9月3日(火)
立川で友人と会う。最初にたましん美術館で歌川広重《江戸名所百景》展を観る。
基本、その日は飲み会。まず一軒目は北口にある立ち飲みでクラフトビールが飲めるSakamichi Brewingに行く。
Sakamichi Brewing – Tachikawa's own craft brewery!
ここは二度目くらいか。カウンターで好みのクラフトビールを頼む。ツマミは持ち込み可。昼間ながら、若い客が数人。店の前には外国人が5~6名屯って飲んでいる。みんなガタイがでかい。立川は横田が近いので多分米軍系だと思う。しかしこの人たちは、どのくらいビール飲んでいるんだろう。
我々はというと友人が買ってきた崎陽軒のシュウマイを肴にビールを数杯。まあいつものバカ話の始まり。
次に南口の飲み屋街で煮込み専門店のマルミヤに。なかなか美味い煮込みで、多分ハイボールを数杯。ガソリンが入ったせいかテンションもあがる。しかしこの店、7時を回っても客が全然入ってこないでほぼ貸し切り状態。まあ火曜日とはいえ大丈夫かと思ったりもした。
その後は南口から線路下のガード通路を通って北口に行き、屋台村(今はガレーラというのか)に行き、日本酒を数杯飲む。65を過ぎた年寄同士だが、まあまあお互い元気というか、よく飲む。それでも9時前に切り上げて帰宅した。
立川はもともと旧陸軍の立川飛行場があり、戦後は米軍が基地として使っていたということで、完全に基地の町だった。なので兵隊相手の歓楽街として栄えた町でもある。南口の飲み屋街からガード下通路に行く途中で公園の脇を通った。そこに2~3人の女性がスマホを見ながら立っていた。彼女たちがそういう商売の人なのかどうかは判らないけれど、やはり繁華街、基地の町の残滓みたいなものなんだろうか。
とはいえ立川は、今や西東京の最大の町、いや街であり、商業都市としても栄えている。昭和記念公園もあり、イケヤもららぽーともある。埼玉の辺境から来ると大都市然としている。とはいえ子どもの頃、川崎に住んでいた頃の記憶でいえば、南武線の終着駅みたいなイメージもある。まあ今は暮らしやすい町だとは思っている。そこに住む友人とは数か月に一度くらい会って飲む。ディープ埼玉から来ると完全にお上りさん的だ。
9月5日(木)
妻はデイサービスが休みの日。自分はというと午前中は試験勉強。8日の13時までにWEB上で1時間の試験を受けなくてはならない。もうあまり時間がない。
午後は妻が少し前に受けた健康診断の説明を受けるというので最寄りの病院に行く。結果は可もなく不可もなくだとか。
その後は国道沿いに新しくできたラーメン屋塊力屋で遅めの昼食。このラーメン屋前からあちこちで見かけて気になっていたところ。一番は練馬の関越に入る直前に右側にあるのを何度も目にしていて、一度入りたいと思っていた。ラーメンはというと背脂多めで、その手のラーメンを食べるとけっこうな確率で腹にくる。今回も数時間後に腹が痛くなる。
次にカインズのガーデニング売り場にある安いカフェでアイスコーヒーとマフィンを食す。ここのところ妻とここに来ることが多い。二人あわせても1000円弱。貧しい老人夫婦にはちょうどいい。
家に帰ると、8月23日に受けた健康診断の結果が届いていた。結果はというと、例によって脂肪肝、脂質異常症、纐纈明日政疾患、血糖値も高い。目新しいところでは胸部X線で大動脈の蛇行が認められるとか。これは動脈瘤の恐れがあることか。あと眼底検査で右目に「視神経繊維欠損疑い」とある。これって緑内障の疑いありということか。これはちょっと心配。
9月6日 (金)
午前中、都内で歯科通院。6月から断続的に治療している左下奥歯にようやく仮歯がはいる。次あたりで治療完了だろうか。歯科の予約が10時半で、治療終了が11時少し前。すこし時間があるので階下の医療センターの眼科を受信する。健康診断の内容を見せ、ひととおりの検査の後、医師の問診。10月に緑内障の検査の予約をして終了した。この検査は、多分5年前くらいに一度やっているような気がする。やや大きめの電光掲示板の前に座って、点滅した光を見て手元のボタンを押すみたいなやつだったか。
