伊藤小坡美術館と猿田彦神社(10月29日)

伊藤小坡美術館

 伊藤小坡は日本画の女流画家で主に京都画壇で活躍した。

 近代日本画の女流画家というと誰しもが思い浮かぶのが上村蕉園だろう。伊藤小坡は蕉園よりも2歳下で、ほぼ同時期に活躍した。上村蕉園が15歳で内国勧業博覧会で一等となり、20歳で竹内栖鳳の門下に入るなど、早熟な才能をみせたのに対して、小坡がない嚳勧業博覧会に出品したのは26歳の時、文展に初入選したのは38歳とやや遅咲きである。

 上村蕉園は生涯結婚することなく、私生児を一人もうけた。これに対して小坡は20代で同門の伊藤鷺城と結婚して三女に恵まれた。蕉園が子育てを母親まかせにしたのに対して、小坡は家事や子育てに勤しみながら画業を続けた。小坡が画壇に認められるのに時間がかかったのは、そういう事情もあったかもしれない。

 小坡は子どもの頃から歴史人物を好んで描いたこともあり、当初は美人画、あるいは風俗画的なものを描いていたが、じょじょにやまと絵的な歴史画を得意とするようになる。

 彼女の画風、特に美人画は蕉園のような凛としたはりつめたものとは異なり、どこか大らかな柔らかい雰囲気をもっているような気がする。そういう点でいえば同じ女流画家でも池田蕉園と近しいものがあるような、まあこれは自分の個人的感想である。

 

 

 伊藤小坡の美術館は、伊勢道路沿いで伊勢神宮内宮への参道とは反対側に少し入ったところにある。その近くには猿田彦神社がある。なぜこの地に美術館があるかといえば、彼女が猿田彦神社宮司の娘であるからだ。

 猿田彦神社宮司は、代々宇治土公(うじとこ)氏が務めており、小坡の旧姓は宇治土公佐登(うじとこさと)という。

 伊藤小坡の作品はそれまでにも何点か観ていて、何度目かの伊勢旅行の時に、美術館があることを知り立ち寄った。それ以来。多分4、5回は来ているかもしれない。今回の伊勢旅行はおそらく最後になりそうな予感もあり、もう一度来ておきたかった。

 ちなみにこの美術館、趣のある小ぶりの美術館だ。そしていつ行っても空いている。それこそ自分たちだけしかいないみたいなこともけっこう多かったりする。今回はというと珍しく、何組か若いカップルや集団がいた。いずれも大学生くらい。そういう若い子たちが伊藤小坡に興味を持ってくれているのが、なんとなく嬉しくなったりもした。

 展示作品は季節ごとに少しずつ変えているが、主要作品はほとんど変わらない。そしてこの美術館で何度も目にして好きになった作品に再会できるのも、また嬉しいことでもある。

《製作の前》 1913年

 《製作の前》は1915年に文展に初入選したものだが、その作品は失われてしまっている。それと同内容でやや小さく縮小された軸装版がこの美術館に所蔵されている。作品製作の前に資料などを広げている画家自身を描いたものとされている。

 

《伊賀のつぼね》 1930年

 

山内一豊の妻》 1940年

 

《乳人浅岡》 1942年

 

《秋好中宮図》 1929年

《幻想》 1930年頃

猿田彦神社

 伊藤小坡美術館には何度も来ているが、猿田彦神社には一度も寄ったことがなかった。まあ神社詣としては、ある意味総本山の伊勢神宮内宮が目の前にある。そうなるとどうしても影が薄くなる。内宮に行く前、行ってから、いずれにしてもなんとなく大トリの内宮に行けばなんとなくおなか一杯みたいな気分になる。今回はというと、やっぱりラスト伊勢みたいな心持もあり、一度くらい行ってみてもとそんなことで、伊勢神宮内宮、伊東小坡美術館と回ったあとで寄ることにした。

 祀られている猿田彦大神は、天孫降臨の際に天照御神に遣わした邇邇芸命(ににぎのみこと)を道案内した国津神とされている。

猿田彦神社とは|みちひらきの大神 猿田彦神社

猿田彦神社 - Wikipedia

 猿田彦というとなんとなく手塚治虫の『火の鳥』に出てくる鼻のでかい異形な面相のキャラクターを思い出す。『火の鳥』のなかではキーパーソンの一人で、古代編、大和編、また未来編にも出てきたような記憶がある。爛れた巨大な鼻のせいで、恋人も友人もできない孤独な男みたいなキャラだっただろうか。まあこれは別の話だ。

 境内には御殿とは別に小さな佐瑠女神社があり、御朱印猿田彦神社、佐瑠女神社の二つを書いてもらうことができる。