いつものように公園の駐車場に車をとめる。ここも土日はすぐに満車となるが、ウィークデイは空いている。まあそういうものだ。
山下公園にはたまに訪れる。車をとめてから園内をブラブラしたり、中華街や元町に足をのばしたり。まあこの日は夕方だったので、公園内を少しだけ車椅子を押して散策。
まず驚いたのは山下埠頭の一角にこんな異形な建物がある。
そして建物の裏側には原寸のガンダムが。
このガンダム、緩慢ながら横向いたり、しゃがんだりと一応動くのである。このガンダムを至近で見るためには入場料を払い、さらに内部では諸々のグッズが購入できる。
出てきたアジア系の観光客は手に大きな袋を持っている。ここ目当てに来る人もいるんでしょうね。
もちろん入りませんし多分興味もないです。なので外からちょっとだけ覗かせてもらいました。
ガンダムファクトリーを背に山下公園に戻ると目の前にマリンタワーが見える。でも周囲に高い建物が林立するようになったので、マリンタワーちっとも高く見えない。
いつも思うのだがこのシルバー色のマリンタワーにはなんか違和感がある。昔は赤色だったのだけど、それがいつ頃だったのかちっとも覚えていない。
マリンタワーは1961年に竣工開館しているから、自分は5歳くらいの頃になる。世界一高い灯台かつ展望タワーということで話題を集めたんだったか。当初は歩いて登ったり下ったりも出来て、たしか歩いて登るとマリンタワー型の定規がもらえたような気がする。小学校に上がる前だったけど、一度くらい階段を下りたかなんかしたような気がするが定かではない。
それからは海を右手に見ながら園内をぶらぶらと。
まずは定番の氷川丸。
そしてさらにぶらぶらと。
以前にも書いたかもしれないが、昔はこの海に突き出た部分に降りることができた。これも子ども頃、最古の記憶の一つだが、作ってきた紙の船をここから海に流したことがある。父も母も一緒だったような気がする。
父に紙の舟はどこにいくのか聞くと、海の向こうはアメリカだから、サンフランシスコあたりにたどり着くんじゃないかと父は答えた。
その晩、紙の舟がアメリカにたどり着く夢をみた。そんなこともなんとなく覚えている。ひょっとしたら当時、堀江健一が単独で太平洋横断をしたニュースがあり、彼がサンフランシスコに凱旋したことなどが話題になっていた。そういうニュースや、父から一緒に紙の舟を流したみたいな話を聞いて作り上げた記憶かもしれない。
ただ父と母と兄と自分の四人家族が仲良く山下町で暮らしていた頃の微かな記憶。我が家が平穏だった頃、ちょっとだけ美化してしまったような思い出のなかのヨコハマ時代の記憶だ。