しかし年を取るとこんな風に年に何度も検査、検査がある。まあそれで経過観察とかであれば安心は安心なんだろう。とはいえ年はとりたくないものだと、つくづくというかまあいつもの愚痴ともとれないような心持になる。
午後はまるまる空いたので美術館へでも行こうかと思ったが、美術理論の試験が日曜までなので、すぐに帰ることにする。家に着いたのは2時過ぎ。その後はグダグダとしてしまい、そのまま少し眠る。妻がデイから帰宅したのも気がつかないくらい。その後、夜はひたすら試験勉強。
9月7日(土)
ほぼ終日自室で試験勉強。試験の出題範囲の予習と模範解答作り。夜12時過ぎに寝てまた3時過ぎに起きる。出題は五問あり、その中から一問が出る。山をはらずにそれぞれ800時字くらいの解答案を作る。
- ニュートンとゲーテの色彩論について
- アウグスティヌスとザルリーノの音楽論について
- アテナイオス『食卓の賢人たち』とブリア=サヴァラン『美味礼賛』における食をめぐる議論
- ダゲールとタルボットの写真術について
- ヴァレリーとロースにおける装飾概念について
そういえばセルジオ・メンデスが亡くなったとか。
セルジオ・メンデスさん死去 ボサノバの名曲「マシュ・ケ・ナダ」:朝日新聞デジタル
83歳か。これでボサノヴァ草創期の人はほぼみんな鬼籍に入ったみたいだ。自分はひょっとしたら、アントニオ・カルロス・ジョビンやアストラッド・ジルベルト、ジョアン・ジルベルトよりもセルジオ・メンデスでボサノヴァに触れたのかもしれない。ビートルズの「デイ・トリッパー」や「フール・オン・ザ・ヒル」もひょっとするとセルジオ・メンデス・ブラジル66のカバーを先に聴いたのかもしれない。まだ小学生の頃のことだ。
ご冥福を祈ります。
9月8日 (日)
前夜からそのまま起きていて、明け方になってようやく美術理論の試験を受ける。問題は出題5問中の最初の1問「ニュートンとゲーテの色彩論」。事前に解答を用意していたので、試験時間1時間も15分程度で解答してアップロードして終了した。
ついでに芸術教養の科目の試験も受ける。これは2年前にレポート出してそのまま放置しておいたもの。まあこれはどうでもいい授業を受ける心構えを書くような類のもの。
その後は、秋季に履修する科目の整理をした。どうも今年度の卒業は難しいかもしれない。3年次入学で2年で卒業を目指すはずがすでに3年目。年齢的にもしんどいし、このまま辞めてしまうかどうか、ちょっと思案中。
9月9日 (月)
一人で洋服屋をはしごする。多分、もう間に合わないのだけど、翌日に葬儀に出る予定があり、もっている礼服がオールシーズン用でこの時期はしんどい。夏用の礼服は以前持っていたけど、どこかで捨ててしまったみたい。まあ安いものがあればとちょっと思った。
近所のアオキから初めて、入間のイオン、ふじみ野のイオン、地元に戻ってオリヒカとはしご。結局買わずに帰宅。まあそういうものだ。
9月10日 (火)
親戚の葬儀に出席。自分にとっては義理の弟の奥さんの母親の葬儀。84歳、胆管がんだそうな。本当は前日のお通夜にのみと思っていたのだが、なんとなく流れで葬儀・告別式、火葬場、最後に精進落としまで付き合うことになった。
都内での葬儀でお寺に駐車場がないということで、近くのコインパーキングを探す。朝11時集合だが、かなり早めに家を出て10時半頃に着く。事前に調べたコインパーキングのうち2つが満車。3つ目が1台分空いていた。そこからお寺までは徒歩で6分くらい。車いすの妻を連れてというのはいろいろと難儀なことがある。
葬儀は故人の希望ということで、特に音楽とはなく、すでに社会人と大学生になった孫の小さい頃のビデオがひたすら流れていた。
お寺は曹洞宗で住職と副住職が太鼓と鐃鈸(にょうはち)というシンバルみたいなものの鳴り物入り。そのへんが珍しかった。
葬儀告別式はお寺で、それから火葬場に行き、お寺に戻ってから精進落とし。解散は17時くらいになった。
ちょっと驚いたのは、都内の火葬場は民間会社がやっているという。東京博善という会社で廣済堂グループなのだとか。そしてその廣済堂グループの筆頭株主はラオックスなどを買収した中国系企業だという。火葬場は公営だと思っていたのでちょっと意外な感じがした。