響を受けたであろう、例えば佐伯祐三、荻須高徳、松本竣介らは、そういう都市の孤独者の心理の投影みたいな部分に惹かれたのかもしれない。



ひろしま美術館蔵

この頃はまだ臀部が強調されていない。



油彩/カンヴァス 52.0×69.0cm 八木ファインアート・コレクション蔵

油彩/カンヴァス 60.0×80.0cm 八木ファインアート・コレクション蔵



1932年頃 油彩/カンヴァス 47.0×55.0cm 個人蔵





パリ・ポンピドゥセンター蔵


八木ファインアートコレクション蔵
