光ミュージアム  (10月2日)

  旅行の最終日、なぜか京都から一気に飛騨高山まで足を延ばした。

 高山の光ミュージアムに行ってみたいと思ったから。ここの存在を知ったのは高崎市タワー美術館で開かれた「光ミュージアム所蔵 肉筆浮世絵展」を観たことから。

高崎市タワー美術館「肉筆浮世絵の世界」 (2月3日) - トムジィの日常雑記

 宗教がやっている美術館だけどかなりの所蔵品があり、肉筆浮世絵以外でも鏑木清方上村松園の名品などをちょくちょく他の美術館での企画展の際に、「光ミュージアム所蔵」として観ることがあったので、一度は行っておきたいと。でも埼玉から飛騨高山はかなり遠いし、単体で行くのはちとシンドイとも思っていたので、今回京都の帰りに寄ってみるかと考えた。

 でも京都から高山もかなり遠い。京都の宿を9時半くらいに出て高速で順調に走っても到着は1時半くらい。途中でガソリン入れたり、一度休憩を入れたのでなんだかんだで2時近くになった。よゐこはあまり真似しない方がいいかもしれない。

 でもって近くに来ると高速からも異形な建物が目に入ってくる。それはまあ美術館ではなくて崇教真光の総本山の方。美術館と総本山は車で4~5分くらいの距離だったか(後でちょっとだけ行ってみた)。

 そして高速を降りて数分で光ミュージアムに。

 すっ、凄い。

 そして館内に入ると。

 美術館自体はマヤ文明のピラミッドみたいになっていて、その中がこういう感じになっている。展示室はこの両側に2~3部屋ずつある。とにかく度肝を抜くような吹き抜け仕様だが、その分展示スペースはやや少なめである。

 そしてその最上階に上がって外に出るとピラミッドの上部全貌が見える。こうですわ。

 しかし宗教というのは儲かるものなのですね。こんな立派な施設が作れちゃう訳なので。まあこれまでもMOA美術館なども観ているので特に抵抗はないし、そもそも宗教に対しての偏見その他はあまりもっていない。まあ最近話題になっている統一教会みたいなところは問題だとは思うが。ちなみにMOAの略はモダン・オブ・アートではないようで、Mokichi Okada Associationだとか。ようは世界救世教の教祖岡田茂吉からきているということらしい。

 美術館・博物館の方はというと、博物館は地下1階、美術館と企画展スペースが地下2階となっている。現在は企画展として「北大路魯山人展」、「古代エジプト展」をやっている。魯山人のほうは美術館所蔵の陶磁器などが中心。エジプトはツタンカーメン王墓からの出土品レプリカなど40点が展示されている。正直、このへんはあまり興味がない。まあエジプト展のレプリカはそれなりに面白いものだったけど。

 そして常設展示の方はというと洋画はゴッホルノワール、コロー、モネなどの名品がありそこそこ楽しめた。でも日本画の方はというとそこそこ名品があるとはいえ、ちょっと拍子抜けという感じ。高崎市タワー美術館で観た肉筆浮世絵の質、量は本当に凄かったので、ああいうのを期待していたのだけど、なにか全然違う。鏑木清方は一点あったけど、上村松園にいたっては展示ゼロでした。

 まあここも時期ごとに展示を変えているのだろうけど、高山なんてなかなかリピーターとして来ることは出来ないので、正直ピラミッドなどどうでもいいので、もう少し展示作品増やしてよと小さくぶつぶつ。

 もっとも観光施設ということでいえば、ピラミッドはまさに映えスポットだし、こっちで集客というのもわからないでもない。

 ということで気になった作品をいくつか。

《洗濯する農婦》 (フィンセント・ファン・ゴッホ) 1885年

《柳のある川の風景》 (ルノワール) 1874~76年頃

《波》 (クールベ) 1869年

《市川鰕蔵の竹村定之進》 (東洲斎写楽

 まあ高山でこういう名品を観れるということでいえば、なかなかお得感はあるのだけれど、これだけを目的として来るとちょっと肩透かしかもしれない。次もし来ることがあるとすれば、蔵出し企画、一挙見せますみたいな企画展の時かもしれない。まあくさす気はないし、建物立派だし、ゆったりと鑑賞できるから素敵なミュージアムであることは間違いないとは思った。
 ついでなので、車で数分の距離にある真光さんの総本山、本部にもちょっとだけ立ち寄ってみた。いや~、こちらも凄い。

 宗教についての偏見も特にないし、信仰の自由は大いに認められるべきだとは思っている。そして新興宗教団体が持っている美術館にはけっこうな恩恵を得ている部分もある。この光ミュージアム、熱海のMOA美術館、そして家から車で30分かそこらで行ける東京富士美術館などなど。それぞれが資金の余力で美術品を蒐集して広く公開するというのはいいことだとは思う。でもねえ、その原資が信者から集めた寄附、お布施であり、しかも税制の恩恵によって形成されているとなると、ちょっとばかりそのへんはどうなんだろうと思ったりもしないでもない。

 まあ信者が万単位であり、潤沢な資金があるような宗教団体の事業収入には課税があってもいいのではないかとそんなことを思わないでもない。

 宗教団体の巨大施設を見るとそんな考えもよぎらない訳でもない。とりあえず高山を後にして山道を走り安房トンネルを経て松本に抜けた。そこから上信越道に入って帰路に着いた。