伊東周遊 (3月16日)

 伊豆小旅行3日目。

なぎさ公園とヨサコイ 

 まずは伊東周辺観光ということで12月に来たときと同様、なぎさ公園前の駐車場に止める。するとなにやら公園の方で人が大勢集まっているのと、威勢のいい音楽が聞こえる。近くに行くとなにやらよさこいのイベントが行われていた。

 なんでも伊東絆祭りということで、今回が三回目になるのだとか。

 よさこいはなんていうかマイルドヤンキーのお祭りみたいなイメージが強くて、どちらかといえば苦手だ。確かもともとは高知のよさこい祭りから始まったお祭りだったか。それが札幌でのYOSAKOIソーラン祭りから全国に広がったとか。たしかそのYOSAKOIソーランの発案者は今は自民党の代議士やってるんじゃなかったか。

 なんにしろ地元志向、やんちゃなキャラ、踊り、衣装と、まさにマイルドヤンキー風。とはいえ若い子が元気に踊っている分にはまあよろしいかなと思ったりもする。でも何組か見てると、やんちゃなおじさん、おばさん風もいて、これはこれで・・・・・・、まあいいか。

 なぎさ公園は地元の彫刻家重岡建治の作品が多数展示されているのだけれど、それを観るどころではなく、数組の群舞を観てそこを離れることに。

 

松川遊歩道から商店街など

 これも前回を歩いた松川遊歩道を車椅子を押して歩く。ここはいい雰囲気だ。ところどころに地元出身の詩人・文学者・画家木下杢太郎の百花譜が描かれたモニュメントがある。川の向こうには旧木造建築の旅館で温泉施設となっている東海館も見える。

 

 遊歩道をだいぶ行って向こう岸に行くと室生犀星の歌碑なんていうのもあった。

 

 そこから商店街の方に向かう。アーケードのある商店街はキネマ通りという。戦前にあった映画館キネマホールにちなんでつけられたという。でもここは午前中とはいえ11時を過ぎても開いているお店も少ない。ほとんどシャッター商店街と化している感じ。

 

 そこからメインの湯の花通り、駅前仲丸通りも通った。さすがにそちらは人通りも多くなっているけど、一昨日の熱海と比べるとずいぶんと差があるなと思った。やっぱりJR、新幹線の止まる駅とそこから伊豆急で行く駅では大きな違いがあるということだろうか。

 大学生も卒業旅行に熱海へ行くはあっても、伊東に行くはないのかなどと思った。

 その後はまた松川遊歩道の方に戻って東海館の前を通ってみる。ちょっと中が気になったが、もろもろ段差とかありそうだし、靴を脱いでの入館はちょっとしんどいかなと思いパスする。

 

木下杢太郎記念館

 

 前回は年末ということで閉館していた木下杢太郎記念館に行ってみる。

伊東市立木下杢太郎記念館/伊東市

 木下杢太郎の生家を記念館に改築した施設で杢太郎の絵画や写真、交流のあった文学者たちとの書簡などが展示されている。

 


 今的にいえば、木下杢太郎って誰だということになるかもしれない。医師であり、詩人、文学者、そして画家と多彩な才能を持った人物であり、伊東市にとっては地元出身の著名文化人である。

木下杢太郎 - Wikipedia

 自分はというと、この人のことは画集『百花譜百選』で知った。草花を描いたものでいわゆるボカニカル・アートである。この本の復刻版が限定発売されたときには、こんな本売れるのかなと思ったのだが、これが意外なほどによく売れた。たしか限定をうたいながら増す刷りをしたとか聞いた記憶がある。

 館内で案内をしてくれた女性の方とちょっとそんな話をしたときに、「もう岩波も出さないということらしいです。絶版のようですね、残念です」と話されていた。

 岩波は外向きには絶版という言い方はあまりしない。「再販未定でご要望があれば再刊する場合もあります」というのが公式アナウンスだったか。岩波が絶版を名言するのは、盗用など内容に相当な問題があったものだけとか、そんな話も聞いたことがある。なので『百花譜百選』が絶版というのはちょっとどうなのかなとも思ったが、岩波からそう伝えられているということなので、まあ絶版ということなのだろう。

 杢太郎の草花を描いた絵はこんな風である。

 

 

 展示品の中でちょっと興味を覚えたのは、杢太郎の姉が女学校時代に樋口一葉と同窓生で、二人で移った写真が展示してあった。髪を下した女学生の一葉が写っている写真はとても珍しい。左が太田たけ、右が樋口一葉

 

 映りは悪い写真だが、それでも目鼻立ちが整った樋口一葉の美しさは際立っている。美人で文学的才能もあり、若くして当時の文壇でも知られた存在であった。夏目漱石森鴎外らも一葉女史に一目おいていた。なのにどうして彼女は貧困のなかで早世したのだろう。もっと援助とかがあっても良かったのではないかと思ったりもする。やはりその美貌から、同時代の文学者たちはそれぞれに、なんとなく遠慮が生じたのだろうかなどと想像したり。

 杢太郎の記念館はこぶりな文学記念館だけど、文学的な雰囲気に浸ることができる。医者で文学者という点では森鴎外の後継者みたいな部分もある。与謝野鉄幹北原白秋らとの交流と詩作、さらに画業だけでなく美術批評としてフランス印象派などを評してもいる。戦前の多彩な文化人、今風にいえばマルチな文化人とでもいうべきだろうか。 

 たしか『百花譜百選』は文庫にもなっていたと記憶しているので、古本屋でも探してみようかと少しばかり思ったりもした。