音楽においてプロデューサーの存在を知ったのは、ポップスではこの人だったかもしれない。それは例えばジャズにおけるクリード・テイラーみたいな存在。じゃあ、フィル・スペクターの他に、あるいは彼と並ぶプロデューサーはというと、ジョージ・マーティン、デヴィッド・フォスター、テッド・テンプルマンとか、プレイヤー兼任でいえばクィンシー・ジョーンズ、トッド・ラングレン、ジャズだとテオ・マセロなどなど。
まあ今だとそういう何人かの名前が出てくるけど、20代の頃というと正直フィル・スペクターとクリード・テイラーくらいの名前しか出てこなかった。ある意味、フィル・スペクターは音楽プロデューサーの代名詞だった。とはいえ彼のどこが凄いかというと、実はあまり知識もなくせいぜいビートルズの「レット・イット・ビー」を手掛けたことや例の「ウォール・オブ・サウンド」くらいの知識しかなかった。まあそういうものだ。
後付けで知識を得るにつけ、アビー・ロードでのジャム・セッション的な演奏の断片から「レット・イット・ビー」を仕上げた彼のセンスの良さとかが絶賛されたりするのだが、実はあのレコードをビートルズのメンバーはあまり評価していなかったとか、いろんな話もでてくる。実際のところもっとライブ感あふれる演奏が、ああいうものに変わってしまったみたいなことも言われたものだ。
「ウォール・オブ・サウンド」については、多重録音とエコー処理によって音の壁を作りだすみたいなところが定説のようだけど、それについてもけっこう異論もあったりして、多重録音は彼が作り出したものではないとかなんとか。まあ彼の作りだしたサウンドは確かに音が多いとは思う。自分的には若い頃は、エコー処理で壁から返ってくるようなサウンドみたいな適当な理解してた時期もあった。笑い話みたいだ。
でもっとフィル・スペクターの作り出したサウンドの典型というと、やっぱり初期の初期の代表作ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」だと思う。そしてフィル・スペクター・サウンドを完成させたのは、実は影響を受けたブライアン・ウィルソンじゃないかなんて、まあ適当に思ったりもしてる。
𝐓𝐡𝐞 𝐑𝐨𝐧𝐞𝐭𝐭𝐞𝐬 - 𝐁𝐞 𝐌𝐲 𝐁𝐚𝐛𝐲 - 𝐥𝐢𝐯𝐞 [𝐇𝐐]
この音、このサウンドがまさしくフィル・スペクター・サウンドじゃないかと思う。いくら言葉を重ねてもとりあえず音楽を聴けと、まあそういうことだ。しかし、ロネッツのリード・ヴォーカル、ヴェロニカ・ベネット-のちにフィル・スペクターと結婚してからはロニー・スペクターと改称する-の笑顔の愛くるしさ、ちょっとした仕草の可愛らしさ、多分当時はトップ・アイドルだったんじゃないかとそんなことを思ってしまう。
彼女は、アフリカ系アメリカ人とアメリカ先住民のハーフの母親とアイルランド系白人の父親との間に生まれ、ニューヨークのハーレムで育ったという。そういう出自からすると正統的な白人グループとしてよりは、アフリカ系アメリカ人のリズム&ブルース系のシンガーとして出てきたのかもしれない。
ロニー・スペクターの歌唱力がより発揮されているのはライブかもしれない。同じ「ビー・マイ・ベイビー」もテレビスタジオながらこの動画の方が歌唱力、そしてロネッツのダンスなどが楽しめる。
去年亡くなった弘田三枝子の歌唱は多分ロニー・スペクターの影響を受けているんじゃないかと思う。彼女のパンチの効いた歌、彼女のダイナマイト娘という愛称もこの辺由来かと思ったりもする。
ロニー・スペクターとフィル・スペクターの結婚はあまり幸福なものとはいえなかったようで、離婚後彼女はフィル・スペクターから度重なる暴力を受けていたと語っている。それは後にフィル・スペクターの犯罪にも繋がっていったのかもしれない。
フィル・スペクターは2003年に自宅で女優のラナ・クラークソンを射殺して服役している。今回の死亡についても、新型コロナウイルスに感染し、刑務所から移送された病院で亡くなったことが発表されている。
ロニー・スペクターはTwitterでフィル・スペクターの死についてこう記している。
Working with Phil Spector was working with the best. So much to love about those days.
— Ronnie Spector (@RonnieSpectorGS) 2021年1月17日
Falling in love was like a fairytale.
The magical music we made was inspired by our love.
He was a brilliant producer, but a lousy husband.
The music is forever 1939-2021 pic.twitter.com/x2ltPa1frq
「彼は素晴らしいプロデューサーだったけれど、残念な夫でした」
最後に「ビー・マイ・ベイビー」を使った映画「ミーン・ストリート」のタイトル・クレジット。この映画は内容もあまり覚えてないのだが、音楽が効果的に使われていて、このタイトル・クレジットと劇中でデ・ニーロが酒場に入ってくるところで流れる「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」のところだけはけっこう鮮明に覚えていたりする。
まあ毀誉褒貶あるにせよ、希代のプロデューサー、フィル・スペクターの冥福を祈ります。