一昨日だったか、新聞の訃報欄に載っていた。
アストラッド・ジルベルトさん(歌手)英メディアによると5日死去、83歳。死因は明らかにされていない。
ブラジル出身。ボサノバの第一人者として知られる歌手のジョアン・ジルベルトの元妻で、60年代に「イパネマの娘」を歌い、世界的に大ヒット。ボサノバの知名度を引き上げた。
83歳、大往生なんでしょうが、なぜか無性に淋しい。ボサノヴァの誕生に立ちあった人がみんな鬼畜に入った、そんな感慨がある。アントニオ・カルロス・ジョビン、ジョアン・ジルベルト、スタン・ゲッツ、クリード・テイラー・・・・・・。そういえばクリード・テイラーが亡くなったのは去年のことだったか。
自分史的にもそうだし、多分音楽史的にいっても、ボサノヴァはこのアルバムから始まったのじゃないかとそんな気がする。
スタン・ゲッツが、ブラジルのミュージシャン、アントニオ・カルロス・ジョビン、ジョアン・ジルベルトを起用してアルバムを作る。プロデュースはクリード・テイラー、レーベルはヴァーヴだ。
スタジオで英語が話せない、歌えないジョアン・ジルベルトの代わりに英訳して歌ったのがジョアンの妻のアストラド。彼女の父親は言語学者で、彼女自身母国語ポルトガル語以外にも数各語に精通していたという。その歌、声にほれこんだのが、クリード・テイラーでありスタン・ゲッツだった。夫のジョアンは反対したらしいが、テイラー、ゲッツはアストラッドのボーカル曲を録音しアルバムに収録された。
その中の『イパネマの娘』は、もともとジョアンのポルトガル語ボーカル、次にアストラッドの英語ボーカル、そしてゲッツのテナーと続く5分21秒の曲。そのアストラッドのボーカル部分とゲッツのパートだけにしたシングル盤が大ヒット。ビルボードチャートで5位までとなった。そして世界中にボサノヴァが大流行した。
ジョアンとアストラッドはほどなく離婚する。アストラッドはゲッツのツアーに同行する。シングル盤『イパネマの娘』は50万枚くらいうれたという。それはおそらくジャズの世界では途方もないくらいの大ヒットだったのだと思うし、ゲッツやクリード・テイラー、ヴァーブにとってはえらい金が入ったのだと思う。でも、アストラッドにはあまり金が払われなかったようだ。
ゲッツとのツアーでもアストラッドはゲストみたいな扱いで出演料の額も少なかったのだろう。彼女は訴訟を起こし自分の取り分を確保し、ソロとして独立する。そしてボサノヴァの女王が誕生した。
ジョアン・ジルベルトの妻として、英語のできる主婦でしかなかった彼女が大スターとなる。彼女の拙い歌声、声量がないせいだろうか囁くように歌うそれはボサノヴァの女性ボーカルの一つのスタイルとなった。当時ゲッツのコンボにいたゲイリー・バートンはアストラッド・ジルベルトのことを嫌っていたという。それはただ単純に彼女の歌がヘタだったことからだとか。まあプロ中プロからすると、素人そのものの彼女の歌がもてはやされるのは耐え難いことだったのかも。
ゲッツとジョアンのアルバム『ゲッツ/ジルベルト』の制作中なのか、その後なのかゲッツとアストラッドは関係をもっていたようだ。それがアストラッドとジョアンの離婚の理由なのかどうかは判らない。ジョアンも他の女性との交際もあったようだから。
ゲッツがアストラッドに手を出したのは、もちろん彼女が美人で魅力的だったからだろうけど、まあそれ以前にゲッツは身近にいる若い女性にはみんな手を出そうとした。酒とヘロインと女、多分、音楽やっていなければクズ中のクズだっただろう。パーカーとゲッツの共通点は二人ともサックス吹きであること、ジャズやっていなければただのクズ中のクズだということ。まあそういうものだ。
アストラッドはあの拙い歌声をある種のスタイルに昇華させた。ボサノヴァはウィスパーボイスでヘタウマに歌うというのが一種の定型になった。それ以上にあの拙い舌足らずな歌唱は、専門的なヴォイストレーニングを受けていない若いタレント、アイドルの歌唱の模範になっているといえるよう気もする。
彼女は母語のポルトガル語よりもメインで歌っていたこともあるし、ソフィストケートされたボサノヴァがメインだったから母国ブラジルでは今一つ評価が低いという。たしかに彼女の歌にはサンバのもつ土着性はない。
彼女は全編日本語でのアルバムを一枚出している。それを聴くとハーフか外タレのアイドルによるカタコト日本語によるアルバムのようでもある。アストラッド・ジルベルトって誰、グラビア・アイドルか何かみたいな。
自分が最初に彼女は聴いたのは『GETZ/GILBERTO』から。多分それが最初のボサノヴァとの出会いだった。小学の高学年くらいだったと思うが兄が聴かせてくれた。その後も兄が持っているレコードで彼女の曲を何度も聴いた。
今思うと、自分の音楽趣味は兄の影響によるところが本当に大きい。ビートルズもそうだし、ジャズやボサノヴァもだいたいは兄が聴いていたのを一緒に聴いたりして好きになった。当時は貧乏だったから兄も自分もLPはあまり買えなかった。アストラッド・ジルベルトももっぱらシングル盤や4曲入コンパクト盤で聴いていたように思う。
それ以来、熱心なファンではなかったけれど、長い年月彼女の歌を聴いてきた。50年近くになるのだろうか。それを思うと彼女の訃報が無性に淋しい、淋しくてたまらない。
彼女の曲といえば『イパネマの娘』が代表作となるのだろう。自分ももちろん好きだ。他ではワルター・ワンダレーとやった『サマー・サンバ』とか。ボサノヴァ的ではない当時の流行りの映画の主題歌だった『いそしぎ』とか。あとこれは兄がシングルで持っていたけど『フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン』も大好きだ。たくさんの歌手が歌っているスタンダード・ナンバーだけど、なんならアストラッドのそれが一番好きかもしれない。
なんだか2023年は、バカラックとジルベルトが死んだ年として記憶することになるのだろうかね。
アストラッド・ジルベルト、83歳死去。ご冥福を祈ります。
アストラッド・ジルベルト - Wikipedia (閲覧:2023年6月9日)
Astrud Gilberto - Wikipedia (閲覧:2023年6月9日)
ゲッツ、ジルベルトのゴシップ的聞き方 STAN GETZ QUARTET ASTRUD GIJBRTO LIVE AT THE BERLIN JAZZ FESTIVAL 1966 - JAZZ最中 (閲覧:2023年6月9日)